「そりゃあ嬉しい。お姫さんは、断言してくれたんですよ? 拙者のことを『友達』だと。ニトロ君を通して貴女と付き合う内に、拙者は嫌いだった貴女のこともいつしか友達だと思うようになっていました。ですが、それはこちらが一方的にそう思っているだけ、かもしれない。そこに貴女は言ってくれたんです。『友達』だと。心隠さずに」
 同じことを繰り返し言い、繰り返す度に熱を増してハラキリは言う。
 それをティディアは不思議な気持ちで眺めていた。
 彼が、こんなにも感情を隠さず、それどころか情感を努めて伝えようとしているかのように語るのは初めてだ。
 耳を通して体の内に入ってくるその声に、やけに、心が揺さぶられる。
「嘘も偽りも言わぬ中、貴女は言ってくれたんです、『友達』だと。
 拙者は貴女を友達だと思っていた。そして、貴女もそう思ってくれていた。
 確かにこれはそれだけのことです。それ以上の意義もありませんし、ありえないでしょう。しかし、これはね、お姫さん。この『それだけのこと』は、おそらく、貴女がニトロ君に『愛している』と言われることと同じくらいに、拙者にとっては嬉しいことだったんですよ」
 ティディアは……迷いなくそこまで言い切るハラキリの言葉を、とても嬉しいと思っていた。
 思っていたが……なのに、いまいち、どういうわけか――それを実感できずにもいた。
 おかしな己の心境に疑念を向けながら、彼女はむしろ自分に問いかけるように、ハラキリに言った。
「ハラキリ君にとって、友達、って、そんなにも重要なものなのね」
「ええ。友達にはそれまで持っていた価値観を大きく変えさせられましたからね。友情に関してもそうですが……こう、人生の価値観とでもいうものまで」
「人生の価値観とはまた随分大きいわね。友達がいると人生が楽しいものだ、それだけじゃないってこと?」
「いや……何と言えばいいですかねぇ」
 ハラキリはうつむき、一つうなってから、言った。
「拙者は、死ぬのは怖くありません。こう言うと人として大事な部分が麻痺しているのか、ただそういう格好付けで言っていると思われるかも知れませんが、事実そうでしてね」
 ティディアは、ハラキリがそう感じているのは言葉通りに真実だろうと思った。彼は自分のことを客観的に捉え過ぎているところがあるし、あの『映画』でも常に決死とか、例え戦闘用アンドロイドを前にしても――いくら訓練しているとはいえ少しでもミスをすれば即座に殺されてしまうのに――死ぬ覚悟を感じさせなかった……言ってしまえば自分が死ぬことを他人事のように覚悟していた態度を思えば、彼の言葉が何の飾りもないものだと理解できる。
「しかし、どう死ぬかというのはちょっと問題でしてねぇ。
 例えば国のためというのは拙者には大仰過ぎる。主君のためというのは似合わない。寿命を真っ当というのはどうもできないような気もしますし、真っ当ではないこともしてきましたから、それもどうかなと疑問に思う。それなら放浪の果てに野垂れ死にというのが格好の付く死に様かなと思っていましたが……今になって思うのは、もし友達のために死ぬということがあれば、それが何より満足いく死に方かもしれません」
「くだらない」
 ハラキリが言い終えた瞬間、ティディアは自分でも驚くほど怒りを込めてそう言っていた。
「賛同なんかできないわね。もしハラキリ君の死が『自分のためだった』なんて知ったら、その友達はどう感じると思う?」
 ティディアは、自分の口がハラキリを、自分が意図する以上に強く責めていることを自覚していた。……こんなにも己の心と体を律せないことは初めて――違う、二度目、だった。
 ハラキリは笑っている。
 彼自身、そのように責められるのが当然の価値観だと、そう思っているのかもしれない。
「ま、例え話ですよ。例えるなら、それだけ拙者にとってニトロ君の登場は人生の締めを飾る死生観をも変えてしまうほどのインパクトだった、ということです。『友達』だけではなく『友達という概念』自体まで、ハラキリ・ジジという人間を構成する上でなくてはならない重要な価値観に変えてしまうまでに。……お陰で、その分、軽々しく友達を作ることは今後金輪際できそうにありませんけどね」
 ハラキリはおかしそうに笑って言う。
 ティディアは肩を揺らす彼を、どこか傍観するように眺めていた。
 ハラキリが自身の死生観を例え話に落とし込んでも、その彼自身が『例え話』とは微塵も考えていないことは明白だった。
 私はそれしきのことも判らぬほど不器用で愚かな人間ではない。
 そんな――彼の友達として――この上なくふざけたものでしかない死生観など捨てさせたいし、そうさせねばならないとも……そう思うのに……
 なぜだろう、言葉が出ない。
「まあ、そういうわけで、拙者はニトロ君の友達として、彼が貴女の毒牙にかからないよう助力してきたのと同様に、拙者はお姫さんの友達として、貴女が彼を無意味に失い傷つき……最悪の『妄想』に陥らないでくれれば、と願っているわけです。そのためにできることはしておこうと思った、それが最後の理由ですよ」
 ティディアは少し口を速めて言うハラキリを、ただ、眺め続けていた。
「……さてと、これくらいですかね。拙者の話は」
「――え?」
 我知らずぼうっとしていた。ティディアはハラキリの話題の切り上げに思わず疑念を口にした。辛うじて素っ頓狂な声にならなくて良かったと安堵する。
