「いいえ! 結構ですニトロ様!」
「だから、普通の客として扱ってって」
「そういうわけには参りません。ニトロ様から御代はいただけません」
「……それ、俺、嫌なんだ」
「それでも、お願いいたします。ここはわたくしの――奢りということで、どうか」
 ニトロは、ドーブがこのタイミングで『奢り』という単語を選び、そこだけ声音を強めて使ってきたことに反論の言葉を飲み込まされてしまった。その言葉自体にはただ他者にご馳走する意味合いしかないが、そのニュアンスには『対等』や『上から目線』などいくらでも自由に付与することができる。その行為自体にも、両者間での力関係の明示化などそもそもの言動外の意味を加えることができる。
 ここであえてそれを強調してきたのは……それをこちらの『良いように』取って、『良いように』納得してくれということだ。それに、これ以上拒否すれば彼をとめどなくへりくだらせていくだけであろうことが、そこからありありと伝わってくる。
「……分かった」
 短い言い合いの負けを認め、ニトロは財布をしまった。
「ここは、隊長に奢ってもらうよ」
 ドーブは安堵したように頭を下げた。
「ありがとう」
 ニトロは微笑を浮かべて礼を言い、さてテーブルに行こうかと足下に置きっ放しだったレアフードマーケットのバッグを持ち上げ、そこではたと困った。
 手が、塞がってしまった。
「お持ちいたします」
 ニトロの困惑を敏感に察してドーブが言った。
 ケータリングカーの出入り口からぬっと出てきた大男の接近に驚き、ミリーが慌ててニトロの後ろに隠れる。その素早さにニトロとドーブは思わず顔を見合わせ、二人して決まり悪く笑ってしまった。
 仕方なくニトロはミリーをドーブから守るようにして歩き、白いパラソルが柔らかな影を落とすテーブルへ向かった。
 持ち運びがしやすいよう極薄い天板と細い脚で構成された合金製の白いテーブルに、ドーブがトレイに載せてきたジュースとスナック、それと手拭用のウェットティッシュを置く。
 ニトロは四脚ある椅子の一つに腰掛け、横の椅子にレアフードマーケットのショッピングバッグを置き、そこに重ねてショルダーバッグも置いた。ドーブが
「ごゆっくり」
 と言って離れていくのを見計らって対面に座ったミリーを見つつ、ショルダーバッグの専用ポケットから携帯電話を取り出してテーブルの上に置く。
 ミリーはヴオルタ・オレンジのコップを両手で持ってストローを吸っている。その仕草がどことなく『女の子っぽさ』を感じさせるのは、きっと『彼』が二人の姉の影響だけを素直に受け入れているからだろう。
「美味しい?」
 ニトロの問いに、ミリーはこくりとうなずいた。
 ニトロもヴオルタ・オレンジを飲んでみると……確かに、これは美味しい。氷の代わりに使われたヴオルタというフルーツ、あの透明な果物はまさに『氷』だった。舌触りも歯ごたえもシャリシャリとして、ただ氷と違うのはほんのりと果物特有の甘さが閉じ込められていること。それが、少し酸味が勝つ品種のオレンジを使っているらしいジュースと抜群の相性で、柑橘の酸味を丸く抑えながらも爽やかに甘く引き立てている。そもそも果汁の塊であるのだからジュースが水っぽくなることもない。それなのに、後味は水を飲んだ時のようにすっきりとして。
「へぇ」
 思わず感嘆の吐息を漏らすと、こちらの様子をケータリングカーの中から窺っていたドーブがしきりにうなずいていた。自分の提供した飲み物、それも故郷の味を認めてもらえてとても嬉しそうだ。
 次にニトロはウェットティッシュで指を拭き、グィンネーラをつまんだ。
 そして、また驚いた。
 なるほど、これはチキン・ナゲットに似ている。が、似ているのは食感だけで味は別物だ。ドーブの故郷の食材を使っているのだろう香ばしく焼き上げられたクレープ状の生地――色の薄い生地は擬似的な皮、濃い生地は肉といった風で、交互に層となったそれを噛んだ瞬間、チキンというよりはハンバーグのそれに近い『肉汁』がたっぷりと溢れ出す。外見からは想像できないジューシーな味わい、初めて体験する異国の風味に、ニトロは感動を覚えていた。
(こりゃあ、父さんにいい土産話ができたな)
 思いがけぬ『再会』がもたらした『出会い』に何だか嬉しくもなる。あの隊長にはえらい目に会わされたものだが――その半分以上はあのバカ女のせいだとも思うが――これで父が喜ぶ顔を見られるなら、嫌な思いをした甲斐も多少はあったというものだろう。
「おいし……」
 ニトロの真似をするように指を拭いてからグィンネーラを食べたミリーも、そうつぶやいた。
「うん、美味しいね」
 ニトロが言うとミリーは何故か恥ずかしそうにうつむき、ジュースを飲んだ。
 ――と、
「主様」
 テーブルに置いた携帯電話がピッピッと小さく音を鳴らし、追って芍薬の声が流れた。闖入してきたその声に驚いたらしいミリーが肩をすくめて目を見張っている。
「ああ、芍薬だよ。俺のA.I.」
 ニトロが言うと、ミリーは安心したように肩の力を抜いた。
 A.I.には人見知りしないらしいミリーの様子に微笑を浮かべて、ニトロは携帯電話を置いたまま、芍薬に応答を返した。
「何かあった?」
「御意。
 電話ガキタヨ。
 ――姫様カラ」

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