王城はティディアの私室。偉大な姉から貸し与えられた部屋で、事件当時のパーティー会場の様子を伝える映像――JBCSで流れたそれを見終えたミリュウは、満足の息をついた。
第二王位継承者の言動についてキャスターが独自解釈を述べ出している
「さすがはニトロ・ポルカトとその戦乙女……か」
映像の中で王女が口にしていた台詞を繰り返すように、つぶやく。
この結果は予想の範疇にあるものではあったが……しかし、全く驚きがないと言えば嘘になる。いや、むしろ予想していながら驚きの連続であった、というのが正確か。
醜態を晒すことを期待していたニトロ・ポルカトは、逆に他者を守ろうと振る舞い、事実危険から離れさせ、これまでの逸話通りの人物像を再確認させてみせた。
ニトロ・ポルカトが体を鍛えていることは知っていたが、かといってその評価はあくまでジム内の練習生レベルにとどまる。主観的にも、客観的にもそれは間違いがない。しかし、あれが『巨人』の膝を折ったのは、幸運でも偶然でもなく、間違いのないその実力のためだった。
つい直前まで流れていたあの映像内で“わたし”が見せていた驚嘆は装いのない本心であり、もしあの映像をニトロ・ポルカトが観たら、きっとわたしの反応からわたしの思惑を推察しようと企んでもただただ困惑を得て終わるだろう(それはある種、怪我の功名とも言えるのだが)。
加えて、あのオリジナルA.I.の働きは実に見事だった。あのÅから逃れ、『体』を得るや速やかに主を守り、巨人を行動不能にし、あえて追跡してくるマスメディアを盾にしようという退路選択にも迷いがない。いつしか『戦乙女』と囁かれるようになっていた存在感を、愉快なまでにいかんなく発揮してくれた。
(――Åには、悪いことをしたな)
汚れ役を押し付けてしまったÅの生存及び所在が“不明”という報告に目を留め、ミリュウは思う。
思って、すぐにその思いを打ち消す。
今は、それは考えなくていい。考えてはならない。
それよりも今は、得られた成果を喜ぼう。
姉が、芍薬が自由に警察用アンドロイドを扱えるようパスを与えていたことは知らなかった――それが判明したことは、今回における巨大な戦果だ。お陰で今後はそれを不能にする手を打てたし、さらにこの件から監視カメラ等公共システムへのパスの存在にも辿り着け、そちらには罠を仕掛けることができた。これで、もし芍薬が該当システムを利用しようとすれば、即座にニトロ・ポルカトは複数の法律違反者として手配される。
「一手で勝てるわけはなかったけれど、それでも結果は上々……」
ミリュウは呟くように言い、
「かな? パティ」
小卓の向かいに座る弟に声をかけると、彼は小さくうなずいた。
「各所から問い合わせが殺到しています」
夜食のパウンドケーキを切り分けながら、執事――セイラが言う。
「プレスリリースはいかがいたしましょう」
「さっきの会見以上に言うことはないわ。あれを元にまとめておいて」
「かしこまりました」
華やかな第一王位継承者が留守にすることで、“活気”のどこか薄まっていたアデムメデスは、現在、突如として現れた椿事に沸き返っている。
国は、国民は――ああ『我らが子ら』は――わたしの期待通りに応えてくれた。
弟のA.I.達がモニターしている
――これも、大いなる戦果であった。
報告を受けたお姉様はどのようなお顔をなさるだろうか。クロノウォレスに到着し、歓迎を受ける映像と共に、それも届くだろう。お姉様は、きっと……
「……」
紅茶と、姉の元側仕えが作った店のパウンドケーキが目の前に置かれるのを眺めていると、ミリュウは、ふいに奇妙な感傷が胸に芽生えるのを感じた。
脳裡に、今日一日の出来事が自然と再生される。
まるで死に際に見ると言われる走馬灯のようだと彼女は思った。
「オレンジジュースでよろしいですか? アップルジュースもございますが」
持ち込んだワゴンの下部に備えられた冷蔵庫を開け、セイラがパトネトに問うている。
「オレンジ」
パトネトが、セイラに笑顔を向けている。弟が自然な笑顔を向ける数少ない人間の一人も笑顔を返し、冷蔵庫からオレンジジュースが入った瓶を取り出す。
二人が作る光景はほのぼのとしている。
ミリュウは、それをやけに遠くから眺望しているような――奇妙な感覚に襲われている自分を発見して、少しおかしな気分になった。
瞼の裏では、相変わらず記憶の自動再生が続いている。
わたしを写した『神官』や『信徒』、ミッドサファー・ストリートで被害にあったドライバー等『サクラのアンドロイド』達のプログラム通りの行動。同じく格闘シミュレーションを元に作った“わたし”を乗せた巨人の戦い。現場のコンピューターを狙い通りフレアが掌握し、パトネトの手によって言動を適宜修正されながら、全てはつつがなく進んだ。
その中でも、特にニトロ・ポルカトの下に馳せ参じた芍薬の行動に極自然とタイミングを合わせ、ギリギリの救出劇を演出できたことは素晴らしかった。フレアからの時間調整指示によって生まれたあのフェイント。その戦術的な攻撃に愕然とするニトロ・ポルカトの顔を思えば! 当事者本人でさえ気づかなかったのだ。あれは多くの人を興奮させただろう。もしかしたらあのお姉様でさえ“興奮”なさってくださるかもしれない。そんな期待に胸が高鳴る。
さらに嬉しいこともあった!
