ハラキリとヴィタが運んできたウォーマーボックスの中には、様々な料理や菓子が詰め込まれていた。
断熱材と保温機の力で未だ作り立ての湯気を上げるそれらは、ヴェルアレインのいたる所で圧倒的な数の客を相手に戦争を繰り広げる店や出店で売られていたものだ。
「大変だったでしょ。それとも、制服のお陰で楽だった?」
「町を巡回している『同僚』に職質されたら面倒なので、制服に着替えたのはこの城に入ってからです。お陰でやはり大変でしたよ。人波に揉まれ揉まれて漂流した先で買う、というのを繰り返すしかありませんでした。目当てのものを――なんて選ぶことなんかできやしません」
「ふふ、お疲れ様。それでいつ頃こっちに来たの?」
「リーリークに着いたのが大体11時で……ここに着いたのは、結局18時を過ぎた頃でしたかね」
「言ってくれれば迎えにやったのに」
「それだと楽しくない。でしょう?」
部屋の真ん中に用意させたテーブルに、およそ王族が過ごす部屋には似合わぬ料理が並べられていく。フライドポテト、揚げ菓子、グリル・ソーセージ、ポップコーン、パイ、ピザ、焼き物系、クレープ系、いかにもなジャンクフードや
その向こうで、何やら大事そうにアタッシュケースを扱いながらニヤリと笑ったハラキリに、ティディアはそうねと笑い返した。
「でも、こういう食事でいいの? ここには腕の良い料理人がいるのに」
ゲストを迎えたホストの気遣いをティディアが見せると、ハラキリは軽く肩をすくめた。
「言葉が適切かどうかは判りませんが、こういう時に上物を頂くのは無粋じゃないですかね」
「……ふむ、それもそうね」
「それに流石に今日はお
その言葉は、ついさっき自分がポルカト家のパーティーに『余り物を食べる形ででも参加した気になりたい』と思ったことに通じていた。
妙に嬉しい気持ちになって、ティディアはジャンクフード特有の強い香りを嗅ぎながらはにかむように微笑んだ。
「ありがとう」
「いえいえ」
ハラキリは直属兵の寒冷地用の制帽と制服の上着を脱ぎ――それらはコート掛けに掛かっている――白いTシャツ姿になっている。その姿を見るティディアは、何のつもりなのだろうか、と腑に落ちぬものを感じていた。友人が着る無駄に高級な生地が使われたシャツは彼女のよく知る『ブランド』のもので、左の胸にあるワンポイントは『ニトロ・ポルカトとティディア姫』のサイン……そう、そのシャツは見間違えようもなく高校生と王女の漫才コンビ縁の商品であったのだ。
もしかしたら、それも彼流の一発芸なのかもしれないが。
(まったく……曲者なんだから)
アタッシュケースの中から取り出したタンブラーをテーブルに置くハラキリを目に、内心で微笑んでいたティディアはふと背後に振り向いた。
視線の先、部屋の隅に小卓があり、そこでウォーマーボックスを一つ独り占めにして執事が遅い夕食をとっている。
「ヴィタはそこでいいの?」
「ええ」
と、答えたのはヴィタではなく、ハラキリだった。
ティディアが眉根を寄せて振り向くと、彼はタンブラーに続けてアタッシュケースの中から小さな瓶を二つ、魔法瓶を一つ、大きな瓶を一つと取り出しながら言った。
「いつもニトロ君とは二人でダベるということをしていますが、お
ああ、気を遣わせてすみませんね」
最後の一言はヴィタへ向けられたものだった。少し焦げた肉を包んだクレープを口にくわえたまま、彼女はこくりとうなずいた。
「ま、そういうわけです」
「そう」
ティディアは嬉しかった。
確かに、ハラキリと二人で話したことはあっても、それは『敵同士』としてか、あるいは『協力者』、それとも『交渉相手』としての会話であるばかりだった。思えばハラキリの言う通り、こうして友達と二人、腰を落ち着け面と向かって喋るのは初めのことだ。
まあ厳密にはヴィタがいるのだから二人きりでは無いが、しかし彼女が距離を開けてそこにいるのは、何か用があれば使えと、さしずめウェイトレス辺りを役目としているからだろう。
――が、
「……」
ティディアは嬉しさと並んで、戸惑いも強く感じていた。
テーブルの上にハラキリが並べ終えたのは、タンブラーとグラスが二つずつ、それぞれ蜂蜜とウイスキーが入った二つの小瓶、魔法瓶が一つ。その脇にアデムメデスの極地で主食としてあり続ける
別に自分は気にしないが、世間的に言えばハラキリは未成年で、シゼモでニトロにツッコまれたようにこのまま彼が飲むのを黙認すれば『監督責任』を問われることになろう。だが、この地方はいわゆる『特区』の一つであり、住民でなくても十五歳以上であれば法的に飲酒が許される。だからその点に関しては何も問題はない。
ウイスキーの小瓶には大量生産の(その中で上等の)銘柄のラベルが貼られていた。ヒズロゥも世間で最も人気のある『ディオニカス』――社名がそのまま銘となった品。ここにも例えば嫌いな酒があるとか、そういう問題も何もない。ただ、なるほどここでも彼は徹底している、と感心するだけだ。
