pdimgとは、来歴証明ペディグリードファイル化したイメージファイルの略であり、拡張子だ。
 そして来歴証明ペディグリードファイルとは、それ専用のデータ管理機関に『このデータファイルの作成時に第三者である私が立ち会いました』という認証を取り付けたファイルのことを言う。
 それを利用したい者はまず、来歴証明ファイル化サービスを行っている機関に認証を取り付けたいデータを、専用プラグインを用いて作成もしくは加工・変更開始時から一度も保存していない『未保存』の状態で送る。すると各機関はデータ容量ごとに定めた利用・登録料の支払いが確認された時点で、来歴証明ファイル化したデータを作成者に送り返してくる。その手順を正しく踏んで作られた対象ファイルにはシリアルナンバーが割り当てられ、認証取得以降、来歴証明ファイルに変更・加工・コピー・保存場所の移動といった作業がされる度に、その内容・回数・日時が管理機関側のデータベースに保存された『登録原本』にも常に通知されることになる。
 つまり、ほぼあらゆる画像を現実のものとして誰でも簡易に作成できる現代の――ある意味で悲しき産物である――少なからぬ金銭をかけて可視化された信頼性を付与されたファイルというわけだ。
 もちろんいくら認証があるとはいえ、既に保存を何度も繰り返してから認証を取ったファイルや作成日時と認証取得日時が離れているファイルよりも、保存回数の少ない・作成日時と取得日時が近いファイルの方が信頼性は上がる……といったようにその信頼性は絶対的なものではない(そのため、もし裁判にて、個人の作成した来歴証明付きの画像や映像を証拠として扱おうという場合にはこの点が一つの争点となる)。
 だが、ドーブの場合はカメラの機能で撮影データを同時進行で二つ作り、一方はオリジナルとして保存、もう一方はpdimg用に『未保存』のまま開いていたのだから、その信頼性は実現可能な中で最も高いもの。『有名人にサインをもらった』という事実を証明するにおいて、これ以上の手段はないだろう。
「で、どこで認証を取るの?」
「来歴証明サービス課に」
 サインを書きながら何気なくかけた問いに思わぬ答えが返ってきて、ニトロは吹いた。もうコンマ一秒サインを書き終えるのが遅かったら、危うく書き損じるところだった。
「来歴証明サービス課って……またベラボーに高い……」
 来歴証明への『信頼性』には対象データへの信憑性と共に少なからず認証を行う機関への信頼度も関係する。来歴証明サービス専門の民間企業、銀行などが副業的に行っているサービス窓口――等々その機関は数あるが、中でも最も信用を集める所は二つだ。
 一つは、アデムメデスでのこのサービスの黎明期から生き残るヘィリッジ・リライアンス株式会社。もう一つは『情報省』の内部部局である『来歴証明サービス課』。あえて一位を決めるとしたら、無論、公的機関の――それもトップの認証を得られる後者が挙げられるだろう。
 そして両者は信用の高さに比例するように利用・登録料が高いことでも有名で、確か写真程度の画像データでも五万リェンを少し超えたはずだ。
「当然の対価です」
「そこまでの価値はないと思うよ」
「そんなことはございません!」
 熱っぽく、ドーブは言った。
「失礼な言い方ではございますが、ニトロ様にはそれだけの――否、それ以上の価値があるのです!」
「いや……」
 ドーブは真剣な眼差しで、ニトロを凝視する。その迫力は彼が獣人の大男であるということを差し引いても相当なものだった。
「……買い被りだよ」
 ニトロは口元を複雑な形に歪めて言った。
 そこにドーブが反論しようとしたのだろう、口を開きかけた時――
「ね、ね」
 ミリーがドーブに声をかけた
 ニトロは驚いた。
 ドーブも驚いて、初めて自分の傍に寄ってきた少女を見下ろし目を丸くした。
 ミリーは二人の注目を浴びたことで身を縮ませながら、それでも搾り出すように――あるいは我慢しきれないように――言った。
「コピー」
 ミリーは、大事そうに両手で持ったカードサイズの携帯端末モバイルをドーブに差し出した。
「――ああ! はいはい、いいですよ。でも、ちょっと待っててくれるかな? すぐに来歴証明ペディグリっちゃうからね」
「……早く」
「はいはいはいはい」
 よもやミリーに声をかけられただけでなく、さらに急かされ、ドーブは焦っているようだった。
(まあ、無理もないか)
