<熱い愛の詰まったお弁当、楽しみにしているわ。約束通りお出かけのチューもたくさんしてね
 ニトロは、芍薬に訊いた。
「『コルッペ』のオイル漬け、どこにしまってあったっけ」
「ハイ」
 質問を受けるよりも早く、芍薬は棚から保存瓶を取り出していた。
 ニトロは芍薬との以心伝心っぷりに、にっこりと笑った。
「ああまで言われちゃ、お望みに応えないとね」
「御意。応エナイトネ」
 コルサリラ地方特産の、一齧りすればあまりの辛さに全身が火照り大量の汗が噴き出ること請け合いのトウガラシ――『コルッペ』ことコルサリラペッパー。肉厚である果肉はキュウリに酷似し、オリーブオイルに漬けるとそのピクルスそっくりになるのが特徴だ。漬け油を辛味調味料として用いたり、みじん切りにしたほんの少量をパスタやピザに使ったりするのが代表的で、時々運試しの『ピクルス・コルッペ・ルーレット』にも使われる。
 ニトロは薄くスライスしたコルサリラペッパーを、パストラミとチーズにあわせてパンで挟んだ。
 間違えないようにティディア用の弁当箱に納め、よしとうなずく。
「コレハシマッテオクネ」
「うん、よろしく」
 多目的掃除機がアームを伸ばしてコルデンチリペッパーの瓶を掴み、どこか楽しげに元の場所にしまう。それを横目にニトロは手を洗ってからヴィタのサンドイッチ作りに取り掛かり――
 ふと、点けっ放しのモニターに、先日販売を開始した新ブランド『ラクティフローラ』の何度目かの特集が映し出されていることに気づいてぼんやり言った。
「最近……露出が増えてきたね」
「露出?」
 モニターの右下隅にいる画面内の芍薬が映像を見上げて……そして、うなずく。
「アア、ミリュウ姫ダネ?」
「そう」
「ソウダネ、確カニ最近ハ凄ク出テキテル」
 本日正午からこの星の最高権力を一時預かる少女は、新ブランドのイメージキャラクターとして彗星のごとく現れたアイラ・リュートの横で、人を和ませる微笑みを浮かべてリポーターの質問に応えている。
 ニトロは、何となく外見のイメージが芍薬と被る新人モデルを見ながら、言った。
「頑張ってるよなぁ」
「御意」
 本当に、よく頑張っていると思う。聞けば無名のモデルであったリュートを発掘してきたのはミリュウ姫自身だというし、ブランド発表後のプロモーションも、発売開始後の経営も、責任者として彼女は見事に務め上げている。
 心無い――しかし本人はなぜか喜んでいるという――『劣り姫』という二つ名で呼ばれている彼女ではあるが、しかし能力だけを見れば歴代の王子女の中で格段劣っているわけではない。いや、長年ティディアの薫陶を受けているだけあって、むしろ秀でている方であろう。
 それなのに、彼女は『劣っている』とどうしても思われてしまう。
 ――単純に、上と下の姉弟が例外過ぎるために。
 その理由は周知の事実でもあり、それもあってか、『劣り姫』と言いながらもミリュウ・フォン・アデムメデス・ロディアーナを悪く言う人間は少ない。心無い二つ名を付けられてはいるが、決して悪く思われているわけではないのだ。周囲に和みを与える笑顔は、人徳者で知られる現王・王妃の性質を兄弟の中で最も引き継いでいることを確信させる。その柔和な人格と、その家族思いで常識的に真面目な王女にはほとんどの国民が好感を得ている。好感を得てはいるが、ある意味では悲劇的なことに、それ故に存在感が薄い。
 ニトロの持つ認識も、それは概ね変わらない。
 ミリュウ姫は『敵』の妹であり『敵』を信奉する人物であるが、だからといって特別注意を払う相手ではない。ドロシーズサークルの一件では疑いをかけもしたが、それも考えうる可能性の中ですぐに低ランクに処理した程度。あくまで彼女はクレイジー・プリンセスの周辺情報の一つに過ぎず、国民としての立場からすれば、目立たなくて害のないまさに優等生の王女様だ。
 が――
 ニトロは、時折、王女として“優等生”であるミリュウの方が次期女王として適切なのではないかと思う時があった。
 覇王になぞられて語られることの多いクレイジー・プリンセス……そしてあの暴走っぷりを身に沁みている自分だからこそ、現在進行形でティディアが行っている王国の改革または補強に区切りがついた後は、アクの強過ぎる姉より安定・定着に向いているであろう妹姫の方が適しているのでは? と。
 誇張ではなく身も心も捧げようという盲信的な『マニア』を生み出すティディアは、同時に彼女に依存せねばやっていけない人間も生み出してしまう。事実、それ故にティディア自身に切られた『ティディア派』の貴族や政治家も数多い。元々は優秀かつ大胆であったのに、ティディア様に咎められたくはないと自己の長所を自ら消してしまった人々。あるいは、ティディア様の言うことだけが正しいと思考を止めてしまった人々。無論ミリュウ姫もそうなる危険性はあるが、姉の言うことは絶対――である彼女は、逆にそうであるが故に……姉がそれを望まぬが故に、決してそうはなれない
 覇王になぞって語るならば。
