『大人との付き合い』――
 そこには普通の会話として使われる文脈にはない、およそ普通の少年が口にするようなものではない意味が込められていることをティディアは理解していた。ハラキリも彼女がそれを理解することを折りこみ済みで語っている。
「で、そちらの『大人の付き合い』はどうされるおつもりで?」
 実にさらりとした口調のまま、ハラキリはティディアに訊ねた。
 ティディアはグリル・ソーセージを指でつまんでパキリと一齧りし、
どのこと?」
「レッカード財閥の末っ子ですよ」
「ああ、あれ。別にどうもしないわ」
「貴女に『浮気疑惑』を立てて、ニトロ君の貴女への愛情を揺さぶる。恋の駆け引きとやらの常套手段ではありましょうが……」
「なっさけないピエロでしょー」
「でしょー、って」
 ハラキリは切り分けられているピザの一つをくるくると丸めるように畳みながら、苦笑した。
「意地が悪いですねぇ」
「私が意地が悪いなら、あんな小汚い手を使ってくる相手はどうかしら」
「そりゃあ小汚い、でしょう?」
「ん、そりゃそうね」
 畳んだピザを齧り、ハラキリは言った。
「とはいえ、アンセニオン・レッカードがさらに恥を掻きに出てくるなんてことはありませんか?」
「何でそんなことをハラキリ君が気にするのよ」
「そうなるとニトロ君の面倒が増えるじゃないですか。そうすると、拙者も色々面倒に巻き込まれそうな気がします、いえ絶対に巻き込まれます」
「それが嫌?」
「嫌ですね。アンセニオン・レッカードは面白い相手ではないと思いますから」
「……そうね」
 率直なハラキリの言葉に目を細めたティディアは、タンブラーに唇を寄せ、
「ニトロの足下にも及ばないわ」
 断じて、彼女は甘いホットウイスキーをくっと飲み、ほうと息をついた。
「ビジネス相手としてなら良かったけれど、こういうことをしてくるならそっちの評価も落とさないとね」
「……そうですか」
 ハラキリはうなずいた。
 ピザを食べ切り、チーズのついた指を舐め、指を――
「あ、そうでしたそうでした」
 と、食事を取り出す際、ウォーマーボックスの蓋に退けておいたウェットティッシュの袋の束を取り上げた。
「これは気が利きませんでした」
 言って、いくつかをティディアに渡す。
「不慣れね」
 ウェットティッシュを取り出しながらくすりと笑ってティディアが言うと、ハラキリは指を拭きながら肩を小さくすくめて応えた。
 その小生意気な様子にティディアは楽しげに肩を揺らした。サラミの載ったピザの切り身を取り、尖る先端に歯を立て齧り取る。溶けたチーズが思いのほかよく伸びた。危うくテーブルに垂れ落ちそうになったチーズの糸を、彼女は行儀悪く音を立てて啜り取った。
「不慣れですか?」
「ただの粗相よ。油断しちゃった♪」
 ハラキリの小さな反撃をティディアは気分上々に潰してみせた。
 ハラキリの目元がかすかに歪む。
 ティディアはふふんと鼻を鳴らした。
 しかしそのわずかな攻防は即座に終わり、一口大に切られた焼き芋に軽く塩を振ったものを一つ口に放り込んだハラキリは、
「最近、何か面白い作品に触れられました?」
 と、また話題を変えた。
「最近なら、フィッツマードの新刊が面白かったわね」
 それを皮切りにティディアとハラキリはとりとめもなく雑談に興じた。
 最近読んだ本や雑誌から得た情報を広げて菓子や料理、それを売る店、あの店は商品の質に対して店舗の質がよくない、逆にあのチェーン店はデザインはいいのに使うインテリアの材質を落とし過ぎ、そうだインテリアといえば――とハラキリの家の内装に話題は飛び、そこから異星の文化、そういえばセスカニアン星で話題になりだしている映画は面白かったですよとハラキリが言うと、互いに未見の映像作品や文学作品を紹介しあい、共に既知のものであればその感想を言い合った。
 これは面白かった、ええ、面白かったですね。特にこのシーンが、へぇ、私はあのシーンがお気に入り。
 あれは拙者は面白くなかった。
 あら、私は面白かったわ――
「チュニックの『嘆き』ですか……。同じスカイニフルの『相対神化論』を下敷きにしたものなら、アデマ・リーケインの『花園に来る』の方が拙者は好きですけどねぇ」
「あんなの『相対神化論』の上っ面をなぞっただけの駄作じゃない」
「だからこそですよ。『リオナ、それともパメラ・レオニラル』というアデムメデス文学史に燦然と名を残す大傑作を書き上げながら、一方であんな駄作を書く。そのギャップに文豪アデマ・リーケインの面白さがあると」
「ああ、なるほどそういう読み方。それも面白い読み方だとは思うけど……まぁ、テストじゃ点数はもらえないわね」
「大丈夫です。そちらの『考え方』もしっかり修得していますので」
「本当、曲者……というか、そこまでくると生意気ねー」
「褒め言葉として受け取っておきますよ」
「ええ。褒めてるんだから、そう受け取っておいて」
 二人のウイスキートディは早いうちに空となり、それからはそれぞれの手元に蒸留酒・ヒズロゥの注がれたグラスがあった。いちいち何かで割って飲むのも面倒なので、二人共に最初からずっとヴェルアレインの天然氷でオンザロックを楽しんでいる。
 テーブルに広げられた食事は二人で食べきれるかどうか分からない量だったのに、今やほとんどなくなっていた。
 アルコール度数40度のヒズロゥの720ml瓶も既に半ばを下回っている。
