「当機体は、現在全ての通信会社に登録されていません。通話機能をお使いになる場合は通信会社との契約が必要となります。各社窓口、当機体の『契約案内』等から手続きをして下さい」
 間違いなく自宅にかけたのにコール音すら鳴らず、代わって届けられた案内アナウンスは早くも二週目に入ろうとしていた。
「切断。自宅へ」
 ニトロはリダイヤルを試みたが――また同じ声を聞いて舌を打つ。もう我が耳を疑うことはない。この携帯電話では、通話ができない。
(これは契約を切られたか)
 電話会社……この分だとネットプロバイダもだろう。
 ……しかし、他人の契約を勝手に切れる者などそうは存在しない。
本当にお前なのか?)
 そう思ったニトロは、そう思ったことで、自分が、巨人がティディアの仕業ではないと半ば確信していたことを知った。なんとなく――ではない。もはや違う、と。そういえば衆人を下がらせるために反射的に叫んだのは、これが『ティディアは関係ない』という文言だった。そう言ってやれば下がるだろうという思惑があったにしろ、本当に、それだけなのだろうか。心底では、既にあいつの仕業ではないという結論がどこかにあったのではないか?
(――)
 しかし、一方で、これがティディアとは全くの無関係だとは思えない自分がいる。どうしても、どこかでアイツが関わっているという確信が心にこびりついて消えないでいる。
 この感覚には覚えがあった。
 あのドロシーズサークルの一件――まるであの時の不可思議な疑念が再現されているかのようだ。激しい既視感すら覚え、惑う。
 そのニトロの惑いは、巨人にも伝わった。
 一時とはいえ、棒立ちとなった標的に巨躯が駆ける。
「!」
 ニトロは突然突進してきた巨人を――長いリーチも警戒し――素早くサイドステップを繰り返してかわした。手加減しているのか……あるいは、操作に慣れていないのか。思ったよりも相手のスピードが遅いために、余裕をもって避けることができるのは幸いだった。でなければ、隙を突かれた今の体当たりは決してかわせなかっただろう。
 攻撃をかわされた巨人は髪を振り乱して振り返り、再びニトロに突進した。今度は幾分先より早い。
 しかし今度はニトロも体勢を整えていた。
 ニトロはサイドステップをすると見せかけ、頭部を腕で庇いながらうずくまった。
 巨人は獲物の思わぬ行動に対処しきれなかった。手を振り回しニトロを掬うように殴ろうとするが、間に合わない。ニトロの体に大きな衝撃があり、彼はそれを懸命に堪えた。そうすることで彼の体は一個の石となり、躓いた巨人は不様に顔面から床に倒れ込む。
 その隙を逃さず、ニトロは走った。
 視線の先には非常階段がある。入口は小さく、あの巨人はまず間違いなく入り込めない。扉を押し開けるのが間に合うかどうかだ――が!
「!?」
 ニトロは、どこにいたというのか、突然現れた警備アンドロイドが非常階段の扉の前に立つのを見て歯噛んだ。
 背後からは、重い足音。
 ニトロは振り返らず、叩きつけるように踏み込み、ほぼ減速もせず直角に曲がった。
 彼のすぐ脇を重い風が抜けていく。巨人の体当たりを食らったアンドロイドが非常階段の重い扉をひしゃげながら、鈍い音と共に己が身もひしゃげて大破した。
 ニトロは、今度はファストフード店に駆け込もうとした。
 そこは天井の高さが構内より低く、巨人に対して地の利が得られる。加えて厨房には油があった。それも熱された揚げ油だ。巨人が生身であれば間違いなく強力な武器になる。アンドロイドであっても燃やしにかかればダメージはあろう。少なくとも、消防や警察は駆けつけざるを得なくなる。
 しかし、
「うわ!」
 ニトロは、ファストフード店の自動ドアに激突して悲鳴を上げた。
 ドアが動かない。反応しない。手で開けようとしても、逆に閉まろうとモーターが動いているようにびくともしない。
 店内にいる客の女性が何かを叫んだ。青褪めた顔でニトロの背後を指差し――
 ニトロは頬を引きつらせ、しゃがんだ。
 頭のすぐ上を風が切る。
 ファストフード店のドアを巨人の爪が引っかき、車が突っ込んでも簡単には砕けない強化ガラスに大きな傷跡が残る。
 ニトロは反射的に――振り向き様、手に握りこんだままだった携帯電話を巨人の顔に目がけて放った。
 できれば痛覚があって下さい、と。
 ニトロが投げつけた携帯電話は、巨人の無数の眼の一つに命中した。
「ゴァアアア!」
 巨人が悲鳴を上げてのけぞる。
(効いた!?)
