ニトロは、ティディアの言い分にすぐには対応できなかった。随分買い被られたものだとも思うし、その根拠も気になる。何より、言い回しに違和感がある。まるで、自分にはできないと、姉であるティディアが言っているような――
と、その戸惑いを見透かしたかのように、ティディアが思わせぶりな眼差しをニトロに送った。その瞬間、ニトロはティディアの次のセリフを悟った。全てはこのための前振りか!
「何なら後宮制度を復活させて、ミリュウを第二夫人にしてあげる。ニトロが私達の中に入れば、ほら問「芍薬ゴーッ!」
「ロケットパンチッ!」
「なんのッ!」
一度目よりも『本気』だとしても、二度目とあらば軌道は読める。ティディアは身をよじって首をすくめ、飛来したアンドロイドの拳を避けた。
見事だった。腰から下は微動だにせず、上半身のみをくねらせた超絶妙技な体捌き。
しかし彼女はうっかり忘れていた。
その身を包むドレスはかなり際どいビキニ状態。ダンス用であればまだしも、あまりに想定外の動作に際どく彼女を包む布地は対応しきれない。
肩紐がずり落ち、片乳房がぽろりとこぼれて、ぽゆん。
「あ」
ティディアがそれに気づいて声を上げる。しかも彼女は今回――本気であわよくばと思っていたためニプレスを付けていなかった。ドレスの形状的に当然ノーブラだ。
「……」
ニトロは閉口した。
「……さて」
彼は立ち上がり、いつでも次のロケットパンチを放てるよう構える芍薬に言った。
「とっくに用事も済んだことだし、帰ろうか」
「承諾」
「やー! ちょっと待って! 事故よ事故! これは純然たる事故なのよ!」
慌てて立ち上がり、ティディアは扉の前に先回りした。扉の横にはにこにこと至極楽しそうに情景眺める女執事がいる。目で指図をすると、ヴィタは僅かに立ち位置をずらした。それだけで、扉を開けるにはとても邪魔な位置に。
「お願い、まだ時間があるんだからもっとお話ししましょうよ!」
「うるさい。さっさと片付けろ」
「ええー! 何そのヤなもの見たって目! さすがに女として傷つくわ!」
抗議しつつも顔を赤らめいそいそとドレスを直し、それから再びニトロの前に両腕を広げて立ち塞がる。
「私のおっぱい
「だから何でお前は恥ずかしげもなくそういうことを言えるのかな!」
「好きな男を落とすためなら恥も外聞もないわ!」
「いやだから何度も言ってきたけどそこは恥じらいを持てよ!」
「いやぁん。
こうね!?」
「ロケットパァンチ!!」
「独断専行!?」
芍薬の不意打ちをティディアは素晴らしい反射神経で再び避ける。しかも今度は乳房がこぼれる間際にドレスを整えて。
その一連の動きに、ニトロも芍薬も驚愕した。
ティディアの能力の高さは十二分に承知しているはずなのに、彼女が今見せた動きはそれにしても凄まじい。必死な人間の底力――そんな凄みすら感じさせるものだった。
そして、
「ア」
と、芍薬がうめいた。
避けられたロケットパンチの軌道上にはヴィタがいた。そして、どうやら彼女はニトロと主のやり取りをもっと眺めていたいと希望しているらしい。
――『流れ拳』を、完璧に掴み止められた。
ワイヤーを巻き戻そうとするがびくともしない。いくらヴィタが怪力とはいえ強すぎる。芍薬がアイセンサーのモードを変えて執事の体を検めると、
(パワードスーツ!)
極薄型の、介護用として使われているそれが女執事の体に貼りついていた。元より怪力を誇る彼女がそのサポートを得れば、アンドロイドの力と張り合うことも――可能だと、まさに今、証明されている。
「初メカラコノツモリカイ!」
ティディアは、芍薬の怒声がヴィタのパワードスーツに気がついてのものだと察した。
無論、ヴィタも。
「いいえ、これはボディガードとしての用意です」
それは一応の筋は通る理由だった。だが、現状信用はできない。
「主様『ビーム』ヲ撃ッテイイカイ!?」
「ビーム!? うわ待って芍薬ちゃん! 本当に事故なの! 七日もニトロと会えなくなるんだから、本当に会話を楽しんで充電していこうと思っていただけなのよ!」
「じゃあ、あのベッドは何だよ」
「だからあわよくば使おうって、さっき言ったじゃない」
「うん。で? どうやったら『あわよくば』って状況になるんだ」
「ニトロが興奮したら」
「今、このように? 死んでも帰りたくなるくらいに」
「否、私の体に劣情もよおして。ほら、よく考えてみたらニトロが私に『誘惑されてるのかと思った』って言ってくれたのこのドレスだけじゃない?」
「その時とは色んな状況が違うだろう。それにやっぱり無理な誘惑してくるつもりだったんじゃないか」
「無理ってまたひっど! それじゃあどれだけ無理か――ほら! 証明してみて!」
「ってそれで何で胸を突き出す必要が!?」
「揉んで! 胸とは言わず好きにして! それで駄目なら諦める!」
「え? マジで諦めてくれるの?」
「何でそこに食いつくのよぅ! 違う! 今日のところは諦める!」
「それじゃあ交渉の余地無しだ。帰る!」
「うう、何だか泣けてきた……私、そんなに魅力がないの?」
「俺以外にはあるんじゃないかな」
「冷静にありがとう! でもニトロ以外じゃ意味がないの!」
「やっぱり堂々巡りだなぁ」
「もー! だから何でそんなに冷静なのよ!」
言葉を重ねるにつれ冷静を沈着させていくニトロに対し、ティディアは地団太踏んで悔しがる。しまいには本当に涙目になって、ティディアはニトロを睨みつけた。
うっかり事故が招いた劣勢を覆せないことが腹立たしく、己が原因と解っているのについついニトロを責めたくなってしまう。しかしそれは筋の通らぬこと。だからといって己を責めてみせてもニトロには演技と思われてしまう。そしてこのまま彼は帰ってしまうだろう。それは嫌だ! 嫌だが、八方塞のこの状況をどうすればいい!?
