ニトロは上機嫌で弁当を作っていた。
その手元には空の弁当箱が三つ並んでいる。
彼は二日前から張り切って弁当を作り続けていた。
リビングに置かれている
一昨日の朝は買出しに行って調理は昼から深夜まで。
昨日は一日丸々調理に費やし、継続して今朝の四時まで。
貴重な夏休みを二日半も潰して用意した手作り弁当は、ライスものにおかずを添えた基本型、サンドイッチとサラダの基本型、セットとして各種スープを併せてよりどりみどり。
スープはもちろん出汁から手間と時間をかけてある。
レトルトは一切使わず食材以外は完全手作り。
最終日用にはロールケーキのサービスだ、お茶は自分で用意しろ。
弁当の中身に一つとて同じものはない。ただし例外として、特に『絶対!』と注文されたエビピラフだけは三日目と最終日のものに詰めておいた。
「すぅばーらっしぃ〜」
ニトロはご機嫌極まり歌をも口ずさんでいた。主の手伝いのために忙しく
――本日、正午。
あのバカが、アデムメデスからいなくなる。
たった七日間のことだけど、ああ、それだけで何と素晴らしい平和と自由が訪れることか!
『連れて行かないから! 連れて行こうって“努力”もしないから!』
と、ごねて暴れて泣きつかれ、仕方なく約束させられた弁当作りも何と楽しいことだろう。
どんなに手間のかかる品も面倒とは感じない。
いつもは加えない一手間も惜しまず加える。
正直、これまで作ったどの弁当よりも自信作だ。
小気味のいい音を立てて揚がったミートボールに甘酸っぱい餡を絡め、それを冷ましている間に、芍薬が途中まで作っておいてくれたポテトサラダの味を調える。
「芍薬、最高」
味見をして、ニンジンの火の通り具合や少し形を残したジャガイモの潰し具合等の絶妙さにニトロが目を細めると、壁に埋め込まれたスピーカーからエヘヘと笑い声が漏れ出す。
そして、
「バカノインタビューガ流レルケド、観ルカイ?」
と、壁掛けのテレビモニターにデフォルメされた芍薬の
声に誘われてそちらを見やると、モニターからは斜めの位置にいるこちらに対して映像が正対するよう調整された画面の中で、芍薬のポニーテールが振り子時計のように規則正しく揺れている。上向けられた芍薬の右掌の上には7:05と表示されていた。
「観ておくよ」
後は昨日父から受け取った自家製パンでサンドイッチを作り、おかずと一緒に弁当箱に詰め込むだけだ。ながら作業でも十分できる。
芍薬は早速『
ニトロはサンドイッチ用に切ったパンにバターとマスタードを塗りながら、切り替わった映像を見て小さく驚いた。
(おや、普通の格好か)
そこに現れたのは、肘掛付きの椅子に座る清楚な白いワンピース姿のティディアと、インタビュアーであるベテラン女性アナウンサー、メアリ・リギルスだった。経済・国際情勢に精通する老齢のアナウンサーに応え、嫌と言うほど聞き覚えのある声がスピーカーから華やかに流れ出てくる。
(……予想が外れたな)
最近、あいつは素っ頓狂な格好をしない。選ぶ服装も着こなしも、毎回各ジャンルのファッションリーダーが霞んでしまうものばかりだ。しばらく
ひとまずニトロは映像から目を離し、
<では、今回のクロノウォレス
本格的に本題へ入ろうというメアリの質問に応じ、クロノウォレス建国二十五周年記念式典に出席する意義を語り出したティディアの言葉を聞き、ニトロはまた驚いた。
「あれ? 随分硬い造りだな」
ATVの朝のニュース番組はライトな造りが特徴だ。ゴシップを根掘り葉掘るワイドショーとは言わないまでも、四分の三は芸能や流行に関する情報で占められている。
思えば、インタビュアーの人選も不思議なものだった。
出国前の唯一の独占インタビューであるのだから、てっきり今年大ブレイクのフェムリー・ポルカトが――話題性からもファミリーネーム的にも――相手であり、話もどうせ『恋愛』が中心になると思っていたが……。
およそ二十年前にクロノウォレスで起きた
端的ではあるが要点を抑えた会話が繰り広げられている。
「付加情報、どれくらい出てる?」
ふと気になって問うたニトロへ、見せた方が早いと判断したらしい、芍薬がユカタの懐からデータを取り出すようにして言う。
