ドーブと別れてから五分ほど歩いたところで、ニトロはミリーが『お母さん』と待ち合わせたという道路に出た。
 『レーダー』に映る青点――芍薬の動かす車も付近に来ているのを見ながら、
「お母さん、どこを探していたって?」
 ニトロが問うと、明らかにしょげた様子でミリーはつぶやいた。
「フーバーリード・センター」
 ここに来るまで手をつなごうとはせず、とぼとぼと歩いてきていたミリーは所在なげに胸の前で指を絡ませている。顔は常にうつむき、渋面にも近い眉目は自ら犯した『失敗』への後悔をニトロに何度も自ら報せているようでもあった。
「フーバーリード・センターか」
 ニトロの瞼にレアフードマーケットが開催されているコンベンションセンターが浮かぶ。
「じゃあ、あそこでじっとしていれば良かったんだね」
「…………うん」
「お母さんに会えるのに、嬉しくないの?」
「……」
 ミリーは、小さく首を左右に振った。
「…………自分で、見つけられなかった」
「あれだけ自分で歩いて探してたんだ。それだけで立派だよ」
 ミリーは再び、今度は少し強く否定を表した。
 そしてそれ以降は何を訊かれても応えようとはせず、当然、ニトロに話しかけることもしない。
 仕方なく、ニトロは黙って待つことにした。
 多くはないが少なくもない交通量の道を何台もの車が行き交う。ニトロは車が近づく度にどれがミリーの迎えだろうと目を向けたが、ミリーはうつむきスカートを握りこんだまま微動だにしない。その内、ミリーがわずかに右方を見ていることに気づいたニトロは同様に首を右に回して動かなくなった。
 道とタイヤが互いに削られあう音ばかりが通り過ぎていく。
 有名な歌手のライブツアータイトルを荷台側面に描いた巨大なトレーラーがガードレールのすぐ向こうを轟音を上げて走り抜け、トレーラーを追いかけるようにやってきた風が二人の髪と服の裾をひらめかせる。
 ふいに頭の黒いオナガがガードレールに降り立ちミリーの興味を引いたようだった。が、ミリーはすぐに肩を落として目を地面に戻す。
 ニトロは思わず『パトネト王子』と声をかけ慰めたくなった。しかしそれをしては慰めるどころかトドメを刺すことになると思い直し、引き続き口をつぐんだ。
 気まずい沈黙に十分も耐えた頃だろうか、
「きた」
 と、ミリーが声を上げた。
 その視線の先には、ファミリーカーとして人気のある自動車があった。心持ちスピードが速いのは、法律遵守のA.I.ではなく運転席にいる金髪の女性が自ら運転しているからだろう。
 ミリーが一歩、ガードレールに近づく。ニトロはそのまま待った。
 パールホワイトのその車は一度迷ったように不可解な加減速をし、二人からやや離れたところで停まった。
(ああ、そうか)
 車が停まったのは、公園エリアに車が進入できるように作られたガードレールの隙間の前だった。ニトロは初めからそこで待っておけばよかったと頭を掻き、運転席から慌てた様子で出てくる女性を見ながら言った。
「お母さん?」
「……うん」
「じゃ、行こうか」
「うん」
 ニトロはミリーと連れ立ち歩きながら、歩道に入るや顔を歪ませてこちらへ駆けてくる女性を観察した。
(アンドロイドか……兵士か何かかな)
 見た目にはどこにでもいそうな若い母親といった容貌をしているが、その走る姿を観て、ニトロは彼女が『ただ者』ではないと判断していた。身のこなしからハラキリやトレーニングジムのトレーナー、あるいはヴィタに通じるものを感じる。身長が自分より十センチは低いためヴィタの『変装』という線は薄いだろうが、とはいえ少しは警戒しておいた方がいいだろう。
「ああ良かった、ミリー!」
 ミリーは何の躊躇いもなく『お母さん』に早足で歩み寄り、彼女の腕の中に飛び込んだ。
 人見知りや遠慮の欠片もないところからすると、よほど親しい間柄なのか、それともやっぱりアンドロイドだろうか。
「すいません、ご迷惑をおかけして」
 ミリーを抱き上げ、母親が近づいてくる。
 ニトロはいつでも臨戦態勢に入れるよう注意しながら、泣きそうな顔で何度も頭を下げてくる母親に応えた。
「いいえ、何も迷惑はありませんでしたよ」
 ――それからのやり取りは、実に紋切り型のやり取りだった。
 母親の感謝と、それに対する応え。
 母親の後悔と、それに対する応え。
 母親の安堵を語る言葉と、それに対する応え。