 しかし談笑する二人の様子に変化はなかった。結構な量のアルコールを摂取し『酔い止め薬』も飲んでいないのに、ティディアもハラキリも共に顔色一つ変わっていない。思考も呂律も確かなもので、動作が大きくなることもない。酔いがあることは確かなのに、外見も内面もシラフもいいところであった。
 そして――ふと気がつけば、日が変わっていた。
 窓の外の雪は勢いを増すことも衰えることもなく、はらはらと降り続けている。
 二人の口も勢いを増すことも衰えることもなく駄弁を続け、時忘れの尽きることなき話題はやがてそうなることが自然の成り行きであるように、何よりも共通の話題へと絞られていった。
 それはもちろん、ティディアの『相方』であり、ハラキリの級友である少年のこと。
 ニトロって、ニトロ君に、
 ニトロを、ニトロ君は、
 ニトロが、
「ニトロ君の――あだ名というか通称というか……」
「愛称?」
「そう言うとニトロ君から『愛しんでねぇ』って言われちゃうんですが、まあどうでもいいですね。あれら、いつの間にか色々定着しましたねぇ。本を正せば『ニトロ・ザ・ツッコミ』という内輪だけのものだったのに」
「広がり初めは『身代わりヤギさん』だったわね。同時期に『クレイジー・プリンセス・ホールダー』」
「『ティディア姫の恋人』というのもそうだと言えばそうですかね。で、その後にできたのは『トレイの狂戦士』」
「それから、『スライレンドの救世主』」
 その愛称を口にするティディアは少し複雑そうに唇を歪めていた。微笑みながらも辛酸を噛み締めているような顔だ。おそらく、後悔というよりも、危うくニトロを失いかねなかった恐怖を思い出しているのだろう。
 この国の第一王位継承者を務める女友達の表情を観つつ、しかしハラキリはそこには触れずに話を進めた。
「おひいさんは、その中のどれがニトロ君に相応しいと思います?」
「決まっているじゃない。その中だったら間違いなく『ティディア姫の恋人』よ。最近じゃあ『ニトロ王』というのも目立ってきているから、私もう嬉しくってねー」
「そうですか」
 ハラキリはうなずいた。グラスを口に運び火酒を一口流し込む。グラスがテーブルに戻される時、球状に成形された空気の泡一つない氷がグラスと当たって透き通った音を鳴らした。
「ハラキリ君は?」
「拙者はもちろん、『クレイジー・プリンセス・ホールダー』が最も的を射ていると思っていますよ」
 ハラキリは手元のグラスを、その中でシャンデリアの光を受けて磨きこまれた宝石のように輝く氷をじっと見つめたまま言った。
「何せ彼は貴女を抑止できるだけではなく、本当の意味で、貴女を抱き締めることができるんですから」
 ――それは、突然の出来事だった。
 ハラキリが視線を手元からティディアへと上げた時、一瞬にして、空気が変わっていた。
 これまでの談笑の和やかさは霧散し、これまで影と振る舞い部屋の隅で気配を潜めて耳をそばだてていたヴィタも敏感に空気の変化を察知し、一体何が起こったのだと体ごと意識をテーブルの二人に集中させる。
 ハラキリは、どこか挑みかかるようにティディアを見つめていた。
 その視線を受けるティディアは、口元に微笑を浮かべている。だが、彼女の姿には、議会で論敵に臨む際に見せる自信と威厳にも似た雰囲気があった。
「察しのいい貴女のことだ。拙者がただダベりに来たわけではないことを、当然理解されていたでしょう」
「……解らない方がおかしいと思うわ」
 ティディアの視線がウイスキートディの入っていたタンブラー、『漫才コンビ』のサインが入ったハラキリのシャツと辿り、最後に真正面に座る曲者の瞳に戻る。
 曲者は満足そうにうなずき、
「実は、おこがましくも忠告に参りました」
「忠告……というわりには、何だか敵意を感じるんだけどな」
「敵意なんかありませんよ。貴女に際し、気を引き締めているだけです。
 これは至極重要な話だと、拙者は思っていますので」
 ふと、どこか挑みかかるようなハラキリの視線が揺らいだ。
 その時、ティディアは悟った。この眼は挑みかかる時のそれではなく、彼が何か『不慣れ』を隠そうとしている強がりの眼なのだと。
 それを知れば何だか気が抜ける――が、しかし何故か、けして気を抜いてはならないとティディアの心は震えていた。ハラキリは曲者だ。何のために強がっているのかが解らない以上、下手に隙を見せるわけにはいかないと、王女ティディアとして過ごしてきた経験までもが警告している。
 それなのに――自分でもおかしなことだとティディアは思っていたが――心の片方では、喜びも感じていた。
「ハラキリ君がわざわざこんな遠くまで忠告に来てくれるんだもの。それは、よっぽど重要なことなんでしょうね」
 忠告は、大抵相手を思い遣ってするものだ。そして友達が、そんな想いを抱えてこんな所まで来てくれた。
 ……それも、いつもはニトロにばかり忠告や教示をするハラキリが。
「聞かせてくれる?」
 テーブルに両肘を突き、組んだ手の上に顎を乗せてティディアは嬉しそうに言った。
 ハラキリは彼女を見据えたまま、少し首を傾げた。鋭く息を吸い、
「どう、切り出しましょうかね」
 つぶやいて、ハラキリはまた一口蒸留酒で喉を焼いた。目を上向けてしばし思案し、やおら唇を引き絞ったかと思うとそれを緩め、そして一つ息をついてから、彼は言った。
「……お姫さん。
 拙者はね、貴女が嫌いでした」

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