「多分、番組史上最多」
凛とした王女として映るよう光を当てられているティディアに重ね、ATVから提供される情報欄が表れる。
びっしりと、国際機関の名称や経済用語などのリンクが溢れていた。
関連広告欄には『クロムン&シーザーズ金属加工研究所』など見知らぬ――知る人ぞ知る――企業ばかりが並んでいる。
いつものこの番組では決して見られない光景だった。
こういう付加情報欄は放送前に完成しているもので、そのため通常は静的なコンテンツだ。しかし、今、ニトロはフュエリ銀河系圏――クロノウォレス星とリブン共和星の二カ国が含まれる領域――とアデムメデスが結んだ経済協定の説明へのリンクが加わるのを目撃した。次いでセスカニアン星との技術協力についての文言が追加される。確かに、それは今ティディアが語っている『成果』を理解する上で外せない周辺知識だ。視聴者の指摘を受けて急遽追加したのだろう。
珍しいものを見られた満足感にニトロがうなずくと、もう情報欄は必要ないと察知した芍薬がメニューを消す。
それから芍薬は、どうにも腑に落ちないといった顔をしているマスターを見、その疑問に答えるように言った。
「バカノ指名ダッテサ。メアリ・リギンスガ相手デ、コノ時間ニ流スナラ受ケルッテ」
「あ、そうなんだ」
ニトロはなるほどとうなずき、そしてすぐに沸いて出た疑問に小首を傾げた。
「よく知ってるね」
「コノ時間ニコノ組ミ合ワセハ不思議ダッタカラ、『広報』ニ問イ合ワセタンダ」
「ああ、そういうことか」
芍薬のセリフにニトロは納得してうなずき――ふいに笑った。
「ドウシタンダイ?」
それに気づき、芍薬が怪訝な声を出す。
「芍薬は本当に気が利くから――」
芍薬が王家広報に問い合わせた真の理由は、芍薬自身が『不思議だと思ったから』ではなく、マスターの思考を読み取ってのことだ。そして得た知識をひけらかす形になってはマスターに不愉快を与える可能性があるから、『自分が気になって調べた』という一歩引いた立ち位置に自己を置いて答えを差し出した。
「いつも助かるよ」
芍薬はニトロが自分の思惑を悟っていると気づいていた。が、マスターがそれを言わずにただ感謝を返してくれたことが嬉しくて――そしてくすぐったくて、ユカタの袖で口元を隠して目を細めた。
ニトロは、微笑を浮かべたまま手元に目を戻した。
アスパラの固い皮をピーラーで削ぎ落とし、適度な長さに切り分けて根元の方から湯に通す。BGMとして快適ではない音が流れているが、相手の考えを理解しておくのは戦略的にも戦術的にも無駄ではない。
次はベーコン(父の手作り)を切っておこうと冷蔵庫から取り出し、
<ニトロ様は招待されなかったのでしょうか>
<いくら次期王だって言っても――>
「ッ」
危うくベーコンではなく指を切るところだった。
この硬さだったら『ニトロ・ポルカト』の話題はないと思っていたのに、“ニーズ”に応えて自然な形で差し込んでくるとは……さすがはベテランアナウンサー。
「大丈夫カイ?」
「うん、大丈夫」
「良カッタ。アスパラ上ガッタヨ」
「あ、ありがとう。じゃあ、ベーコンを巻いておいてくれる?」
「承諾」
多目的掃除機がアームを伸ばし、ニトロが切り終えたベーコンを料理用のロボットハンドで掴むと、彼の邪魔にならない場所で器用にアスパラに巻き始める。
<本日はありがとうございました>
モニターに目をやると、メアリ・リギルスが頭を下げていた。
ニトロはそこでインタビューの放送が終わったことを知った。『完全版はこちらまで』とのリンクが画面端に現れて……
ふいに席を立ったティディアが、カメラへ足早に歩み寄った。
「?」
突然の行動にニトロの目が釘付けになる。彼だけではなく、この番組を見る者全ての目も、同じくティディアに注意を引きつけられたことだろう。
ティディアは適当な位置まで来ると、軽く前屈みになってカメラを覗き込んだ。ワンピースの襟元から胸の谷間が覗く。もう少しでブラジャーも見えそうだ。あるいは……つけていない?
<ニ・ト・ロ♪>
手を振り笑顔でティディアは言った。