 ドーブが慌てて、されど慎重に手続きを済ませているのを見ながら、ニトロは内心で笑っていた。
 そして、
(それにしても――)
 思わぬところでボロが出たものだと、カメラから無線を通してデータをもらっている『ミリー』を見つめる。
 先ほど『予備の携帯電話』が起動していたのは、それを使って『彼』が電源を入れる際に必要な指紋・声紋認証システムをハッキングしたからだろう。その周辺のシステムは『本体』と違って、やはりカモフラージュのために普通の携帯電話と変わらぬ作りだ。音に聞くパトネト王子の能力が事実であればその程度のことは造作もあるまい。
(……『本体』まで見られなかったのは、幸運だったな……)
 かなり危ない橋を知らぬ間に渡らされていたのだと思うと震えが来る。
 とはいえ、いくら予備を持っていたからって誰にも不思議に思われぬ『携帯電話』のような構造的に外部からケーブルなどで接続可能なものをカモフラージュに使うと――ハラキリは決して落とさぬようにと言っていたが――それに加えて、こういう危険もあると知れたことは、そう、幸運だった。
(ハラキリにもっと安全なのを頼んでみるか。多機能って贅沢言わなけりゃ、何かいいのがあるだろ)
 自然とこぼれそうになるため息をニトロは胸に流した。全く、色々と親友には世話をかけっぱなしだ。
「では、ニトロ様」
 ドーブがカメラを差し出して言った。
 ふと気づけば、ミリーは用が済むや再び獣人を避けて自分の後ろに隠れている。ニトロは苦笑しながら携帯電話を操作し、ドーブのカメラから受け取った写真を芍薬に送った。伊達メガネのレンズ・モニターに♪が一つ、舞った。
 半ばスキップを踏んでケータリングカーに戻っていくドーブの背中を見送ったニトロは、
「さて」
 背後の、撮り立ての写真をモバイルの機能で立体映像ホログラムにしてホクホクと眺めている『ミリー』に振り返った。
「ミリー」
 その声に、何かただならぬモノを感じ取ったのだろう――ぴくっと、小さく、ミリーが体を震わせた。
「その手の中にあるものは、何かな?」
 振り返ったミリーは太陽を背にし己の体に影を落とすニトロを見上げ、
「ぴッ」
 奇妙な悲鳴を上げた。
 大分西に傾いた日輪が、ニトロの頭の後ろで放射線状に光を放っている。影となった彼の顔面は微笑を刻み、瞼も目頭も目尻も緩んだ中、そこだけ嫌に硬質な瞳が影の中でなおギラリと輝きを増して、ミリーを、見据えている。
「モバイル、持ってないって言っていたよね」
 異様な迫力のある声だった。立ちすくむミリーはニトロを見上げたまま背中を丸めて瞳を揺らしていた。
「俺を騙してたのかな? 嘘つきは巨鶏デカドリに頭をつつかれて脳味噌出されちゃうぞ?」
「……でもそれ、嘘って」
「んー?」
「……えと、あの……」
「それとも、嘘をつく悪い子になってティディア姫に食べられたいのかなあ?」
「でもでもそれも嘘って」
「本当に、嘘って、言い切れるかな?」
 ミリーに顔を近づけ、ニトロは声を殺して囁いた。
「あいつは、マジでやりかねない。そうは思わないか?」
 反論は、なかった。あるいは『弟』自身が姉ならやりかねないと思ってしまったのかもしれない。もはや『ミリー』は目の端に大きな涙の玉を作っている。それでも『全面降伏』はせず、何か言い訳を探しているように瞳を左右に動かし――
「…………嘘、じゃないもん」
 やおら、ミリーはカードサイズのモバイルを胸に抱いて、妙案を思いついたのか顔をわずかに輝かせて言った。
「あったの。これ、お家においてきてたと思ってたけど……ここに入ってたの」
 ポーチを見せるミリーは目に懸命に力を込めて、それが『真実』だと訴えている。そこには、もうこれ以上は嘘を追求されたくない、しないで欲しいという要求も垣間見えた。
 ――確かに、その嘘をこのまま本格的に追及すれば、『ミリー』はこちらの怒気に耐えかねて『事実』を吐露するだろう……ニトロはそう思ったが、ため息を一つつくとぽんとミリーの頭に手を置いた。
「そっか。入ってたのか」
「……うん!」
 ミリーはニトロの手を頭に乗せたまま何度もうなずく。
「じゃあ、連絡しようか。お母さんに」
 一瞬、ミリーは渋った。
 だが、ニトロの『そういうことにしておくよ』という妥協の気配を敏感に気取ったのだろう。最後には降参を示すかのように、弱々しくうなずいた。

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