「……主様ハ」
 少し言い難そうに、芍薬は言った。
「大好キナオ姉様ヲ奪ッタ男、ダヨ」
「……あー」
 ニトロは思わず、うめいた。
「そういうことか。ミリュウ姫は『わたしは宇宙で一番の“ティディア・マニア”です』って公言してたっけ」
「御意」
 芍薬の肯定が何だか残酷に聞こえる。
 車の天井を見上げていたニトロは、しかし――と思い直した。
「言われてみるとその可能性こそが『正解』だって思えるけどさ」
 もし今日の一連の出来事がミリュウ姫の企てだったとしたら、所々で感じたティディアのものにはない『粗さ』にも納得がいく。
 だが、
「なのに芍薬が可能性を低いランクに落とした理由、当ててみようか」
 芍薬は、こくりとうなずいた。
「もしミリュウ姫の仕業だとしたら、こんなことを仕掛けてくる『目的』に見当が付かない。また、ミリュウ姫には『ティディア姫の恋人』に仕掛けてくる度胸はない」
「御意」
「かなり検討し直して、やっぱりその結果に行き着いた?」
「御意」
 芍薬は大きく肯定した。まるで自分の考えを見抜かれたことが嬉しいような、それともマスターが、自分が思い込みのみで結論を下したわけではないと理解してくれていることが嬉しそうな表情だった。
「あたしモ初メハコレカナッテ思ッタンダケド、検討スレバスルホド『無イ』トシカ思エナクッテネ。大体、動機ガ解ラナイ。一応、動機トシテ最モ考エラレルノハ、姉ノ自分ヘノ関心ヲ薄クサレテシマッタコトヘノ逆恨ミ。転ジテバカ姉ノ主様ヘノ関心ヲ落トスコト、モシクハ主様ノ印象ヲ悪クシテ主様ヲ『恋人』ノ座カラ引キズリ落シタイ。
 アルイハ、自分ヘノ関心ヲ取リ戻スタメニイビツナアピールノ手段トシテ婿イジメニ出テキタカ」
「前者なら諸手を挙げて全力で協力するんだけどなあ。後者なら、それを理由にしてティディアに――は言っても無駄だから、マスメディアに家族関係で悩んでって格好の根拠を提示して『破局』宣言できる」
 まるで希望の星を見る目で言ったニトロは、芍薬が困ったような顔をしていることに気づき、ははと乾いた笑いを浮かべて小さく肩を落とした。
「分かってる。うん、解ってるよ芍薬。動機がそのどちらかだと仮定してみても、いや、仮定すればこそ、今回の『目的』にはどうしても説明がつかない……そうだろ?」
「御意。何シロ今回仕掛ケラレタノハタダ『ミリー』トブラブラ歩クコト、タッタソレダケダヨ? 『敵』ガミリュウ姫ダッタトシタラ、タッタソレダケノコトデ一体何ガシタカッタノカ。
 マサカ主様ヲ仕事ニ遅刻サセテ仕事ヲ軽ンジル男――ナンテ演出スルコトガ目的ダトハ思エナイシ――」
「それでいつまでも母親見つけられずに収録自体キャンセルしなくちゃならなくなったとしても、あいつは俺を責めるどころか『善人・お人好し』って点で外向けにアピールするだけだろうね。愛する国民の子どもを見捨てぬ王様――論法はそんなところかな」
 芍薬はうなずいた。
「カトイッテ主様ガ『迷子』ヲ見捨テルコトヲ狙ッテイタトシタラ、ソレハ幾ラ何デモ迂闊過ギル。警備ニ保護ヲ頼ム、タッタソレダケノコトデ責任ハ果タセルンダカラ。
 ソレトモ時間ヲ稼グダケ稼イダラ、機ヲ見計ラッテ『母親』ニ主様ノコトヲ誘拐犯ダト訴エ出サセルツモリダッタカ。……マア、ソウサレタトコロデ、コッチハ即座ニセキュリティノ監視映像ヲ提出スレバイイ話ダケドネ」
 ニトロはうなずき、だけど――と、芍薬に切り返した。
「ミリュウ姫がそこまで思い切ったことをできるもんかな。『劣り姫』なんて言われちゃいるけど、兄弟の中じゃ一番の常識人だよ。姉弟……特にティディアと比べて劣るって評価されてるだけで、人から悪く言われるような人物じゃない」
「御意。あたしモ、例エドレホドノ嫉妬ヲ原動力ニシテイタトシテモ、ミリュウ姫ハソコマデ陰険ナコトガデキル人間ジャナイト思ウ。ソノ上、モシソレヲ『目的』トシテタトシタラ、今度ハ『パトネト王子』ヲ持チ出シテクル必要性ガナクナッチャウシネ。
 ジャア、『ミリー』ガ『パトネト王子』デアル必要性ガアルコトヲ考エテミタラ……
 ミリュウ姫ハ、『ミリー』ガ『パトネト王子』ダト主様ガ気ヅカナイコトヲ期待シタカ」
「俺があんな簡単な変装を見抜けないことを、ネガティブキャンペーンの材料にしようって?」
「御意。第一王位継承者ノ夫ニナロウトイウ者ガ、王族ノ顔モ覚エテイナイナンテ問題ガアル。ソレモタダノ第一王位継承者デハナイ、歴史ニ輝カシク名ヲ残スデアロウ『ティディア女王』ト共ニ玉座ニ座ル男ダ。事ハ国ノ未来ニモ関ワル。名君ノ夫トシテ、彼ハ不適格、王トシテモ不相応シクナイノデハナイカ――論法ハ、コンナトコロカナ」
「だとしたら、たかだかその程度のネガティブキャンペーンのために随分と割りの合わないことをしているなぁ。大体、ティディアがそんなことを気にするわけがない。むしろこれ幸いと家族に会わせる根拠にしてきやがるよ」
