「だからこそ、貴女は何でも判ってしまう。違いますか? 自分にどういうことができて、どういうことができないかも判ってしまう。本来大役であるはずの『王女』という枠すら小さく感じさせるほど何でもできる貴女が、貴女だからこそ何もできないと。
 例えばこの問題はこうすれば解決すると分かっていても、相手は答えが一つの学力テストではなく、無数の応えと無数のしがらみを絡め持つ人の心。正しい解決法も、時と場合によっては正しくない解決法になることをお分かりになるでしょう。例えばこの懸案をこう扱っては解決に導けないと分かっていても、『解決の時』に向けて、あえて無駄な手を認めることで遠大な布石を打つ選択を取らなくてはならないこともお分かりになるでしょう。飴と鞭……それが最後には全てが飴に変わる一時的な鞭だったとしても、そればかりをしていたら貴女がどれほど強力な権力を有する王権行使者であってもついにはただのお飾りにされてしまうために。
 この国は、それができる国ですからね。いかにクレイジー・プリンセスでも、あるいは初代王が蘇り再び王座についたとしても覆せぬシステムのせいで。王権を担う者を支持するか、どうか――その『王の権力』の強弱を投票によって決めるシステム。時に一人の王が民を絶対君主制の下に支配することを可能にしながら、されど、どれほど独裁的に支配されていても投票を機に民が王を法の下に支配できる政治システム。二代女王が確立した、王権の外に設置されたこの王と民の間のルールを破ることだけは、どんな賢君だろうと暴君だろうとできはしない。何故なら、それをした時点で『この国の王』ではなくなるのですから。
 しかし、以前の貴女なら、いつかそれをすら行っただろうと今でも拙者は思っています。合法的に、あるいは非合法的な手段によってかはともかく、クレイジー・プリンセスとして暴れ回ることにも……飽きた時には
 ハラキリに見つめられるティディアは、彼と目を合わせたまま、静かにヒズロゥを飲んだ。
「もしくは、貴女は表では高い支持を得たまま暗躍し、この国で『反乱』を起こすことも考えたかもしれません。何千年も昔の領土問題を蒸し返すか、それとも王女のえこひいきや気まぐれで領境くにざかいを書き変え、仲の悪い領主や政治家同士の疑心暗鬼をくすぐり一種紛争を起こすのも面白いかもしれない。火種を裏から煽り大火なったところでそれを鮮やかな手腕で鎮火させ、意気揚々と正義の味方を気取ってみるのも面白いかもしれない。それとも、クレイジー・プリンセスを打倒せよ! 貴女は民のためになることも多くしてきた。その影で割りを食った貴族や政治家は多い。絶大な人気を誇る王女ティディアに跪き垂れた頭の中で煮え湯を滾らせ続ける者も無論いる。表向きはどうあれ潜在的には敵も多い貴女が、ちょっと本気を出して民の敵にもなればすぐにそう言う輩を作るのは簡単でしょう。そうして支持率を下がるところまで下げ、そこからクーデターを起こし『国取りゲーム』を楽しむのもまた面白いかもしれない。クレイジー・プリンセスを打倒せよ! 最後には全ての敵意を束ねて己に向かわせて、暴虐の限りを尽くしながらやがては滅ぼされる悪の美学……希代の悪女として踊ってみるのも、面白いかもしれない
 ティディアはハラキリを見つめ続けていた。
「もちろんこの国を良くすることに注力し『何も問題がない国』という奇跡を実現させる賢君の道を選ぶ可能性もあったでしょう。傍若無人なクレイジー・プリンセス、親しみ深く厳しくも優しいティディア姫、そのどちらも紛うことなき貴女だ。ですが、ではどちらに転んだだろうかと問えば、拙者は暴君に転ぶと踏んでいました。確証といいましょうか、証拠といいましょうか。それはある。ちょっと結果論になってしまうので恐縮ですが……その確証であり証拠であるのは、ニトロ・ポルカト、彼です。彼こそがその一例に他ならない。彼は『ニトロ・ザ・ツッコミ』としてある意味校内の有名人でしたから、拙者は彼を知っていました。――が、それだけです。知っていただけで、彼はさして興味を抱かせるような人物ではなかった。
 しかし、現在の彼はそうじゃあない。彼は、ティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナという強大な『敵』を得て、驚くほどのスピードで成長し今や貴女と拮抗できる人間にまでなった。貴女に狙われることを常に気にかけながらも、そのくせ軽々と貴女と対決することを日常的に受け入れられるのは彼ぐらいなものです。貴女と常に極自然体のまま常に対等にあれる唯一の人間、と言っても差し支えはないでしょう。