(どうする? どうする!?)
今一度ティディアは考えた。この状況からの展開を一呼吸、二呼吸の内に可能な限り想定し、鑑み、三度目は大きく息を吸い――
そして、突然、ティディアは踵を返した。
「?」
颯爽とソファへ戻っていくティディアの姿は、扉へ向かいかけていたニトロの意表を突いた。思わぬ展開に彼の足が止まる。芍薬も、ヴィタすらもが動きを止める。
皆、同じ疑念の中で一様に驚いていた。
あのティディアが――退いた?
「『あわよくば』って言った通り……下心は、たっぷりある」
ティディアはソファに座ると背筋を伸ばし、胸を張り、ニトロを真っ直ぐ見つめて言った。
「でも、今のは事故。それは本当。希望としては、ニトロにおでかけのキスをしてもらって、そこから盛り上がっていきたかったから、あんなのは考えてなかった。それ以上に、ニトロとそうなれるなんて本気では考えていなかった。それが分からないくらい、私は馬鹿じゃない」
ティディアの告白は、少なからずニトロと芍薬に衝撃を与えた。
ベッドを用意するなり『あわよくば』なり、警戒心を呼び起こせども信頼できる言動を見せなかったバカ姫が、ここにきてやけに素直に心中を吐露するとは……。
「それでも、無駄だって解っていても、下心くらい持ったっていいでしょう?」
ティディアは言う。そこには疑いようのない真剣さがある。
ニトロは、ソファにきちんと座って自分を見つめる王女を見返した。その言葉の真意を探ろうと。
「同じ星にいるなら何とでもなるけど、ニトロ、あなたとしばらく――どうしても会えないのは寂しい。それも本当。だから、キスくらいしてもらいたかった。でも、この際お出かけのキスも下心もどうだっていい。それより、もっと言葉を交わしてから出かけたい」
「……」
「信じてもらえないのは構わない。帰るなら、もう追わない。『ルート』も今すぐ開けるように命じる。だけど折角だから、せめて料理長の料理を楽しんでいって。ニトロの注文に応えるよう言ってあるから、言えば何でも作ってくれるわ」
どういうつもりだろう――と、ニトロは思った。
「この際どうでもいい……って言うくらいなら、あんな風に俺をハメるタイミングで、あんな『情報』を流す必要はなかったんじゃないか?」
真っ直ぐ向けられるティディアを真っ直ぐ見返し、ニトロは探る。
「お陰で、間違いなく、今、俺とお前はキスしていると思われてる。どうせ聞いてたんだろ? あの歓声」
ティディアはうなずく。そして、言う。
「キスどころか、きっと愛し合っているって思われているはずね」
「だったら――」
「いいえ、それは、手を抜かない。ニトロを手に入れるための包囲網の目を、ニトロを取り逃してしまうくらいに大きくはしない。私は私らしく、あなたを手に入れるのだから。これまで通り外堀をガンガン埋めてやるわ」
勝手なことを言いながら、堂々としたその態度。
開き直っているのではなく、真摯に『あなたをハメていく』と宣言するティディア。
卑怯な正直者と言うべきか、潔い策謀家だと褒めてやるべきか。まあ、確かに実に彼女らしい態度ではあろう。
ニトロは、ため息混じりに言った。
「『お前らしく』って言うんなら、さっさと英断下して諦めて欲しいところだけどな」
「そんなの英断じゃなくて愚行よ。諦めない。絶対に、私はニトロと夫婦になるの」
「そうして『夫婦漫才』の完成か。一体どうしてそこまで執念を燃やすのかな」
再びため息をつくニトロへ、ティディアは何も言わなかった。言いたいことはある。しかし、それは今このタイミングで言うと意味が綿毛のように軽くなってしまう言葉だ。
だからティディアは、ただ微笑だけをニトロへ返した。
「……」
ニトロはしばらく黙した後、芍薬に目をやり、それからヴィタに目を移した。
すると、ヴィタが未だ掴んでいたアンドロイドの腕を離す。
芍薬は何も言わずに腕を戻し、マスターの後ろにつく。
ニトロは――歩を進めた。
「次は問答無用でビームだからな」
ソファにどっかと座り、彼は言った。
微笑を浮かべ続けていたティディアは、そこでようやく内心安堵し、固まって顔に張り付いていた自慢の微笑みを
そして、コーヒーを再び口にするニトロを見つめ、改めて歓喜に顔をほころばせる。
「やー、それはとっても熱そうね」