 思うが早いか、それなら――と、ニトロはのけぞった巨人の足、その伸び切った膝に渾身の体当たりをぶちかました。やや側面から、姿勢低く身を固め、膝の曲がらぬ横方向へ圧がかかるよう全力で。巨人の重い体重を支える関節へ!
 ボキリと、そして、ガキンと――巨人の右膝が甲高い金属音を立てて、折れた。
 一際大きな叫びを上げて巨人が倒れる。
 ニトロももんどりうってフロアに転がる。
 周囲から、歓声が上がった。
 ニトロはすぐさま立ち上がり、巨人の様子を確認した。フロアに倒れ泣き叫ぶ巨人の膝の皮膚は破け、そこから白い骨が露出している。血が噴出している。
 歓声が、そのあまりの凄惨さに悲鳴と変わる。
 しかし間近で傷を見たニトロは、その骨が本物でないことを見抜いていた。解剖学も大事ですよと、ハラキリが叩き込んでくれた知識との照合。よく似ているが、人工関節周りの組織は人間のものとは違う。血を噴出していた血管も、明らかに『管』だった。
 こいつはアンドロイドで間違いない。
 そう、相手が巨人型のアンドロイドであることをはっきり知った時――ニトロは慌てて巨人から離れた。
 一瞬遅れて、ニトロがいた場所にバヂンと音を立てて巨人の手が落ちる。
 もしそのまま立ちすくんでいたら、ニトロは巨人の手の下で昏倒していただろう。
(――意心没入式マインドスライド、か?)
 こちらを睨む巨人の無数の瞳は、怒りに燃えていた。恐ろしい眼だとニトロは思った。
 痛覚がないはずのアンドロイドが目にダメージを受けてのけぞったのは、操縦者の『人間としての反射』が反映してしまったからだろう。そう考えれば、攻撃を避けられた後の慎重さも――やり難そうにしていた印象も――理解できる。
(……にしても、随分と脆いな)
 片足を殺された巨人は、それでもフロアを這ってニトロに迫った。
 這い進みながら、何度もニトロを叩き潰そうと手を振り落とす。
 何度も振り落とされる攻撃を冷静にかわしながら、ニトロは思った。
(造りが悪いってより、むしろこういう風に造ったのかな)
 巨大な人型ロボットの下半身への負荷は有名だが、それだけに対策が施され頑丈に設計されるのが常だ。少なくとも人間の体当たり程度で『開放骨折』を起こすはずがない。加えてツッコむなら、この傷の無駄なリアルさは一体何だ。
(まさか演出? だとしたら、それこそ誰が何のために?)
 考えながらも、ニトロは巨人に投げつけた携帯電話の位置を確認し、素早く回収した。機能の幾つかが使用不可になったとしても簡単に失うわけにはいかない道具だ。
 それから彼は、自分を叩き潰そうと手を振り下ろしてくる巨人との距離を保ちつつ、巨人に『止め』を刺せるものを探しながら、やがてざわめきが支配する構内の外へと向かっていった。
 そのうちに、気づく。
(どこも閉じ込められているのか)
 先のファストフード店だけではなく、構内の店舗全ての出入り口が閉鎖されていた。店内にはそれぞれ外に出ようと試みる者が見える。が、ドアは開かない。警備用、清掃用、ストアスタッフ用、目に入る限りのロボットやアンドロイドも役割を放棄している。この分では、ここら一体の主たるコンピューターの全てがクラッキングを受けていることだろう
 ――ならば、
(芍薬……)
 きっと芍薬も攻撃を受けている。
 ニトロは不安に駆られたが、しかし、すぐに考え直した。
 芍薬は大丈夫だ。例え相手が王家のA.I.だろうと負けはしない。
 何故なら芍薬は、あのクレイジー・プリンセスをも悩ませる『戦乙女』なのだから。

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