問題は……
そう、ティディアを戸惑わせているものは、また別のところにあった。
「勝手ながら、最初はこれで」
ハラキリはそう言いながら二つのタンブラーに蜂蜜を同量落とし、そこにウイスキーを加え、最後に魔法瓶から湯を注ぎ込んだ。円筒形の耐熱ガラスの中で、比重の違う三つがマーブル模様を描くようにして交じり合う。
本来はここにスライスしたレモンかシナモン、クローブ等を加えて基本的なレシピとなる。が、この『ウイスキートディ』はここまでで完成だ。スライレンドでは、採蜜を終えた養蜂家が馴染みのカフェに差し入れに採れ立てを持ってきて、そのお返しにカフェのオーナーがお疲れ様とホットウイスキーに蜂蜜を少し落として差し出した……という起源と共に、まるで地域の名産に敬意と誇りを表しているかのように他の味を入れず、こうして作られている。
(……何のつもりかしら、本当に)
ハラキリがあの地を思い起こさせる品を無意味に用意するはずがない。意識して観れば蜂蜜の瓶にはスライレンド産を示すマークが浮き出ている。何らかの意図があることは明らかだ。
「どうぞ」
と言った後、ハラキリは急に思い出したようにケースからマドラーを取り出し、差し出す寸前だったウイスキートディを一混ぜしてからティディアの前に置いた。
「――ありがとう」
彼に何の意図があるにせよ、友達が作ってくれた酒を断る理由はティディアにはなかった。タンブラーを手に取る。中身の熱を外に伝えない特殊な耐熱ガラスは、指に少しばかりの冷ややかさすら感じさせた。
ティディアとハラキリは互いに目の高さまでタンブラーを持ち上げると、小さく「乾杯」と口にしあった。
一口飲むと、温められて香りを増したウイスキーがアルコールをまとって鼻腔を突き抜け、追ってスライレンドの蜂蜜の上品な甘みに包まれた
「……美味しい」
「我ながらうまく出来ました」
しみじみと言ったティディアとは対照的にしれっと言って、ハラキリはフライドポテトをつまんで齧った。
ティディアもフライドポテトをつまんで齧る。塩が利きすぎていた。しかし、不思議と美味しい。以前『お忍び』でファミリーレストランに行った時に見た、こうやってフライドポテトを同じ皿から取り合いながらケラケラ笑っている学生達の姿がふとティディアの脳裡に浮かんだ。
その光景を目にした時、何かしら己の手に入らぬものへの感傷を覚えた……ということは一片たりとてない。それを思い出した今とて、同様に特別な感慨もない。
ただ、これはどう捉えるべきだろうか、ここには何ともこそばゆい楽しさがある。
「この分では、月は見られそうにありませんね。ちょうど
もう一つフライドポテトをつまんだティディアに、ハラキリが言った。彼は窓の外を眺めている。少しだけ、雪が勢いを増していた。
「そうね。ちょっと楽しみにしていたけれど……」
このヴェルアレイン城は、在位期間一日という最短記録を持つ93代女王がその二十四時間中に王権を
――『故郷の空が懐かしい。昔は嫌いで、憎んでいた、寒くて何もない場所。だけど、夫と出会った場所。彼が私に愛を告げてくれたあの場所。あの夜と同じように、凍りついた夜空に神が浮かべた宝石を眺めながら、愛する男性と静かに暮らしたい』――それが、93代女王が王位を継ぐ息子に告げた『理由』だったという。
その『理由』への是非はともかく、夫妻が没してからというもの、特に行事がない場合に限り一部が民に解放されているこの城で(またはこの城の傍、ヴェルアレイン城下で)赤と青の双子月を見ることは、愚かしくも情の深い女王の逸話のために最高の『観光』となっている。
しかも現在ここには――ある種『芸術的な』王女がいるのだ。
元より今夜は曇りの予報だった。それなのにここで空が晴れて月が輝けば……それこそ芸術的なことだろう。
「けどま、仕方がないわ」
「いっそ雲を吹き飛ばしてはどうです?」
「んー。でもそれって、それこそ無粋じゃない?」
「そうですね。無粋です」
自分から言い出しておきながら、ハラキリはあっさりとうなずいた。そして湯気立つウイスキートディを一口、窓を眺めて続けた。
「かえってこれくらいの雪なら趣がありますしね。夜通し騒ぐ町にしんしんと降る雪。それを見ながら飲む酒というのも、月見酒に負けず劣らず乙なもので」
ティディアはハラキリの物言いに思わず笑い声を漏らした。
「時々、ハラキリ君と話しているとずっと年上の男と話している気になるわ」
「時々――と言いたいところですが、実に頻繁に言われます」
「でしょー」
「自覚はしていますよ。まあ、生来の性質というものもありましょうが、大人との付き合いが多かったものですから、むしろこうならないのが不自然な成り行きというものです」