 ニトロが「迷子防止札アンミスカードは必ず持たせるようにしてくださいね。ポケットの中に縫い付けたりしてでも」と忠告をすると、母親はしきりに涙ながらにうなずいた。どうしてミリーの携帯端末モバイルに連絡をしなかったかと問うと、母親はそれをミリーが持っているとは思わず、娘と同様に持っていたモバイルは家に置いてあるものだと思い込んでいたと言う。さらには気が動転し過ぎ、ドロシーズサークルの警備に『迷子届け』を出したのもついさっきだと言われたニトロは呆れるしかなく――同時に無理が勝ち過ぎる手際の悪さだとも思いながら――「次からは落ち着いて」と若い母親に言うことしかできなかった。
 母親は何度もニトロに頭を下げ、ミリーにお兄さんにお礼を言いなさいと言い、娘が「ニトロ君」と言ったところで初めて『ニトロ・ポルカト』だと気づいたように驚愕の声を上げ……また何度も感謝と悔いと安堵と――加えてニトロとティディアを礼賛する世辞を繰り返し、ここで母親を待っていた時間を軽く超えたろうか、ひとしきり『儀式』が済んだところでやっと母娘は車に乗り込んだ。
 そして、
「――ん?」
 後は車が発進して見送るだけだと思っていたニトロは、ふいにミリーが起こした行動に小首を傾げた。
 ミリーが思い直したように車を降り、ニトロの下に戻ってくる。
「……ねぇ」
 ミリーは、怪訝な表情を浮かべて自分を見つめるニトロを見上げて言った。前髪の奥に双眸を隠すように目を伏せ、そこから上目遣いに人を窺い見る瞳が、どこか射抜くようにニトロを捉えている。
「ニトロ君、最後にもう一つ教えて」
「何を?」
「あのね……ニトロ君は、ティディアお 姫様のこと、好き?」
 それは、なかなか強烈な問いかけだった。
 答えは決まっている。嫌い、その一言だ。
 しかし、その感情を……ティディアお姉ちゃんのことが大好きな弟に、そのままぶつけてしまっていいものだろうか。
 ニトロは短い間に葛藤と逡巡を胸裏に巡らせ、しゃがみ込んでミリーと視線を合わせると、こう答えることが正解なのだろうかと迷いながら――かつ、これは最後の最後に訪れた『本番開始』の合図なのだろうかと周囲に気を配りながら、言った。
「今はティディアと喧嘩中なんだ。だから今は、嫌いだよ」
 ミリーは、じいっとニトロを見つめていた。
 ニトロに嘘をついたという後ろめたさはない。それも、事実であることに間違いはないのだから。
 やがてミリーは自分の中で納得がいったのか、小さくうなずいた。
「……ケンカをしたら、次は仲なおりだね」
 ニトロは少し曖昧に微笑んだ。
「……じゃあ、バイバイ、ニトロ君」
「バイバイ、ミリー。元気でね」
 小さく手を振ったミリーにニトロが手を振り返すと、ミリーは踵を返して車に戻った。
 エンジンがかかり、母親がぺこりと一つ頭を下げ……そうして母子は、無事に帰路に着いた。
「……やれやれ……」
 パールホワイトのファミリーカーが見えなくなるまで見送ってから、ニトロは疲労を吐き出すようにつぶやいた。
 ――随分悩まされた割に、終局は随分とあっさりとしていたものだ。
 母娘が去ると同時に、ニトロの伊達メガネが映すレーダーの赤点は、潮が引くようにいずこともなく消えてしまった。
 未だに残っているのは、例の黒い星と青い点の二つだけ。
 黒い星は動かない。じっとこちらを窺っているのだろう。誰かに見られているような感覚は今も絶えない。
 青い点はもうそこまでやってきていた。二百メートルほど先の交差点を曲がり、こちらへと向かってくる。
 ミリーの『お母さん』が車を停めた場所でニトロは乗り慣れた自家用車が来るのを待っていた。法定速度でやってきたそれは目の前で静かに停まり、後続車が追い越していったところで運転席のドアを自動で開く。車に乗り込んだニトロが荷物を助手席に置きシートベルトを締めると、ドアをロックした芍薬は車のアクセルを入れた。
「結局……何だったんだろう」
 黒い星との距離が急速に開いていくのを目に、ミリーと出会ってからずっと引き締めていた心をようやく緩めてニトロは言った。
 黒い星がレーダーの外に出て、伊達メガネのレンズ・モニターからレーダーそのものも消える。それと入れ替るタイミングで、ダッシュボードのモニターに芍薬の肖像シェイプが現れた。
「芍薬の言う通り『害』はなかったけど……
 だから余計に、もう何が何だか解らない」
「幾ツカ仮説ハ立テテルケド」
 自分の予測が正しかったことが証明されたというのに、どこか浮かない顔つきで芍薬は言った。
「ヒトマズ一番可能性ガ高イノハ、主様ガターゲットジャナイ――ッテコトカナ」
 芍薬の、ともすれば突拍子もない説にニトロは驚いた。

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