「もう語れるものはありませんよ。ダベりならまだまだできますが、流石にこれ以上はご迷惑でしょう」
 ハラキリは手に持ったグラスを、溶けていびつな丸い氷を見つめながら揺らしている。
「……これからはニトロ君に対する行動を改めろ、とは言いません。愛せ愛せと強いて人の愛を得ることが道理でないように、こう愛せと強いるのも筋の通らぬことですから。ですから、どうぞ貴女の思うように、楽しく、面白く、活き活きと、それこそ今まで通りにニトロ君を落としにかかってください。無理をしたところでどうせニトロ君には不気味がられるだけですしね。
 ただし――さっき言ったことの繰り返しになりますが、どうぞ後悔だけはなきよう。うまくいくならそれでよし。駄目ならちゃんとフられて下さい」
「フられる? フるんじゃなくて?」
 せめてもの反論をティディアは口にした。それがどんなに意味のない返しだと理解していても、つい、口に出た。
「貴女がニトロ君をフれるなら、すぐにそうしてやってください。彼はとても喜ぶ」
 思った通りに反論はさらりと、かつ意地悪に潰された。
 ティディアはぼんやりと思った。
 ――ハラキリは、自覚していないだろう。
 このような形でこれほどティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナをやりこめた人間は、ニトロ・ポルカトではなく、彼が初めてだということを。
 ハラキリは、凝りをほぐすように伸びをしている。その顔には清々しさすらあった。
 その様子をじっとティディアが見つめていると、彼女の視線に気づいたハラキリは爽快な疲労感の滲む笑みを浮かべ、
「いやー……不慣れなものでしっかり話をまとめられるか不安でしたが、どうやら拙者は拙者の役目を果たせたようですね。ホッとしました」
「役目を果たせた?」
 看過できぬハラキリの言葉を確かめるように口にし、ティディアは内心焦って彼に不安をぶつけた。
「それはもう君は関わらないということ?」
「いいえ、この点ではもう関われることがないというだけです。できれば貴女の胸の内に残るものの他は、この会話も全て忘れて欲しいくらいなんですけどね。拙者が人の恋愛に口を出すなど、いやいや恥ずかしい」
 さっきより照れ臭そうにして、ハラキリはグラスに残った酒を一気に飲み干した。
 ティディアは、彼の言葉に不思議な安堵感を覚えていた。不思議――そう、不思議でならない。自分の、この心境は、一体何なのだろうか。
 ハラキリは照れ隠しでもするようにそそくさと足元のアタッシュケースを取り上げている。そして彼はその中からメモリーカードケースを取り出すと、ポツリと何事かをつぶやきながら手元でいじり、それからティディアに差し出した。
「……これは?」
 差し出されたケースを見て、ティディアは訊ねた。
 するとケースに刻印されたメーカーのマークが光り、二度点滅した。ハラキリが差し出す直前にケースをいじっていたのは、どうやらこのためだったらしい。彼は新しい主の声がセキュリティ情報に上書きされたことに満足げにうなずき、
「『赤と青の魔女』の記録です。ニトロ君にはあの件の詳細をお姫さんに語らぬよう口止めされていますが……ここには貴女の心があります。それを貴女に還さぬというのはおかしなことですし、おそらく、拙者の言っていたことをご自分でも確認できるでしょう。暇が有り余って己の醜態を見る勇気がある時にでも覗いてみて下さい。ファイルのパスワードはケースを開けた際、上蓋の裏に一度きり現れます。ロックの解除手順もパスの一部になっていますので、間違いなく暗記して下さいね。ケースを開ける際の音声パスは『天使の贈り物』です」
 ティディアは素晴らしく的確なパスワードに思わず苦笑を浮かべ、飴色に輝くケースを彼の手から受け取った。
「一応言っておきますが、この記録はこちらで編集したものですのでご留意を。あの件についてはこの中にあることが全てではありません。お姫さんが正気であったと仮定して、あの場で貴女が知り得たこと以外の情報は抜いてあります。拙者が今日ここで語ったことはこの場にいる者しか知り得ないのに、お姫さんはニトロ君と拙者しか知り得ぬことを知る――というのは公平ではありませんからね」
「フェアな審判ね」
「面白い表現ですね。確かに、審判とでも言える立場ですかねぇ。観劇の特等席にはヴィタさんがいますが……観測の特等席には、拙者がいるようですので」
 ハラキリがヴィタを見ると、彼女は満面に――それも初めて見る――笑みを浮かべていた。その執事の全く予想していなかった反応にハラキリは戸惑いながらも笑みを返し、
「なら、審判さんは、これからは私とニトロの間でどう動いて、どう裁くつもりなのかしら」
 問いかけてきたティディアに、少し考えてから答えた。
「それはパワーバランスを見て、ですね。彼が貴女にとっての『本物』となったからにはそのバランスも微妙な平衡をみているでしょうが……それでも物的にも財力的にも、ついでに環境的にも有利なのは貴女です。ま、これまで通りバランス良く行ったり来たりと調子良くふらふらさせていただきますよ。それに、まさかこの一席だけで拙者の態度ががらりと変わったら、お姫さんも戸惑ってしまうでしょう?」
「……うん、それもそうね。それは嫌だわ」
 ティディアが笑ったのを見て、ハラキリも笑みを返して立ち上がった。

→2-6-13へ
←2-6-11へ

メニューへ