ハラキリ・ジジは、南大陸最大の国際空港にいた。広い待合ロビーの大モニターには、現在アデムメデス国際空港の
(今頃ニトロ君は『通路』の中ですかね)
モニターにティディアが大写しとなった。正装した第一王位継承者は、見送りに出てきた妹弟に笑顔で何かを語りかけている。午後十時を回っても多くの客がベンチを埋める待合ロビーが、大きなため息に包まれた。
「きれー、姫様きれー」
数十列と並ぶベンチの最後尾の端。そこから周囲を眺めていたハラキリは、ふと無邪気な声に目を引かれた。二列前の席で、目尻に見た目の年齢にはそぐわぬ皺を刻んだ女性が、隣できらきら顔を輝かせる女の子に笑顔で応えている。
そのやり取りに耳をそばだて――ハラキリは苦笑を浮かべた。母親が『ニトロ様』と名を出し、娘が『けっこん式』と言ったのだ。『はやく姫様のウェディングドレスを見たいわ』と、ませた口振りで。
母娘は想像だにしていないだろう。
その結婚式の新郎と目される少年が、群衆取り囲む王城から堀の底の下を歩いて脱出しているとは。王城建設時から存在する秘密通路。その『定期点検』も兼ねて、地下鉄につながる狭い路を進んでいるとは。
母娘の会話は、娘のお姫様への憧れで輝いている。ニトロ様と結婚した姫様がどんな暮らしをするか、子どもらしい夢全開で語っている。
ハラキリはまた一つ『トップシークレット』を知ってしまった……否、教えられてしまった友に、この話を録音して聞かせたらどんな顔をするだろうと想像して危うく吹き出しそうになった。きっと、彼は面白い顔で吹き出す。それをまた想像し――
(まずいまずい)
いきなり笑い出したら注目を集めることは必至だ。
ハラキリは想像力を停止させるため、モニターへ意識を集中した。
カメラが、ティディアの双眸がわずかに赤らんでいることを捉える。呼応して実況するアナウンサーが「泣かれたのでしょうか」と“気遣い”を最大限にして言う。それはもちろん恋人とのしばしの別れを忍んで涙を流したことを示唆したものであり、もちろん、聴衆の中にそれに対する異議を持つ気配はなかった。
「ニトロくん、なんでついてってあげないのっ?」
色恋に敏感なのか、先の女の子がアナウンサーの意図を的確に受け取り憤慨して母に問うている。母親はニトロ・ポルカトがまだ私人であることを聞かせたが、そのような事情にはまだ疎いらしい娘はしばらく母親に文句をたれた後、最後には「姫様もたいへんね」とまたませた口振りで言った。
ハラキリは笑いを堪えるのに必死だった。全く、彼をこの場に連れてきたい!
やがて式典を終え、ロディアーナ家の紋章が描かれた
国民に向かって手を振る彼女の傍らにはモーニングコート姿の執事がいる。
他国に赴く際のドレスに身を包む蠱惑の美女と、マリンブルーの宝石を瞳に持つ男装の麗人。
そこには素晴らしい華があった。
思わずといったように、ロビーのそこかしこから拍手が鳴り響いた。
ハラキリは脇に置いていたビジネスバックを手に取り、席を立った。王女の姿を見る人の邪魔にならないよう、それらの背後を選んで通路を歩いていく。
少ししたところで振り返ると、写真撮影用、テレビ中継用と向きを変えてしばらく手を振っていたティディアが船内に入っていっていた。あの母娘は――娘は熱心にモニターを見つめ、母は娘を愛しげに見つめている。
「……」
ティディアが船内に消えたことで席を立つ者の姿が目立ち始めたロビーを今一度ざっと見渡したハラキリは、そこで世間話用の――あるいは対親友用からかいネタの――情報収集を終え、そろそろ目的の便が着く頃合だと歩を進めた。
一般用の到着口を素通りしてターミナルの端まで歩き、突き当たりにあるスタッフ通用口に向かう。と、警備アンドロイドがハラキリの行く手を阻み、しかしすぐに道を開けた。ポケットの中の通行許可証に反応しての行動だった。
「予定通リ運行シテオリマス」
通用口の扉を開け、アンドロイドが言う。
ハラキリは中に入るとしばらく職員通路を進み、途中でトイレに立ち寄った。
洗面台の前に立つと、鏡には
ハラキリはバッグの中から大豆大のカプセルを取り出し、それを頬に当てた。すると彼の肌を浅黒くしている――
両手の肌色を変えていたデコレーション・スキンも回収し、変装グッズをバッグにしまったハラキリは、最後にスーツの着崩れを整えてからトイレを出た。
まっすぐ指定されたエレベーターに向かう。
エレベーターに乗りこむと通行許可証を用いて特別な操作を行い、通常では行くことのできない最深の階に降りる。
エレベーターを降りた所で今度は三体のアンドロイドに取り囲まれた。厳重なセキュリティチェックを受け、それから短い通路を通ってようやく――ハラキリは、どのフロアマップにも記載されていない空間に辿り着いた。
そこは、要人専用の出口だった。
簡素だが清潔感溢れるロビーには人影の一つもない。アンドロイドの姿もない。目視できる厳重な警備網は外にあり、
ロビーの外には黒塗りの高級車が停められていて、しばらくすると、一台のロボットが大きなトランクを二つ運んできた。
(おや)
意外にも一つずつか、と、ハラキリは思った。まあほとんどの荷物は先に最後の
ハラキリは自分のバッグも積んでおくようロボットに渡し、それから客が出てくるはずの専用エレベーターの前に立ち、待った。
退屈な数分が過ぎ……
エレベーターの到着音が静かに、鳴った。
扉がスライドし、先に出てきた二体の警備アンドロイドの間を抜けて、女性が二人、ハラキリの前に現れた。
一人はハラキリより若干背が低く、落ち着いたフェミニン系の服に長い金髪を流し、大振りで洒落た帽子を被っている。とても華奢ではあるが、しかし病的ではない。儚げな雰囲気は妖しさすら漂わせ、少女と大人の境界にある美貌には幻惑されるような特有の魅力がある。
もう一人はハラキリより若干高く、ボブカットにした金髪を先端に向けてグラデーションをかけて黒く染めており、右目を隠すように前髪を垂らしている。フェミニンな片割れに対してボーイッシュな服装をしているから、ともすると無愛想な少年に間違えられそうだ。
そして、二人共に、特徴的な耳をしている。
ハラキリは軽く一礼した。立場的には本来最大の礼をもって迎える相手であるが、それは前もって通達された『要望』で禁止されている。彼は、営業スマイルを浮かべて言った。
「ようこそ、アデムメデスへ」
すると、若干背の低い方――ハラキリから見てちょうどニトロと対面している格好となる背の女性が、薄羽の軽やかさで彼の前に歩み寄り、
「久しぶりだね、お兄ちゃん」
思いがけぬ、というか予想できるはずがないまさかの先制攻撃を受け、ハラキリは派手に吹き出した。