ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナが掻き鳴らした開幕ベル。
 それを伝えるテレビが消された後に訪れた数秒の――それでいて長い長い――沈黙を破り、ニトロは大きく音を立てて息を吐き出した。
「参った」
 ソファに体を沈め、天井を仰ぎ見る。
「ヒントどころか、確実に『次』があること意外、余計に解らなくなった」
 天井を見続けるニトロの隣で、ハラキリは心底感心したように吐息を漏らしていた。
「いやはや、自分の仕業とバラすまでならともかく、亜流とはいえ見事に『クレイジー・プリンセスの仕業』の枠に落とし込んできましたねぇ」
 ニトロは長らく手に掴んだままだったペットボトルを緩慢に口に運んだ。少々温くなりだしたミネラルウォーターを喉に押し込み、
「これじゃあ、俺が今後どんな目に会おうと文字通りショー化するだろうなぁ」
「ええ。その上、巧く君への救援に釘が刺されたもんです」
「その場・現場で俺を助けようとするのはショーを台無しにする邪魔者扱いされちゃうだろうしねぇ」
「同時に彼女を止める者もいないでしょうね」
「それについては『やりすぎだ!』と諌める人がいると信じたい」
「いやいや、どんなにやりすぎてもそんな人間はいませんよ。何しろ彼女が設定した『舞台』では、その諫言役こそがニトロ・ポルカトのものであるべき役であるわけですから。甘い考えはお捨てなさい」
「……うーん」
「おや、何を唸ってらっしゃるので?」
 ハラキリのとぼけた問いかけにニトロは口を尖らせ、
「何かさ、ミリュウ様に諫言はなくって俺には諫言があるってのはちょっと理不尽な感じがしないか? 甘言で唆してもらっていい気になって、それで楽にもなりたい気もあるんだけどな」
「そう思われるのは自然です。が、しかしまあ『甘言は金で得られるが、諫言は運でしか得られない』と昔の人は言っているわけですし」
「その後に『されど時と人と言葉が合わねば、足の欠けたかなえのごとく転んで心に煮え湯を浴びせるのみ』って注意書きが付くんじゃなかったっけ」
「思うに三拍子揃ってますね」
「お陰でいつも助かってます、ありがとう」
「どういたしまして」
 ハラキリは肩をすくめた。
 ニトロは水を飲んだ。
 ハラキリが小さく口の端を持ち上げ。
 ニトロがわずかに目尻を下げる。
「しっかし……」
 もう一口水を飲み、ニトロは居住まいを正した。
「あのミリュウ姫があんなショーマンシップを持ってるとは驚いたよ。
 あの映像、もちろん他の放送局も流してるよね」
 目を向けられた芍薬が肩を落とす。
「御意。モウ銀河ノ果テマデ流レテイッテルヨ」
「そりゃ豪儀だ」
 ニトロは肩をゆすった。
「てことは、国際規模で『周囲』は傍観者に追いやられちゃったか」
「ツイデニ傍観スル劇ヲ囃シ立テル存在モ生ミ出シタ。早速、少シ『マニア』ニ嫌ナ空気ガ流レテルヨ」
「ああ、やっぱり?」
「明言はしていませんでしたが、未だに燻っている過激派をくすぐる文言を差し込んでいましたからねぇ」
 しみじみといったように、ハラキリが言う。それから彼はパン、と、軽く一つ拍手を打って、
「いやはや、なかなか狡猾な手です。素晴らしい」
 どこまでも他人事のような口振りや態度は相変わらずだが、しかし、ニトロはそこに微かな真剣みがあることを聞き逃してはいなかった。
「確かに、狡猾だ」
 ニトロは噛み締めるように言った。
「ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナの人物像を、大きく改めることにするよ」
「同感です」
 そうして二人はため息をついた。芍薬は落とした肩をさらに落とし込む。
 ニトロはそこで何かに思い至ったように目を上げ、そしてもう一度嘆息をつき、
「ミリュウ姫には敬意を持っていたつもりだったけど、何だかんだで『劣り姫』って下に見ていたんだなー」
 ぼんやりと、正直に気持ちを暴露した。
「『ティディアの周辺情報』としか思っていなかったのも、それの表れかな」
「それを言うならここにいる全員がそうです」
 神妙に口にした反省の弁に、驚くほどあっさりとした口調で――まるで笑い飛ばすように――応えられ、ニトロは思わずハラキリを凝視した。そして気づく。笑い飛ばすための彼のその笑みは、自嘲だと。
