興味を引かれたらしく、ティディアの目がきらりと輝いた。
 ハラキリはもったいぶるようにグラスに口を当て、強い酒で唇をすすぎ、
「途中からは、ニトロ君を助けよう。それが動機となっていました。自分でも驚くことでしたが、拙者はただの依頼人であるはずの彼を友達だと、あの短い時間の内に次第に強くそう思うようになっていたんです。思えば依頼を携えやってきた彼と初めて言葉を交わした時に、こう……妙に気が合いそうだと感じたというか、何というか……
 ……本当は……友達なんて邪魔なだけだと思っていたんですけどねぇ。
 以前の自分であればこんなことは夢にも思わなかったでしょうが……ニトロ君には秘密ですよ? 彼と出会ってから、拙者の人生は変わった。父と母に友達は良いものだと聞かされながらも、友情なんてやたら美化されるだけで役に立たないものなどどうでもいいと思っていたのに、なるほど、美化されるだけの価値はある。少々面倒なところもありますが、彼がいるだけで人生の重みが違う。……そう、なんとも、楽しいものですね」
「うん、解るわ」
 何気なく、ティディアはうなずいた。
 そこに即座にハラキリが言葉を刺した。
「お解りいただけますか。ではやはり、その点では貴女と拙者は同類だったのでしょうね
 うなずいたティディアの顔が、一瞬、固まる。
 何を言われたのか理解できないのか、それとも何故ハラキリがそんなことを言うのかが解らないのか。虚を突かれて友達をじっと見つめる。
 ハラキリはティディアの黒曜石――宝石にも武器にも変えることができる貴石――紫を帯び黒く澄んだ瞳に向け、二つ目の剣を突き刺すように言った。
「ここからが本題です、お姫さん。
 貴女は、ニトロ君を本当のところ一体どのように思っているのでしょうか。
 また、貴女はどこまで、貴女の心を自覚しているのでしょうか」
 固まっていたティディアの表情が見る間に硬直した。先とは別種の硬さ……ハラキリの真意を探ろうとする眼差しは剣よりも鋭く、己の心に踏み込まれようとしていると悟った瞬間に現れた堅牢な鎧が彼女の全身を包み込んでいる。このまま城壁の中に立て込まれれば手も足も出せなくなるであろう。
 だが、ハラキリは、ともすれば忠告を聞き入れなくなってもおかしくないティディアの様子に焦るどころか、穏やかに微笑んでいた。
「……」
 ティディアは唇を結んだまま、わずかに瞼を動かし、ハラキリに先を促した。
「拙者がお姫さんとこんな話をしようと決意したのには、三つの理由があります。
 一つは、色々と考えをまとめる機会に恵まれ、今なら『赤と青の魔女』のお話を貴女にしてもいい――いや、しなければならないと思ったから。
 一つは、その貴女がシゼモであんな大失敗をしたから。
 最後の一つは……いや、これは後に伏せましょうかね」
「もったいぶるわね」
「申し訳ない。ですが、これはひどく個人的な動機でして。話にもそう直接関係しているわけでもありませんので、どうぞご容赦を」
「……いいわ。後で必ず教えてくれるって条件付きなら、容赦しましょう」
「ありがたい」
 ハラキリは冷めて表面に皺が寄ったグリル・ソーセージを取った。歯を立てるとバキリと変に堅い音がした。塩と香辛料の効いた肉の腸詰は冷めたなりの味わいがあった。それを飲み込んでからグラスを一気に空にし、アルコール混じりの熱い息を吐く。
 そして、
「……初めは。拙者は。実のところ、貴女はニトロ君のことを『相方』としてのみ見ていると思っていました」
 聞く者の注意を一つの漏れもなく引きつけるように、あるいは一つも言い間違いをしないように、ゆっくりとした慎重な口調でハラキリは言った。
「だから初めは、貴女は、ニトロ君が形式上でもいいから結婚してくれれば良かったんじゃないでしょうか。拙者はそう思っています。そうすれば、貴女の望む『夫婦漫才』は叶いますから。要は――あなたが惚れたのは、ニトロ君のツッコミとしての能力。自分と相性の良い、相方としてのニトロ・ポルカト。ニトロ君自身ではない
 ティディアは即座に反論しようとした。
 ――なのに、どういうわけか、彼女はそれをできずにいた。
 ハラキリは彼女を見つめたまま、黙って聞くように促している。その瞳にはティディアですら抗えない力があった。
