「…−これは私の判る範囲――いえ、想定できる範囲での話なのですが」
「――うん?」
「…−ティディア様は、夫と妹との未来に諍いがないように、不安要素を一切残したくないと思われています。ドロシーズサークルの件は、いくらあの程度の仕掛けだったとはいえ、むしろあの程度であるからこそ余計なしこりが残りましょう? そういったものは一気にどかーんと。じくじくやりあうより全力でやり合って爽快に和解した方が良い。乱暴な手ではありますし……ニトロ様が泥沼にしかならないと仰るからにはその実現の可能性は低いのかもしれませんが、それでも可能性があるのならば、そちらの方が都合が良い。
ですから、あの時点でニトロ様にミリュウ様が『敵』となっていると知らせるわけにはいかなかったのです。ニトロ様が『敵』を見誤ったままでいてくれなければ、ミリュウ様は、きっと『ニトロ・ポルカト』に全力でぶつかる前に……あなたに潰されてしまいますから」
「……最後のは買い被りだよ」
盗み聞きしていた箇所を正直に告白しながらの言葉、その上に本当に大きな買い被りを受けてニトロは苦笑した。しかしその笑みもすぐに消し、
「それに、それはいくらなんでも本当に乱暴な手だし、しかもとんでもなく身勝手だ。そっちがどういう都合を考えていたとしても、俺はさっき、ひょっとしたら殺されていたかもしれないんだよ?」
「…−ニトロ様があの程度で殺されることはありません」
「そんな軽々しく断言されてもね。ていうか、何を根拠にそう言い切るのさ」
「…−根拠は、あなたが『ニトロ・ポルカト』だからです」
「いや……」
ニトロは思わず再び苦笑した。そして同時に、それはヴィタらしくない下手な理屈だとおかしく思った。
「それは根拠にはならないって」
「…−いいえ、立派な根拠です、ニトロ様。私だけではありません、皆そう思っていることでしょう。おそらく……ミリュウ様ご自身も」
「? ミリュウ姫自身も?」
「…−はい」
ニトロは困惑した。そのヴィタの言葉は理解しづらい。彼女がそう言うからにはそれだけの理由が……それとも直感があるのだろうが……『ひょっとしたら殺しにかかってきた相手』が『相手が殺されることはない』と思っていると言うのは一体どういう了見だ?
答えを求めて芍薬を見るが、芍薬は左右に首を振る。ハラキリを見れば物憂げに肩をすくめられる。判断材料がヴィタの言葉しかないのだから、それも当然か。
「……」
ニトロはため息をついた。
「まあ、それならそれとして」
とにかく話を続けてもっと情報を引き出そうと、彼女がミリュウの仕掛けに対して二度も口にした『あの程度』という言葉を利用し、さらにハラキリの推測も絡めて投げかけてみる。
「それじゃあ、もしかしたら今回の件もネガティブキャンペーンの一環なのかな。例えば俺がティディアに“どうにかしろ”って泣きついたら、『我らが王となられる方があの程度の問題を処理できないのは大問題だ。しかも国民のためのショーを台無しにした。こんな男は無敵のクレイジー・プリンセスの夫としても相応しくない』――とか」
そこまで言って、ニトロは『神官』の発言をふと思い出し、
「奪われた女神の心を取り戻すために、そうやって俺への失望を姉の心に差し込もうとしている……とかさ」
付け足された彼の推測に、間を置いてからヴィタが言う。
「…−私も、そのようなところだろうと考えていました」
ヴィタの声には僅かに深刻の影がある。
「考えていた? じゃあ、今はそうじゃない?」
ニトロの問いにヴィタは答えを返さなかった。銀河間通信のタイムラグをはるかに超えた間が沈黙を誘い、ふいにそれに耐えられなくなり、ニトロが言った。
「その他に何がある? というか、言ってみてこれしかないんじゃないかな――なんて思いもあるんだけど」
「…―判りません」
「判らない?」
