隊長は、ドートガオイングア・グァ・グロイトリ=ブギルと名乗った。本来の発音はアデムメデス人には聞き取りにくく、こちらに合わせるとそうなると言う。彼の母星ぼこくには名字ファミリーネーム名前ファーストネームという概念がないためにそれで一つの名となるそうで、しかしそれではいくらなんでも長いと、友人や仕事仲間からは『ドーブ』という通称で呼ばれているらしい。
 そのことを語っていた時のドーブの目はニトロにもそう呼んで欲しいと訴えるものであったが、とはいえニトロに取って彼はどう足掻いても『隊長』と定まっている。強烈な刷り込みはそう簡単に抜けるものではないし、その方が自然に呼びやすい。
 何度か「隊長」と言うと、ドーブはそれも『罰』だとばかりに受け入れたようだった。
「で、隊長は……この店の店長をやってるの?」
「今は、そうです」
「今は?」
「この事業はわたくしが発案したものです。本格的に事業を動かす際には店に出ることなく本部から各店舗を統括するのですが、新規事業を立ち上げる場合、その幹部となる者は誰であれ現場を知っておくことが絶対条件というのが弊社のルールですので、ですから事業のテスト、マーケティングも兼ね、今はこうして店長をしているのです」
 分かりやすい言葉を選び選びそう語り、ケータリングカーの中に入ったドーブにニトロは怪訝な目を向けた。
「てことは……隊長はもしかしてギグクス&レードロバーニ商事の社員ってこと? この店はそこのだって聞いたけど」
「これは説明不足でした。その通りです。いやこれはニトロ様、よくご存知で……何やら光栄でございます」
 ギグクス&レードロバーニ商事はアドルル共和星に本社を持ち、そこに勤めているとなればそれだけで多くの国で社会的な信用を得られる国際企業だ。新事業を発案し、しかも幹部になるというのなら、ドーブはそこでそれなりの地位にいる人物であるのだろう。さらに話の流れで彼が元々本社の人間であったと聞き、『隊長』としての彼しか知らなかったニトロは驚くしかなかった。
「それが何でアデムメデスに?」
 疑問に思って当然なことをニトロが聞くと、ドーブは照れ臭そうに語った。
 キッカケはアデムメデス支社への出張の時。
 その時、ドーブは幸運にも――あるいは不運にも――直接彼女を見る機会があったのだという。
 そう……王女、ティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナを。
 そして早い話が『一目惚れ』し、その翌年、彼はどんな形であれティディア姫の力になりたいとアデムメデス支社へ転勤してきた。
 ギグクス&レードロバーニ商事は輸出入業を軸に、進出した先のくにで柔軟に事業を展開していくことで知られているが、それにしたって社員ドーブの行動も柔軟すぎやしないだろうか。
「ニトロ君」
 愕然としていたニトロを、未だドーブを避け彼の背後に隠れているミリーが呼んだ。
「あ、ああ。決まった?」
 ニトロが振り向き問うと、ミリーはメニュー表を指差した。
「えと、これ」
 ニトロはミリーが示した文字を読み、
「ヴオルタ・オレンジ?」
「うん」
「……。ヴオルタ・オレンジって?」
 それは『(オレンジジュース)』と注記されているソフトドリンクだった。ヴオルタとは柑橘類の品種だろうかと疑問に思ったニトロは、ドーブに質問を振った。
「オレンジジュースにヴオルタというわたくしの故郷のフルーツを凍らせて砕いたものを、氷の代わりに加えたものです。すっきりとして美味しいですよ」
 なるほど、では一風変わったミックスジュースみたいなものか。ニトロはうなずき、
「じゃあ、それを……大きさは?」
「ちゅうくらいの」
「ミドルを二つ。あと……グィンネーラって?」
「わたくしの故郷の軽食スナックです。感覚としてはチキン・ナゲットに近いものですが……折角ですので、どうぞお召し上がりください」
「うん。それでよろしく」
 ドーブは早速作業にかかった。全自動調理器を操作し、コップと皿を用意する。
「ニトロ君!」
 と、急にミリーが大声を上げた。
 その声の大きさが今までにないものであったためにニトロは思わずびくりとして振り向くと、ミリーが瞳を輝かせて両手でニトロの両腕を掴み、
「だっこ、だっこ!」
「抱っこって……」
 先ほどのおんぶを超える、急に人が変わったかのような強い要求にニトロはうろたえた。だが……何やら爪先立ちになっているミリーの視線を追い、その眼が視野になかなか捉え切れぬものをどうにか見ようと頑張っていることに気づき、彼は納得した。
