「うん。それはもう飽きた」
 だが、ニトロには届かない。
 されど、鼻で嗤ってスルーせず、話題として受け止めてもらえれば問題はない。
 ティディアは想定済みの事態に動揺することなく、続けた。
「だから、ニトロと作りたいの」
「……」
「作りたいの」
「…………」
「作りたいのよ」
「ああもう、何をだよ」
「皆が笑える超絶ハッピーファミリーを」
「うっわ、胡散くせ。てか、皆に笑われる前提のハッピーって、そりゃ頭がハッピーってことじゃねえか。ンなもん作りとうないわい」
 ニトロの返しに、ティディアは笑みがこぼれるのを堪えられなかった。自分の言葉を信じてもらえないのは悲しいが、かといって小さな含意も拾ってもらえるのはこの上なく嬉しい。彼の態度を頑なと言うこともできるが、しかしそれは当然のことであり、我ながら矛盾しているが、簡単には信じてもらえないからこそ彼が愛しくてたまらない。
 ティディアの口元に浮かぶ笑みは、ニトロには当然『ツッコミ嬉しい』故の笑みとして映った。
「……お前は、そんなバカみたいなものより、ちゃんと皆がお前を笑ってられるような国を作っておけばいいじゃないか。そうすりゃ、俺とどれだけアホな『漫才』やってようが文句言う奴はいないんだから」
「それはそうだけどねー。でも、それだけじゃ嫌なの。これからはニトロも私と一緒にそういう国を作りましょうよ」
「御免被る」
「もうすぐ選挙権を持つというのにその言い草はないと思うわ」
「いきなり論点を変えるな。それとこれとはえらく話が違うわ」
「もー。それじゃあこうしましょう。一緒に、じゃなくてもいいから、ニトロは私を支えて頂戴」
「支える? 『無敵のティディア姫』を?」
「そうよ。いくら無敵って言ったって人間なんだから。たまには傷つくこともあるの」
「信じられんなぁ」
 ニトロはコーヒーを飲みながら言う。
 ティディアもコーヒーを飲み、ニトロの間合いを少し外してから言った。
「本当よ」
 カップをソーサーに置き、組んだ足に片肘を付き、美しい胸の谷間を強調するように前屈みになってティディアは言う。
「だから……例えば誰かを犠牲にしなきゃいけないような大変な決断をして、心痛めて苦しんでいる時、ニトロが慰めてくれると嬉しいんだけどな」
 ニトロは、片の頬をぴくりと歪めた。
「おかえり、大変だったなって優しく抱きとめてくれて、そのまま一緒にシャワーで涙を洗い落とした後は激しいエッチで一時全てを忘れ去れる快楽をっ。そしたら私は翌日からツヤツヤ元気にお仕事をまた頑張れる」
「……一応確認しておきたいんだが」
「ん? 何?」
「無敵のティディア姫がそういう決断で心痛めて苦しむことなんてあるのか?」
「ふっ、もちろん皆無よ」
「芍薬ゴー」
「ロケットパーンチ」
「意外な!?」
 明らかにニトロのツッコミ待ちだったとはいえ、代理ドツキでくるとは予想外。まともに芍薬の――出力を抑えた――ロケットパンチを額に受けたティディアは勢いふんぞり返ってソファを乗り越え落ちそうになり……しかし堪え切って体勢を立て直し、叫ぶ。
「ちょっと酷い! 芍薬ちゃんのは優しくても痛い! だって拳が文字通り鉄拳なんだもの!」
 ワイヤーを巻き取り回収した腕をかちりとハメる芍薬を背後に、ひとまずここはティディアの期待通りに動いておいたニトロは、お付き合いもここまでだとばかりに言った。
「うるさい。何なら心底軽蔑してやろうか」
「あ、嘘! 本当に嘘! ノリで言っちゃったけど心痛めます! 痛め方が違うだけ!」
「ん? どういうこと?」
「私の仕事は、同情することじゃないでしょ?」
 それではそこを離れたところではどうなのか――とか、同情しつつも割り切っていくということか――とか、同情以外に理解や共感はどう扱うの――とか、ツッコもうと思えば色んな角度からいくらでも切り込めるティディアの言葉。しかし、的を外しているとも言えない言葉。
 ニトロはしばし黙した後、
「……何か、うまい具合にはぐらかされた気がするけどなぁ」
 ため息混じりに、言った。
 ティディアが人の感情を理解できない人間ではないことは、知っている。
 もっとも、このクレイジー・プリンセスの場合、人の感情を理解した上でそれを利用したり操ったりできるのが厄介で、さらに最悪蹂躙していくところが問題なのだが……。
「まあ、でも、確かに大変だよな」
 ニトロは冷め出したコーヒーを飲み干して、言った。
 その様子が、何か思うところでもあるのかやけにしみじみとしていたから、ティディアは興味を引かれて訊いた。
「何が?」
「王女様をするのも、だよ」
「あら、分かってくれてるんなら――」
「お前は大変そうに見えない。ミリュウ様のことだ」
 ニトロから意外な名前が飛び出してきて、ティディアは目を丸くした。色々と思い当たることはあるが、それらを勘の鋭い彼に悟られないよう巧みに隠して問う。
「ミリュウが?」
「学校に行って、公務に励んで、会社も経営して、あと何時間かしたらお前の代行だろ? 顔色悪かったぞ。ちゃんと休めてないんじゃないか? 民を導く王女としちゃ、それは駄目だろう?」
 アデムメデスには美徳として『よく休み、よく励む』というものがある。そこを絡めてのニトロの言葉ではあったが、その裏には姉としてちゃんと支えてるのか? という責め句が隠されていた。