それはもしかしたら、わたしにとって何よりもどんなことよりも最大の成果。
……あのニトロ・ポルカトを、驚愕させた。度肝を抜いた。あの男の驚き唖然とした顔は、一生忘れないだろう。
驚愕と言えば、パーティー会場で皆がわたしに向けた視線も思い出される。
「――」
ニトロ・ポルカトの呆然とした表情。
プカマペ教団については吹き出すくらいに意表を突かれていた。
芍薬と共に困惑させられていた姿も目に浮かぶ。
そうだ、わたしに、当惑させられていたのだ。驚愕し、困惑し――あのニトロ・ポルカトとその戦乙女が、こんなわたしごときに!
パーティーに呼んでいた報道関係者も実に素晴らしい働きをしてくれた。
今もほぼ全てのメディアで『王女ミリュウの開幕宣言』が流れ続けているだろう。
もはや何を見ずとも、何を聞かずとも、アデムメデスの声が耳目に届いてくる。
ミッドサファー・ストリート、ケルゲ公園駅前、その他各所に溢れた驚きと愕然と混乱をきたした瞳の群……それらが反応しあい、連なり、最後に投下された『開幕ベル』の響きに化学反応を起こして星を包み込んでいる。
その中で、ニトロ・ポルカトは芍薬と共に悩んでいるだろう。
何故、ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナがあんなことをしたのか?
お前は、もう聞いただろう? 『神官』の言葉を。わたしの宣言を。お姉様に認められる男なら、ニトロ・ポルカト、わたしからのメッセージを受け取れたはずだ。これが決して『劇』ではなく、わたしからの攻撃だということを誤ることなく理解しているはずだ。
さあ、悩むがいい。考えるがいい。何故、わたしがこのような行動に出たのか!
嫉妬だと思うか?
嫌がらせだと思うか?
どうせその程度だろう。その程度ならば、お姉様との幸せな未来をお前が手にする資格はない。お前にはわたしを止められない!
それとも、もう、お姉様に泣きついているだろうか。わたしを唯一止められるであろう御方に。
……それならそれで望むところだ。
もしそうだったら、存分に罵ってやる。楽しみ愉しみ、お前を罵倒し尽くしてやろう。その程度の男を、人生を懸けて貶めてやろう。
「っふ」
ミリュウは、思わず吹き出した。
セイラとパトネトが、突然笑い出したミリュウを訝しげに凝視する。
ひとしきり笑った後、ミリュウは二人が目を丸くしていることに気づき、驚かせたことを詫びるように眉を垂れた。
「いかが……なされましたか?」
セイラが心配そうに聞いてくる。
ミリュウは、微笑みを浮かべた。
「ちょっとね、何だか……楽しくなってきちゃって」
気がかりは、ある。
ニトロ・ポルカトが無人タクシーの中から消えたのは……もしかしたら?
だが、それを気にかける一方で、ミリュウは知っていた。
本当は、自分にはもう何も気がかりはないことを。
ふと、ミリュウの微笑に何かが混じり込む。
それを見たセイラは、得も言われぬ恐れを感じて心を震わせた。
「もしかしたら、お姉様もこんなお気持ちだったのかしら」
その微笑みを頬に貼りつけたまま、ミリュウはパウンドケーキをフォークで切った。
「ね、パティ?」
問いかけられた彼女の弟は、姉をしばし見つめた後、にっこりと可憐な微笑みを浮かべた。
「うん、そうだね。おねえちゃん」