 ミリーは、調理器が商品を作り上げていく様を観たくてたまらないらしい。
 それならいいかとニトロはレアフードマーケットのバッグを脇に置いてしゃがみこみ、抱きついてきたミリーをしっかり腕で支えて立ち上がった。ミリーはカウンターの奥でクレープ状の生地を四角く厚く焼き上げていくロボットアームを凝視し、鼻息を荒くして瞳をさらに輝かせる。
 子どもらしい好奇心の発露だろうか、それとも科学技術分野に才能を見せる『パトネト』の興味の爆発だろうか。
 ニトロは『ミリー』の様子を微笑ましく思いながら、同様に目を細めているドーブへ話を戻した。
「それにしてもさ、隊長」
「何でございましょう」
「会社クビになった挙げ句、強制送還されるかもって思わなかった? あんなことして」
 ニトロに訊かれ、ドーブはまた照れ臭そうに笑った。が、髭と長い尻尾はしょげて垂れ落ちている。
「いやあ、お恥ずかしい。何もかもわたくしの不徳の致すところ。わたくしの、独り善がりなティディア様への間違った愛が故の愚かな過ちでございます」
「つまり、頭に血が上ってて後先考えてなかったと」
「ははは、つまりそういうことで」
 どんな理由があろうと人一人に襲撃をかけるなど笑い事ではないが……希代のカリスマを持つ王女の虜となった『マニア』の怖さを十二分に知っているニトロはドーブの言い分に寒気を覚えながらも妙に得心してしまい、一方で、彼が躊躇いなく『間違った愛』と言い切ったことに安堵もしていた。
 血気盛んにティディアへの盲目の愛を叫んでいたあの『隊長』が、本当に安全な人物となっている。何か憑き物が落ちたようでもあった。
(そういや、ティディアが言ってたな……)
 ――「もしかしたら、ニトロのファンになるのも、いるかもしれないわね」
 ニトロはあの『二度目の襲撃』の夜、背中から聞こえてきた苦しそうなのに嬉しそうな声を思い出し、その予想が少なくとも一人に対しては当たっていたことを知った。
 しかし、まさか彼が新たに『ニトロ&ティディア親衛隊』なるものを立ち上げていたとは……新規事業を立ち上げていることといい、アデムメデスにやってきたフットワークといい、呆れるほど行動力のある人だ。
 ふいに、ミキサーからころころと音がした。
 見ると、そこに落ちたのは『透き通った木苺』だった。これがヴオルタなのだろう。凍っている様はクリスタル製の彫刻にも見える。続いてオレンジジュースが注がれ……
 ミリーが、小さく歓声を上げた。
 ミキサーの刃が回転を始めるや『透き通った木苺』はあっという間に細かく砕かれ、鮮やかな山吹色のジュースと均等に混ざり合っていく。作り方はスムージーにも似ているなとニトロは思った。それともクラッシュドアイスを用いたカクテルだろうか。プラスチックの透明なコップに注がれたそれは、ヴオルタの微細な欠片が光を受けてキラキラと輝いて、見た目にもとても美しかった。
 ジュースはスナックの完成に合わせて作り上げられたらしく、カウンターに置かれた二つのコップの横に、二センチ角の賽の目に切り分けたパンケーキのようなものを載せた皿が置かれる。
 これがグィンネーラであるようだ。ドーブと話しながら見ていたところ、厚いクレープ状の生地を色違いで二種類――薄色を三枚・濃色を二枚焼き、それを交互に重ねて最後に押し固めたもので、ニトロも初めて見るその軽食スナックに強く興味を引かれていた。
「……んー……」
 と、耳元でうなり声が上がり、ニトロが何かと思えばミリーが腕をつっぱっていた。
 今度は、降ろせ、と要求しているらしい。
 ニトロは我儘な『お姫サマ』に苦笑いし、ミリーを降ろした。するとミリーは再びニトロと手をつなごうとする。
(……おんぶは良くて、でも用が済んだら抱っこされてるのは嫌で、だけど手はつなぎたいのか)
 本人なりの基準があるのだろうが……難しい。これは、苦心している周囲の人間も多いことだろう。
 ニトロはミリーと手をつなぎ直し、腰の後ろに回してあるショルダーバッグからマネーカードの入った財布を取り出し、カウンターにある電子マネー端末に触れようとし――
 その瞬間、財布と端末の間に大きな手を大慌てで差し入れドーブが言った。

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