 芍薬はニトロの嫌気に同意するようにため息のアニメーションを出した。そして肩をすくめて続ける。
「ソレニ、ダトシタラ、あたしノ存在ガ随分ト見クビラレテイルモンダケドネ。アンナ変装、見破ルノニ1ミリ秒ダッテカカラナイヨ」
「まあ、芍薬の力をミリュウ姫は知らないだろうから。知ってたら、あんな変装は企画段階でボツだよ」
 ニトロに慰められた芍薬は少し面映そうに鼻を指で触れ、話を本筋に戻した。
「ソシテ何ヨリ、ミリュウ姫ニハ重大ナ弱点ガアル」
「絶対にティディアには逆らわない――いや、逆らえない、かな?」
「御意。『ティディア姫』ハ、ミリュウ姫ニトッテ『絶対的な存在』ソノモノダカラネ。ダカラ、万ガ一ニデモソレニ嫌ワレカネナイコト……『ティディア姫ノ恋人』ニチョッカイヲカケルナンテコトハ、ドウシテモ考エヅラインダ。アノバカハ『小姑ト恋人ノ喧嘩』ガ起キタラ嬉々トシテ楽シムダロウケド……」
「肝心のミリュウ姫はティディアが関わることにはどんなに不満があっても押し黙るし、押し黙ることしかできない」
「ソウイウ性格ダヨ。昔ノ『資料』カラ見テモ、最近ノ様子カラ見テモ」
「うん。俺も、そう思う」
 ただ、そういう人物に限って他人には量れない理由で、あるいはふとした拍子に『一線』を越えたら怖いけどな……と、一瞬そんな考えがニトロの脳裡をよぎった。
 ティディア・マニア、と言えば『隊長達』の前例もある。
 しかし、その前例はおそらくミリュウ姫には提要されないだろうと、ニトロはすぐに考えを改めた。いくら『マニア』を自称しているとはいえ、ミリュウ姫と『隊長達』には決定的に大きな違いがある。隊長達はあくまで他人であるのに対して、ミリュウ姫は実の妹だ。彼女自身、それが何よりの誇りだと何度も発言している。
 そして、その事実は例えティディアに恋人――伴侶ができたとしても決して覆されることはない。そう、彼女には、『隊長達』とは違ってティディアに可愛がられる一番の妹という絶対的な優位性があるのだ。揺るぎない拠り所があるのだから、やすやす暴走して折角の優位を自ら捨て去ることはないだろう。
 劣り姫――そうは呼ばれていても、彼女は『クレイジー』ではないのだから。
 そこまで考えたところで、ニトロは、すれ違おうとしている対向車の運転席で中年男性が熱唱している姿にふと目を奪われた。男性は拳を握り、顔面を紅潮させてまで全力で歌っている。周囲の目などもはや完璧に気にしていないのだろう、実に楽しそうな姿だ。
 A.I.同士が運転する車はきっちり時速50kmですれ違う。
 インパクトのある歌唱を見せてくれた中年のサラリーマンが過ぎ去った後にはもう、ニトロの脳裏をよぎった予感も共に背後へと消え去っていた。
「まあ、結局、引き続き『相手』の出方を……窺うしかなさそうだね」
 一つ息を吐き、肩を軽くすくめ、ニトロは重々しく歯切れ悪い口振りで言った。
 芍薬は、マスターの言葉に苦い面持ちで鈍くうなずく。
 可能性は絞れども、明確な結論を出せぬまま『結論』を出さねばならない居心地の悪さ、また、それをそのままにしておかねばならない心持ちの悪さ――
 一番高い可能性は挙げられても、所詮それは可能性でしかなく、あるいは『事件』は現在も進行中であるという不気味――
 共に感じている不快感を共に露骨に表し合ってしまったニトロと芍薬は思わず目を合わせて動きを止め、そして、同時に破顔した。
 今回の件は確かに奇妙で、不可解で……これまでの出来事とは異質なものを感じる。だが、それに囚われて気を沈めているのは面白くない。
 ニトロは揺らしていた肩をもう一度すくめ、今度は明るく言った。
「今のところ仮説@が一番可能性高いと思うから、芍薬、警戒することが増えて大変だろうけどよろしく頼むね」
「承諾」
 頼もしくうなずいた芍薬にニトロは微笑みを返した。
 そして、
「あ、そうだ。サンドイッチ用のパンのことだけど、どうせならティディアにとことん後悔させてやりたいからさ。寄り道できる範囲に美味しいパン屋がないか調べてくれる?」
 言い終わるが早いか、芍薬の背後に王都ジスカルラの地図が表示される。そこには数個の明るい星が印されていた。どの星もドロシーズサークルから漫才の収録を行うテレビ局までの道に沿い、道を外れても数キロの範囲で収まる位置にある。
 ――いやいや、いくらA.I.の得意分野の仕事といっても余りに早すぎやしないだろうか。
 ニトロが呆気に取られていると、芍薬は実に気分良さそうにウィンクをした。
「ソウ言ウト思ッテピックアップシテオイタヨ、主様」

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