「結局、貴女がニトロ君を落としたかったのは、彼が形式だけの結婚をしてくれる人間ではないからです。貴女が彼の心を手に入れたかったのは、何も愛情のためではない。ただ、形式だけの結婚をしてくれない男と『契約』するために、惚れさせる必要があっただけのこと。ああ、そういう堅物の心を奪うというゲーム感覚もあったかもしれませんね。まあ、どちらにしろ、どちらにもしろ、その時点では、貴女がニトロ君に抱いていた感情は、言ってしまえば『好きな男・恋人・夫』とは本質的には名ばかりに、ただ貴女の最も近くにいるだけの気に入りの従者――というところでしょうかねぇ」
 勝手な断定を連ねていくハラキリの言葉はまるでティディアを挑発しているようでもあったが、それでも、彼女は反論できなかった。
 友達。ハラキリ・ジジ。彼には、揺ぎ無い確信がある。
「しかし近頃……というよりも、彼に直に触れ出してから徐々に、でしょうか。貴女は、どうやら本当にニトロ君自身に思慕を寄せていたようだ」
 組んだ腕をテーブルに突き、ハラキリは少し身を乗り出した。
「貴女が『天使』で暴走した時のことです」
 ハラキリの視線はティディアのタンブラーに落とされていた。先はウイスキートディで満たされていたガラス製品に、ティディアも視線を落とす。空っぽのタンブラーは、また何かで満たされることを待っているようにそこにある。
「あの日、拙者はお姫さんに色々と驚かされました。暴走してしまったこと、ニトロ君並あるいはそれ以上に『天使』と相性が良過ぎたこと……そんなことがどうでよくなるくらいに驚かされたんです。何しろ『天使』で暴走したお姫さんを突き動かしていた目的が、差し当たって最もやりたい・やらねばと貴女が心に秘めていたことが、『ニトロ君に抱かれ、愛されること』――それだったんですからね」
 ティディアははたと視線をハラキリに戻した。その顔には訝しみの影がある。ハラキリが何故そんなことで驚いたのか、今度こそ全く理解できないといった様子だった。
 そんなことは当たり前じゃないか――そう言っているようだった。
 ティディアのその姿に、ハラキリは微笑みを浮かべずにはいられなかった。彼は彼女に問いかけるようにして言った。
「貴女を突き動かす目的が『ニトロ君に愛されること』だったんですよ? お姫さん。ニトロ君と『漫才をすること』ではなく。夫婦漫才をしたい、そんな阿呆な夢を叶えるために目をつけ、わざわざあんな『映画』まで用意してご自身の傍に引き込んだ男を前にして、貴女が彼に関わった原点ともいえるその動機は、『天使』のために暴走した……言わば最も本心を曝け出している貴女の口からは一言も現れなかった。それどころか貴女はニトロ君にこう言ったそうです。
 ――『夫婦になること思い出した
 本当に驚きました。貴女のことを嫌いだった時は、この女は一生真の意味で心を開き信を預けられる人間を得ることは絶対にないだろうと確信していたのに。それを見事に覆されてしまって、本当に……驚きました」
 かたりと音が鳴った。何かとハラキリが目をやれば、ヴィタが身じろぎをしたために生まれた音だった。
 その音は実に小さい音ではあったが、この場においては雷鳴よりも大きい。音を生んだヴィタの顔にも、あからさまに失態を悔いる表情が浮かんでいる。
 だが、ティディアは、微動だにせずハラキリを見つめ続けていた。シャンデリアの光を受けて輝く瞳には、今は理解の色がある。彼女もハラキリが何を言いたいのかを理解し、かつ、その重大性に気づいているようだ。
 ハラキリはティディアの眼差しに促されるように、続けた。一瞬、己の考えをまとめる手伝いになったテレビ局の楽屋でのヴィタ――現在王女の最も近くにいる者――との議論をセリフに加えようかと考えたが、いや、それをして彼女にまで累を及ぼす必要はないとすぐに頭から切り離し、
「極論を言えば、相性が合い、ニトロ君のツッコミと同系統で、言い回しも同質であれば誰だって良かったはずです。貴女が欲しかったのは夫婦漫才の『相方』だ。夫婦であることは手段。目的じゃあない。
 しかし今、貴女が欲しいのは『夫婦漫才をしてくれる夫』だと確信しています。あなたとそれをすることができる夫。果てさて、手段と目的がすり替わったのか。それとも手段が目的を上回ったのか。ねえ? お姫さん。ニトロ君でなければ、もうどうしても嫌なのでしょう?」
 ティディアは答えない。
 ハラキリはティディアと目を合わせたまま、組んでいた腕を解き、右手をひらりと振った。その瞬間、かすかにティディアのまつげが揺れた。

→2-6-10へ
←2-6-08へ

メニューへ