冷たい静寂が場を支配していた。
 突如現れるや瞬時に巨人を殺したアンドロイドが横たわる巨大な死体から腕を引き抜く。アンドロイドが着る警察の制服、そのダークブルーの袖が血に濡れて黒く見えた。
 一方、ロータリーの宙映画面エア・モニターでは、アスファルトに崩れ伏した女が仲間に横たえられていた。その顔には黒い布がかけられている。どうやら、信じられないことだが、彼女は死んでいるらしい。
 ――演出だとしても
 本当に……これは、こんな惨い光景が、あの面白大好きなクレイジー・プリンセスが恋人に仕掛けたイベントだというのだろうか――
 そんな疑念と困惑が渦巻いているのを、ニトロは肌で感じ取っていた。
「主様」
 アンドロイドが安堵の声を上げた。
「助かったよ、芍薬」
 ニトロは立ち上がり、こちらへ駆け寄ってくる芍薬を笑顔で迎えた。警察用アンドロイドの市民を脅かさないよう作られた柔らかい顔には、マスターの礼を受けてなお、操縦するA.I.を直前まで脅かしていた恐怖の欠片が表れている。
「……御免ヨ」
 涙を流しそうな顔で、芍薬が一言を搾り出す。
 悔恨を凝縮したその言葉に、ニトロは微笑を返した。
「無事でよかった」
 芍薬は、はっとニトロを見つめた。
 自分がマスターにかけるべきセリフを先んじて奪われてしまった。なのに、その言葉が、この胸に満ちる痛恨の念を驚くほど和らげてくれる。それに驚く。
 マスターの左腕には傷がある。血も出ている。敵に惑わされ助けに来ることが遅れてしまった。もっと謝りたいのに、謝るまでもなく、マスターの微笑みは全てを柔らかく受け止めてくれている。それに戸惑う。
「いつもちゃんと持ち歩かないとダメだね」
 芍薬の視線が左腕にあるのに気づき、ニトロは苦笑いを浮かべた。今日、彼は簡易救急セット等トラブル時用の道具を持ってきていない。ティディアが他星に行くことに浮かれすぎていたと反省を顔に出す。
 そして、
「また何か始まったよ」
 苦笑に被せられたニトロのセリフに、芍薬は“息”を飲んだ。
 そうだ。まだ、何も終わってはいない。始まったばかりだ。
 その上――宙映画面エア・モニターの中、胸に手を当て仲間の死に祈りを捧げる黒い集団をじっと見つめるマスターの態度は、『芍薬は決して遅れていない』と頑固に主張している。
 芍薬は思わず笑みを漏らしそうになった。このヒトに仕えられる喜びを、いや、このマスターこそを王家のA.I.に夜通し自慢し倒してやりたいと思う。
「芍薬はどう思う?」
 ニトロが問う。気を取り直した芍薬はすぐに答えた。
「感覚トシテハ、アノ時ニ似テイル」
 芍薬の言葉に、ニトロは問いを重ねた。
「ドロシーズサークル?」
 ニトロの言葉に芍薬はうなずき、それを受けてニトロもうなずいた。
「うん。俺もそう思う」
 ティディアの仕業とは思える。が、そうは思えない自分がいる。そうして、今度はパトネト王子ではなく、ミリュウ姫が姿を現した。
「……芍薬の相手は何だった?」
「メルトンヲ手伝ッタ奴」
 ということは、とニトロは思った。王家のA.I.を相手にして、なおかつ自分を助けにきてくれた芍薬の実力に改めて感嘆する。
 それと同時にまた、彼は胸中を曇らせていた。眉間に薄く影が落ちる。彼の心持ちを察して芍薬が言った。
今、撫子オカシラニ尋問シテモラッテル。あたしノ方ハタダノ『発狂』シタA.I.ノ暴走デ、コッチトハ別件ダトイインダケドネ」
 マスターを幾ばくかでも慰めようというセリフに、ニトロが笑みを返した時だった。
 周囲から声が上がった。ニトロはびくりと体を震わせた。
 エア・モニターからもミッドサファー・ストリートに轟くざわめきが伝わってきた。
 気がつけば、死した巨人が、死した女が……燐光のように青白い炎を上げて燃え出していた。
 女……ミリュウ姫が!?