ヴィタの――いつもは常にトラブルの要因・実情を丸々把握しているクレイジー・プリンセスの女執事の意外すぎる答えに、ニトロは思わず身を乗り出していた。
「いえ、判らなくなったという方が、この場合は正しいのでしょうか」
どうやらヴィタは、事情は理解しているが、実情は理解できていない――そう言っている。
ニトロは腕を組んで身を引き、急いて先を促したい気持ちを抑えて次の句を待った。
「…−ニトロ様と巨人の攻防を見るにつれ、理解したことがあります。私は、ミリュウ様のことを理解していなかった、と」―彼女はそう明言し、さらに―「私もミリュウ様のことを見誤っていたのです。ただ和やかでお優しいだけの方とお見受けしていたのですが、あのような……凶暴な一面も持ってらっしゃったのですね」
「凶暴か……」
「…−はい。今回の件に限らず、ミリュウ様の手本は間違いなくティディア様です。ですが、だとしても、だとすればこそ、あれは凶暴です。巨人などは特にそうでした」
「まあ、ティディアに色々食らわされてる立場から言わしてもらっても、うん……そうだね」
例えば、初めてティディアに食らったトラブル――『映画』でも、ティディアの攻撃は最後の決闘を除けばどこかふざけていた。無論こちらを挑発する目的もあっただろうが、いずれにしてもどこかに“余裕”があった。
しかし、今回はそのような余裕は感じられない。あの巨人の無数の目が思い出される。あの神官の眼が思い出される。そうだ。本当に、恐ろしい瞳だった。
それを凶暴と言えば、確かにそうだろう。
「…−もちろん、これは私がミリュウ様の一面に気がつけなかっただけ――ということでもあります。たかだか一年と少し。直接の面識と交流はあるとはいえ、職場も違えば人となりへの理解を深めるにも限度はありますから」
そう自嘲的な――どうやら彼女は“自分達と同じ自嘲”を覚えているらしいとニトロは察した――声を前に置き、後にヴィタは確固とした口調で続けた。
「…−しかし、ミリュウ様と直に接するようになって日の浅い私でも、ミリュウ様の性質というものを日の浅い中で知るに十分でした。あの方は、お優しい。本来、およそ人を傷つけることなど決してできない人間であり――ニトロ様? 私の印象では、ミリュウ様は、あなたに似ています」
「俺に?」
突然の指摘に、ニトロは目を丸くした。
「…−はい。より正確に言えば、同類、でしょうか。例えば性格的にも、性質的にも、ニトロ様と最も気の合う王子女は誰か……と問われれば、私は真っ先にミリュウ様の御名を挙げるでしょう。ティディア様でもなく、パトネト様でもなく。基本的に自分のことよりも他人や他者との関わりを
ただ大きく違うのは、ニトロ様にはツッコミという特筆すべき一芸があり、ミリュウ様には王女という特別な立場と目立たぬまでも醇美の容姿がある、というくらいでしょう。しかしそれを除けば、本質的に、お二人共に非常に『普通』な方です」
「ふむ」
と、ハラキリがうなずいた。その顔には納得がある。
微妙に失礼なことも言われている気もするが……ニトロは『師匠』の肯定を得たヴィタの印象論に不平を返さず押し黙ることを選択した。他者の評価は他者のものだ。そう思われるだけの理由があるなら、それを肯定はしないまでも、受け止める――
(って、これがヴィタさんの言う通りなのかな)
そう思い至った彼は、苦笑を禁じえなかった。思えば芍薬が沈黙しているのも、きっと、ヴィタの言葉に否定を返すだけの材料が無いからだろう。
「…−ですから、私は、今回よほどの大事にはなると――場合によってはティディア様がニトロ様かミリュウ様、どちらかを失う可能性すらあると考えてはいましたが、それにしてもこのような形は考慮していませんでした」
少しの間があり、ニトロはヴィタが自分の反応を待っていることに気づき、
「うん」
と、ヴィタの発言を顧み、うなずきを返した。
すると、彼女はそれを待っていたかのように言った。