 一国に統一されたアデムメデスを、本当の意味で『国』と呼べるまでに定着させたのは『聖母王』と呼ばれる二代女王だ。悲劇的な人生を背負う彼女が秀でていたのは調停者としての力だったと語られるし、人徳者であったという像を鑑みてもミリュウ姫に重なる。
「……頑張ってるよ、本当に」
 ニトロは感嘆を込めてつぶやいた。
 改めて思えば、本当に、彼女の姉弟は例外過ぎる。類稀なる美貌と才覚を備えた希代の王女。歴代王子の中で最も可憐と謳われ、齢七つにして工学に非凡な才能を見せる天才王子。
 あれだけ優秀すぎる姉弟に挟まれてしまっては、正直苦しいことが多いだろうとニトロは思う。自分がその立場だったなら、心を折ってしまっていたかもしれないとも思う。
 しかしながらミリュウ姫は決して腐らない。姉と弟を事あるごとに讃え、愛し、支えている。さらには王女という重圧凄まじい立場に生まれながら、優しく健やかに成長している。
 ――尊敬する。
 同い年の少女に対し、心から思う。
 ――でも、と、ニトロは思う。
 クロノウォレス星に行くにあたって、恋人と会えない時間の寂しさは愛夫弁当で満たすと触れ回る姉について訊かれる妹姫を見て――でも!――と思う。
<お姉様は、いつもポルカト様の手料理を心から楽しみにされています>
<お味についてはお訊ねになったことはありますか?>
<とても温かいお味だと伺っています。お姉様のために食材選びや買い物まで自らなさっているそうで、本当に、素敵な殿方ですね。お姉様が羨ましいです>
 できれば『ニトロ・ポルカト』に対する質問に対し、そんな風に好意的に語るのはやめて欲しい。
 ――もちろん、貴女にそんなことはできないということは解っているけれども。
 なにしろ彼女はシスター・コンプレックスも甚だしい『ティディア・マニア』だ。それも、世界で初めて『ティディア・マニア』を自称し、現在に至るまでそれを公言している最高純度の伝説のマニア。
 例えその胸に『恋人』への不満があったとしても、決して愛する姉のためにそれを口外することはない。神聖なる女神から俗なる『恋人』を排除しようと、簡単に暴走するような『マニア』とはわけが違う。
 彼女にとっては姉こそ全て。『マニア』とは良く言ったものだが、彼女の場合、むしろ真の意味で敬虔なる殉教者と言った方が相応しいかもしれない。ティディアに関わることでどんなに辛いことがあろうとも、それを甘んじて受け入れる。あるいは喜んで犠牲になる。世が世なら、いくらでも、政略結婚の具としてでもハニートラップの蜜としてでも働いていたであろう妹姫。
 あの『映画』の公開時、ティディア姫の頬を拳で抉るというインパクト絶大な登場を果たした高校生……しかも自分と同級生が『ティディアのロマンス』の相手として現れた際にも。
 そのことに対して公開されたミリュウ姫のコメントは、事前の――ニトロも含んだ大方の予想に違わず、満面の笑顔付きの祝福だった。
 ……でも。
 ――でも、と、ニトロはどうしても思う。
 ニトロ・ポルカトが『ティディアの恋人』として世間に認められるだけの“説得力”は、少なくともあなたの発言によってもガンガン補強されているのです。
<お姉様はポルカト様を連れていかないことを、断腸の思いで決断されていました>
<ティディア様は、本当にお辛い決断をされたのですね>
<ええ、お辛そうで、お辛そうで。そのお顔を見るだけで私の胸は張り裂けそうでした>
 ですからそんな風に姉に吹き込まれた風説を、広くめでたく流布するのはやめてください本当にッ! そのしかめっ面がどんなに説得力を生んでいるか解ってないでしょう!
「――それにしても」
 にこやかに『恋人にデレデレの姉』のことを語る妹姫を正視できず、気を紛らわせようと料理に戻りながら、ニトロは言った。
「最近、あまり寝てないのかな」
「ミリュウ姫ガ、カイ?」
 フライパンにオリーブオイルを薄く引き、ニトロはうなずく。多目的掃除機のアームが伸びてきて、ベーコンを巻いた茹でアスパラが並ぶ皿が手元に置かれる。
「化粧で隠してるけど、目の下にクマがある」
 モニターの中の芍薬が、アイラ・リュートと共にブランドをアピールしている姫君を見上げる。
「――言ワレテミレバ、ソウダネ。クマガアル。顔色モアマリ良クナイ」
 そう言って、芍薬は丸くした目を、ベーコン巻きアスパラを炒めるニトロに向けた。
「巧ク隠シテアルノニ……ヨク解ッタネ、主様。凄イヨ」
 感嘆を浴びせられ、ニトロは面映く笑った。
「まあ、観察眼は鍛えられてるからね」
「ア……モシカシテ、褒メチャ悲シイトコロダッタカイ?」
「いやいや、嬉しいよ。あれとこれは別だよ」
 視線を上げると、モニター上の芍薬は心配げに眉を垂れている。
 ニトロは改めて微笑み、
「ありがとう、芍薬」
 マスターの隠し事のない顔を見て、芍薬は嬉しそうに笑った。

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