「いいえ、ここにいるだけじゃありません。こと『どんなに敬意を払っても、ティディア姫には劣ると思う』という件に関しては、彼女を知るほぼ全員が同意を得ていることでしょう。それはきっと、アデムメデスの総意です」
 芍薬もうなずいていた。やはりその顔には自嘲がある。
 それらの自嘲はそれぞれ……ニトロにとっては――今は敵とはいえ――同世代の王女に対する良心的な悔いが、ハラキリにとっては人間関係における戦略的な悔いが、芍薬にとってはマスターが気づけなかったことを補佐し得なかった事実に対する悔いがより強く自身を責めるためにあった。それぞれに違う理由で……しかし、その根底ではやはり同じに
 ニトロは視線を遠くに飛ばし、それから口の片端を引き上げた。
「『総意』か。そりゃまた随分大きく出たもんだ」
「そう的を外してはいないと思いますがね」
 ニトロには、それを否定することはできなかった。
 彼は何度目かの嘆息をついた。そうして息を吐き終えた後、その嘆息に自嘲の全てを詰め込んでいたかのように表情を改め、
「よし。敵を見誤っていたってことはよく分かった。今後はそこらへんを修正した上で考えていこう。この分じゃハニートラップだろうが冤罪だろうが何でも有りだ。王権をも以て仕掛けてくるかもしれない。これまでミリュウ姫なら絶対にしないだろうって考えてたことも、これからは有りだ。
 けど困ったことに、それは有意義な情報になったけど」
「とはいえ先は見えない。結局、そもそも肝心の目的がまだはっきりと掴めない。さっきの演説を額面通りに受けるには、無視できない疑問点がありすぎる」
「その通り! ここにきてまた堂々巡りだ!」
 さばさばとニトロは言い切った。
 と、そこへ、
「見誤ッテイタ――ノハ、イツカラダロウ」
 芍薬が眉間に影を落として言った。
「ドロシーズサークル……アレハ、ヤッパリミリュウ姫ノ仕業ダッタノカナ」
 ニトロはうつむき、一呼吸置いてから答えた。
「その方が、納得はいく」
 芍薬は自分も同意見だと、マスターの目を見返すことで示した。
「ダトシタラ、アノバカハ何デ自分ノ仕業ッテコトニシタンダロウネ?」
「――あ」
 ニトロは口を開け、一声を発した後に我ながら間抜けな顔をしていると唇を結んだ。半ばへの字に曲がった口唇は、彼が芍薬の示唆した『疑惑』に強い憤りを感じ始めたことを示している。が、憤ったからといって解決の糸口になったわけではない。むしろ、また新たな『疑問』が生まれてしまったことに思考回路が悲鳴を上げている。
 芍薬もニトロと同じように口を結んで同じように考え込み、その二人の傍らで、しかしハラキリだけは面白そうに口を歪めていた。
「なるほど、ドロシーズサークルですか。話を聞いていておひいさんの手にしてはやけに杜撰だと思っていましたが……それなら確かに腑に落ちますね。
 ――実際のところ、どうです?」
 ハラキリのその問いは、ニトロにでもなく芍薬にでもなく、宙ぶらりんと放られた感があった。ニトロと芍薬が当然疑問符を打つ。
「…−実際、あれはミリュウ様の仕業でした」
 疑問に答える涼しげな口調は、芍薬の横、テーブルに置かれたハラキリの携帯電話から返ってきた。
 スピーカーから流れ出た声を聞き、ニトロは思わず腰を浮かした。驚きをそのままに口にしそうになったところをぐっとこらえ、ついでハラキリを睨む――が、飄々と肩をすくめた彼に尖りきった眼差しの先端を軽々かわされてしまい、変に毒気を抜かれてしまう。
「……」
 無言のままでいると、芍薬にも睨まれながら、それでもへらへらとしてハラキリは軽く手を振ってくる。
 どうぞ――と。通話を促してくるその態度に悪びれる風は一切ない。
 ……まったく、この曲者はいつから接続していたのだろうか。
 携帯電話を置いた時? それとももっと前? もしかしたらマードール殿下との会話時からか? そう眼で問いかけても答えはないが、とにかくまあ、相手が事態を飲み込んでいるのは都合が良い。
 ニトロは水を飲み、気を落ち着けてから携帯電話に目を向け言った。
「やあ、ヴィタさん。おシゴトお疲れ様」

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