予定通り八時に迎えに来た飛行車スカイカーで、ニトロはティディアの待つ王城へ向かった。
 城は早朝からマスメディア関係者や民衆に囲まれている。その人数たるや凄まじく、城の周囲の広大な公園内、その立ち入り規制区域外にはもはや隙間もない。
 ――十時になれば、久しぶりに他国を訪問する際の正装をまとった王女が、城門から歩み出てくる。
 それを今や遅しと蠢きざわめく人の海を越え、城を囲む小さな湖ほどもある広い堀も越え。ニトロと、途中で拾い上げたアンドロイド(ハラキリが手配してくれたものだ)を乗せた飛行車は通用門城外脇の発着スペースに……
「あれ?」
 降下する感覚を受け、ニトロは慌ててドライバーに訊いた。
「城内に降りるんじゃないんですか?」
 本来の身分は警護官であるらしい無口なドライバーは、ニトロを一瞥することなく警戒の目を周囲に配りながら、
「こちらに降りるよう命令を受けています」
 短く、強い意思を込めて言った。
(――やられた)
 ニトロは着陸地点の変更を訴えても無駄だと悟り、そして胸中に嘆息を漏らした。
 先ほどの独占インタビューを、ここにいる人々は間違いなく見ていただろう。
 その上で今ここに『ニトロ・ポルカト』が姿を表せば、間違いなく、弁当さておきお出かけのチューをしにきたと思われること確定だ。情報が新鮮なだけに盛り上がりも大きいだろう。
 ティディアめ、これが目的であの時間に流すことを条件にしてやがったな……ッ。
「主様?」
「しょうがない」
 スーツに身を包んだ女性型のアンドロイド――それを操作する芍薬の気遣う言葉に、ニトロは潔く応えた。ここでごねても色々無意味だということは、類型の事態を通じて嫌というほど体験してきている。
 飛行車は静かに、速やかに、大昔は船着場であったという発着スペースに着陸した。即座に通用門から警備兵が駆け寄ってくる。
 ニトロは先に下りた芍薬に続いて、
「ありがとうございました」
 嫌味のないようドライバーに礼を言って外に出た。
 飛行禁止区域内を進む飛行車スカイカーはただでさえ注意を引く。車から降りたのが『ニトロ・ポルカト』だと気づかれるのに一瞬の猶予もなかった。堀の対岸から怒号のような歓声が沸きあがる。その大声量に押されるように、あるいは逃げ出すように通用門を素早く通り抜けたニトロは、出迎えにきていた女執事を見止めるなり目を細めて言った。
「冷や汗をかいたよ」
 まだ、歓声や自分の名を呼ぶ声は止まない。『チュー』とか『キス』とかその手の単語を耳にする度に、顔面の所々が痙攣する。
 ヴィタは、弁当袋を手に提げ、本当に冷や汗を浮かべている少年の険悪な表情を見て微笑み、
「人気があるのはよろしいことです」
「それは嫌味にしか聞こえないなぁ」
 半分現実逃避じみた返しに、ヴィタは愉快そうに目を細める。
 と、そこに、芍薬が数日分の弁当が入った携帯冷凍箱フリーザーボックスをヴィタに突き出した。
「約束ノ品ダヨ」
「ありがとうございます。私も楽しみにしていました」
「そりゃどうも」
 不貞腐れているようなニトロに丁寧に頭を下げ、ヴィタはマリンブルーの瞳を輝かせて芍薬からフリーザーボックスを受け取った。それからその『宝箱』を先に車に積んでおくよう部下に渡し、ニトロへ向き直ると執事の顔を見せて言う。
「こちらへ。ティディア様がお待ちしています」
 今日の弁当は『直接手渡すこと』と、出立前に『お話しすること』が約束だ。ニトロは面倒に思いながらも、しかし確実な『安全保障』を保持するため、素直にヴィタの後を追った。
「? 自室じゃないんだ」
 城に入り、ヴィタの後を歩きながら、ニトロは向かう先がティディアの私室でないことに気がついた。
「はい」
 ヴィタは涼やかに、振り返りもせずに答えた。
 ニトロは頭の中に見取り図を描き行く先を考えたが、どうも応接室でもないらしい。
「何かよからぬことを企んでる?」
「いいえ」
 ヴィタはやはり涼やかに、振り返りもせず答え――それから付け加えた。
「企みと言うには可愛いことです」
 彼女が立ち止まったのは『舞鳥の間』と呼ばれる広い部屋の前だった。ニトロの記憶が正しければ、がらんとして何もない部屋のはずだ。一面大理石の床。元々は王と王妃が二人で、あるいは家族でダンスを楽しめるように作られた場所。時にプライベートなホームパーティーも開かれるという。
「どうぞ」
 ヴィタが扉を開けると、そこには、
「ぶッ!」
 思わず……扉のすぐ内側まで出迎えにきていた女のあんまりと言えばあんまりな格好に、思わずニトロは吹き出した。
 そこに立つ女性はかなり際どいビキニ状態の、光の加減で虹色の玉虫のように彩りが変じるドレスを着ている。いや、下半身を覆う布切れの、左半分だけがロングスカートになっていたから辛うじてそれをドレスと思えたわけだが……最近、奇抜な格好を見ていなかったからインパクト絶大。さらに網膜に突き刺さった衣装が見覚えのあるドレスだったために余計に効いた。
「いらっしゃい」
 ティディアは、ニトロの反応に至極満足そうに微笑んだ。
「ナンノツモリダイ」
 ニトロがティディアと初めて対面した時――あのホテル・ベラドンナでの『死刑宣告』の折に着ていたドレス姿のティディアに芍薬が問う。さらに部屋の様子を見て、一歩前に出てマスターを庇うように立つ。
「ただのちょっとした演出よ」
 舞鳥の間には、ホテル・ベラドンナの超VIPルームが再現されていた。モニターを使ってホテルから見える外部の様子も造られている。大きく違うのは、部屋の奥の隅にキングサイズのベッドがあるくらいか。
「……ああ、あれはあわよくば。ニトロが興奮した時にだけ、使うつもり」
「誰が興奮するか。むしろ血の気が引いたわ」
 ニトロの言葉にティディアは小さく首を傾げてにこりと笑い、
「さあ、『そんな所に立ってないで、こちらに来なさい。コーヒーを用意してあるから』」
「……」
 ニトロは、上機嫌な宿敵を黙したまま見つめた。
 しかしティディアはニトロの視線を気に留めずに踵を返した。
 スカートの裾が綺麗に広がり、生地の中にある銀糸が所々できらめく。
 大きく背中が露となったそのドレス。当時錚々そうそうたるモッシェル銀河系社交界の要人達を魅了し、メディアでもセクシーだと散々もてはやされたものだったが――やはりニトロにはどうしても“セクシー”だと思えない。武装だ、これは。

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