 ニトロが「あ」と驚愕とも焦りともつかない声を上げた時、
<信徒ルリル>
 黒いローブの集団のリーダーであるらしい者が、不思議な声で言った。おそらくは合成した声だろう。
<汝、宿命を果たし者、安らかに召されるがいい>
 何人もの声を無理矢理重ねた女の声は、厳かに言う。定型を感じさせる台詞は、どうやら祈りの文言であるらしい。ならば、あれは司祭や神官にあたる者だろうか。
<祝福が汝を迎える。馥郁の泉、至福の花園、汝は祝福される。我が主、我が父、我が母、我らがプカマペ様は汝を愛する>
「ぶ」
 思わずニトロは吹いた。
「え? まさか、これ」
「御意。アノ『サイト』ノダヨ。アレハ『神官』ヲ名乗ッテル」
「ようし、神はマジで敵だった」
 半ば泣き笑いを浮かべて映像を観ていると、神官の言葉に続いて、燐光を讃えて燃え上がる殉教者を囲む集団が口を揃えて祈りの言葉を詠唱する。しかし、その調べは祈りと言うよりも、怨嗟を煮詰めた呪文のようにニトロには聞こえた。呪文の調べが盛り上がるにつれ、炎の勢いは増していく。
「……仕掛けはあるよね」
 まさか本物の“奇跡”じゃないだろうな、と、ニトロは芍薬に訊ねた。
 すると芍薬は、高度なセンサーを有する機械の瞳をニトロから巨人へ移して言った。
「コレハ『アンドロイド』ヲ基礎ベースニシタ精巧ナ『生体機械ゴーレム』サ。肉ハ埋メ込マレタ極小カプセル内ノ燃料デ灰ニ、骨ヤ駆動系ハ塵ニ変ジルヨウニ自壊シテル。タダノ大掛カリナ手品ダヨ」
 ニトロはそこで改めて巨人を見、そして納得した。
 巨人の体が風に吹かれて溶けるように小さくなっている。見た目で言えば、確かに燃えて塵と化して消えていく。
 目を凝らしてエア・モニターを見てみれば、女の体も同様に消滅していっているようだ。
「アッチモ同ジ物ダロウネ」
「……何のために?」
「判ラナイ。随分手ノ混ンダ演出ヲシテルンダカラ、ソレナリノ理由ガアルンダロウケド」
「まさか目的は『映画』第二弾? 『主演女優』を変えて」
ソレナラアリ得ルカモネ。今朝ノ部屋ヲ思エバ」
それだと色々納得もいくんだけどなぁ。違和感も、こんな無茶なのも」
「モシ『映画』ダッテンナラ、帰ッテキタラ一番ニ痛ク殴ッテヤル」
 ニトロは苦笑し、うなずいた。
「二人でロケットパンチだ」
 プカマペ教団の詠唱は、次第に声量を増している。
 巨人と女は既に姿を無くしかけている。
 火に触れる水玉のように、急速に萎んでいく。
 ふいに、上空に数台の飛行車スカイカーが現れた。
 どれも大型で、どれにも大きくロゴマークが描かれている。テレビ各局の中継車だった。
「まあ、こういう時ならこぞって来るよな」
 どうやらあちらも何らかの撮影であることを考慮しているらしく、どの局も遠巻きに撮影を開始している。
 ニトロはため息をつき、つぶやいた。
「一難去って前途多難か」
<信徒ルリル>
 巨人と女が髪一本も残さず焼き尽きた時、祈りを終えて神官が言った。
 ニトロはエア・モニターに目をやった。
<汝が魂、プカマペ様のお力を導きたもう。神の怒りは顕現せり。神徒は非業の死を遂げられた。しかし汝が怒りは神の怒りと共にあり。神敵に、烙印を>
「熱ッ?」
 神官の演説を聞いていたニトロは、ふいに左手の甲に熱を感じて声を上げた。
「主様!?」
 芍薬が悲鳴じみた声を上げる。
 ニトロは左手を見て、息を飲んだ。その甲に、皮膚の下から滲み出てくるように、紋様が浮かび出していた。
 観衆も彼に顕れた異変を目にしてざわめく。
 それは、花であった。
 巨人と女を焼き尽くした炎と同じ青色の紋様は、ニトロ・ポルカトの手甲に、エア・モニターの神官が手にする銀色の象徴イコンと同じ花を咲かせていた。
 彼にとって、何の皮肉だというのか。
 それは最近アデムメデスで最も話題になった花だ。
 ペオニア・ラクティフローラ――芍薬の花
<ニトロ・ポルカトよ>
 画面の向こうから呼びかけられ、ニトロは熱い痛みにしかめた眼を向けた。
 ローブのフードの奥からカメラを真正面から見つめて、神官が言う。
<我らが神敵よ>
 その声は、段々と、澄んだ声となり始めていた。何重もの層が一枚一枚剥がされていくように、次第に真実の声を現し始めていた。
<プカマペ様を恐れよ。我らが女神、ティディア様を堕落せしめる悪魔よ>
 芍薬がニトロの左手を抱き、装備されているセンサーを用いて患部を調べる。
<恐れ慄くが良い。貴様は逃れられない。逃れられるはずもない。神罰は貴様に刻まれた烙印に導かれる。貴様の未来、無残なる、死あるのみ>
素子生命ナノマシンダ」
 歯噛むように芍薬が言う。ニトロは寒気を覚えた。いつ、どこで仕込まれたのか。巨人の爪を受けた時か? それとも、ケルゲ公園でモスキートに刺された時だろうか。いや……もしかしたら、まさか王城で摂った食事に?
<我らが使命、必ずや果たそう>
 神官がフードをめくり上げる。彼女の背後に並び立つ信徒達も同様にフードを脱ぐ。
 これまでで最大のどよめきが空を揺らした。
 ニトロも声を上げていた。
 神官は、ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナその人だった。神官だけではない。全ての信徒までもが王女ミリュウその人だった
<ニトロ・ポルカト>
 今や、神官の声も完全にミリュウのものになっている。
 本物? 偽物?――何より先立つ疑念が一気に噴出し、それから“どういうことだ”と小さな議論ひまつがそこかしこにばら撒かれる。
<覚悟せよ>
 ニトロがいるケルゲ公園駅前、『ミリュウ達』がいるミッドサファー・ストリート。どちらにもさんざめいている人々の声。誰もが共通の感情を抱き、その流れが一つの大きな渦となる。渦は同じ場にいる誰をも飲み込み、空気をどよもす混沌として広がり続けていく。
 混沌する混乱の渦の中、『ミリュウ達』は声を揃えて宣言した。
<我らが命を捧げ、女神様のため、プカマペ様の大いなる御業をもって邪悪なる貴様に死をもたらさん>

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