 無論、それに気づかぬティディアではない。
 彼女は言った。
「ちゃんと無理のないようにスケジュールを組ませているわ。けど、そんなに顔色悪かった?」
「悪カッタヨ」
 と、芍薬も言う。
 ティディアは、今朝のATVで流れたインタビュー後の映像を観て、二人がそう判断したのだと察した。
 そして、ニトロの指摘と、芍薬の追認に舌を巻く。
 心中で何事かを企んでいる妹を思いながら、ティディアは扉の傍でこちらのやり取りを観劇しているヴィタに目線を送った。
 執事がうなずき部屋の隅に向かう。
 ティディアはニトロに目を戻し、
「昨夜は一緒に寝たけど、大丈夫だったわ。ちゃんと寝ていたし、今朝も元気だった。代行の件にはプレッシャーを感じていたけどね」
「優しい人だからなぁ。明後日議決される案件には、本当は反対したいんじゃないか?」
「んー、そうねぇ」
 ニトロが触れたのは、西大陸の二大案件だ。
 一つは新しい国家事業の執行のために犠牲になる民が出、もう一つは古い国家事業の廃止のために犠牲になる民が出る案件。
 どちらも『犠牲』を少なくすることは可能だが、それには引き換えに執行・廃止それぞれの意味と効果を『犠牲』にする必要がある。それを是とする妥協案もあるが、王国――ティディアは、西大陸の貴族と政治家に対しこの件に関する妥協を一切許さなかった。
 性質的に人の苦しみを強く感受する人間であるミリュウには、ニトロの言う通り、とても苦しい行動を取らせることになるだろう。
「だとしても、あの子は王女よ」
 ティディアが、ふいに王威を帯びた。
 ニトロはティディアの言葉が意味するものを飲み込み、おそらく、それはミリュウ姫も敬愛する姉から直接叩き込まれているのだろうと察し、またしみじみと言った。
「本当に、大変だ」
「そうねー」
 一瞬前の王女の顔はどこへやら、今度はまるで他人事のようにティディアは言う。
 ニトロは苦笑するしかなかった。同じ王女、同じ血を分けた姉妹でこうも違うと、どう反応してどう対応していいのやら判らなくなる。
 ――と、
「おかわりを」
 ふいにヴィタがコーヒーサーバーを持ってニトロの横手に現れた。
 いかに床が絨毯で覆われているとはいえ、足音も気配も立てない猫のような現れ方にニトロは驚き……やおらうなずいた。
「いただきます」
 プシッと、香味も温度も保つサーバーの封が切られる音がして、空となっていたニトロのカップに暗褐色の液体が注がれていく。
「ところで」
 前もって淹れておいたコーヒーをニトロが“おかわり”してくれるのを嬉しく思いながら、ティディアは言った。
「前からちょっと思っていたんだけど、何でミリュウには『姫』とか『様』付けなの?」
 コーヒーを注ぎ終えて下がるヴィタに会釈し、それからニトロは言った。
「そりゃあ、俺にとっちゃ王女様だからだよ」
「家族なのに?」
「お前の頭は本当にクレイジーだ。何で家族だ、俺とミリュウ姫が」
「ニトロは私の夫じゃない? てことはミリュウは義妹いもうとじゃない。公の場でもないのに義妹をそう呼ぶのは変じゃない? いってもさん付けよ」
「うん、分かってた。お前がそう言うだろうなーってことは分かってた。けど、そうじゃないだろ? 妄想は胸に秘めておいてこそ花が咲くってもんだろう?」
「妄想じゃなくて、現実なんだけど」
「堂々巡りをしたいのか? それは、明らかに妄想だ。
 ……とにかく、それでも、もっと大事にしてやれよ。お前のことをあんなに慕ってくれてるんだから」
 そう言われて、ティディアの脳裡に昨夜のミリュウとの会話が思い出された。
 私のピアノに涙を浮かべていたミリュウ。私の胸に抱かれていたミリュウ。姉弟三人で眠ったベッドの上で、静かに寝息を立てていた可愛い妹。
 産まれた時から私を愛している、ミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナ。
「そうね」
 我が腕の中で産声を上げた妹を思いながら、ティディアは言った。
「帰ってきたら、ちゃんと慰めてあげないとね」
 ニトロは微かに笑み、カップを手にして言った。
「そうしてやれ」
「そうするわ。性的にたっぷりと」
「ブッ!」
 ニトロは口に含んでいたコーヒーを噴き出した。
 勢いたらりと鼻から一筋こぼれる。
 その様子にティディアが手を合わせて顔を輝かせる。
 ニトロは口と鼻から垂れたコーヒーを手の甲で拭い、カップを戻し、
「何でそうなる!?」
 それは実に素っ頓狂な声だった。も一度勢い鼻から一筋か細くコーヒーが、たらり。
 ティディアは頬を一層喜色に染め、合わせた手をぱっと開いて答えた。
「だって、私、ニトロに激しいエッチで一時全てを忘れさせてもらいたいって言ったじゃない? てことは流れ的にはそうなるじゃない」
「流れで決めるな実の姉妹だろう!」
「あの子なら問題ないわ」
「問題特盛りだボケェ!」
「もー、そんなに言うならニトロが慰めてあげてよ」
「は? 何で?」
「ニトロなら、あの子のことを助けられるから」

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