 そして拙者は、彼が成長していく過程を、お姫さんが楽しんでいたことを知っています。どんどん強くなっていく、どんどん逞しくなっていく、日々知恵をつけ、日に日に様々な力を身に付け、日ごと日ごと『敵』に翻弄されながらもついには世間の目にも強烈な存在感を与えるまでに成長しながら、必死に、懸命にクレイジー・プリンセスたる自分と戦ってくれる愛しい強敵――その何にも代え難いモノを手に入れて、ニトロ君にとっては皮肉にも、貴女自身も輝きを増していく姿を拙者は近くで見てきたのですから。
 ……いや、それは拙者だけじゃない。近く、などという距離的要因など関係ないことですね。ニトロ・ポルカトという『恋人』を得てから、ティディア姫の人気も支持率も止まることなく右肩上がりであることにもそれは無関係ではないのですから。人によっては貴女が以前にも増してより名君になったと言う。人によっては貴女が以前にも増してより美しくなったと言う。あの『隊長』も、ニトロ君を認めてからはそう繰り返しメールマガジンに書いていましたよ。特に美しさに関しては、この春先から、より鮮やかに」
 ハラキリはおかしそうに言い、そして軽く手を叩くように掌を合わせた。
「さて。
 そんなお姫さんが、ニトロ・ポルカトという強烈な存在を知り得なかった場合、貴女を面白がらせ、その上貴女を輝かせる『強敵』を求めないという未来が果たしてあったでしょうか。そんな退屈で面白くない毎日を、果たしてクレイジー・プリンセスが、我慢できたでしょうか」
 ティディアは、何も言わずじっとハラキリを見つめ続けていた目を伏せ、フライドポテトを手に取った。萎びたそれは、やけに塩辛い。そしてフライドポテトを食べ終えた彼女は、大きく一息をつき、
「わりと面白い『妄想』だったわ」
 口の端を持ち上げて、ハラキリの妄想に己の想像を重ねるように楽しげに言って、ティディアは続けた。
「もしそうなっていたら、ハラキリ君とはあの『映画』のように対決することもあったかしら。それとも、君は味方として最高の手駒になってくれていたかしら」
「味方はありえませんよ。言ったでしょう? 貴女と『殺し合う』可能性もあったと。『映画』のように直接顔を合わせたかどうかは、分かりませんけどね」
「そうねー。さすがに騒乱の中じゃ相対せずに……いえ、君の存在は、きっと私の耳に届いたはずよ。そうしたら私は、君に会いたいと思ったと――」
 と、そこで、はたとティディアは気づいた。
「あ、もしかして、ニトロの『依頼』をあんなにあっさりと受けたのは私のことが嫌いだったから?」
「正直に言って、半分は」
「後の半分は?」
「あの話を聞いた時点で『足抜け』はできませんよ。腹を括りました」
「……それは、私に消されると思って? それとも、依頼を断らないっていうポリシーでもあった?」
「当然、あの時点では事情を知った拙者を貴女は必ず消しにくると思っていました。ポリシーというか……折角の個人的な初仕事を断るのは勿体無いというのもありましたね。そして、嫌いなバカ姫と勝負するのも楽しそうだな、とも思っていました」
「楽しそう? 私と進んで敵対することが? いくら嫌いだからって、楽しいことかしら」
「嫌いでしかたない王女様を一度でもぎゃふんと言わせられたなら、それが人生の幕を引く仕事となったとしても、一つ上々なモンでしょう? 実に楽しいじゃないですか」
 軽く肩をすくめてハラキリは言う。
 ティディアはハラキリの愉快な主張に、少なからず笑い事ではないことを言っているのに洒落めかしている友達の口調に、笑った。
 あの『映画』の際、ニトロが意外なルートから手に入れた助っ人。あのシナリオをなぞるだけだと思っていた『映画』を、当初の予想よりもずっとずっと楽しく、ずっとずっと面白くしてくれた助演男優。
 危険にも気軽い調子で飛び込んできたハラキリ・ジジ。
 その素性から、彼がクレイジー・プリンセスに命を狙われる少年を助けるというとんでもない依頼を受けたのも、そう不思議なことではないと思っていたが……まさか、こんな風に考えていたとは思っていなかった。
 もはや遠く懐かしい出会いの一瞬が脳裡に蘇り、感慨にも似た感情が心をくすぐる。
 ハラキリはティディアが笑うのを、狙い通り笑わせたことに満足しているかのような様子で眺めていた。そして彼女がひとしきり笑い、呼吸を整えているところに、言う。
「と言っても……拙者の動機は、途中から変わってしまったんですけどね」

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