何を言えばいいのか分からず、ニトロはとにかく思いついた疑問をぶつけてみた。ここまでもっと間近ですれ違いながら誰も気づかなかったのに、そういえば『隊長』はしばらくこちらを観察しただけで正体を見破ってきた。
「それは貴方様のことは日々よおく拝見していますから。いえ、さすがに一目では判りませんでしたが……しかしお名前を呼ばれたお姿を前にしてまで気づけなかったら、それは私にとって非常に恥ずかしいことです」
 そこまで言って、さらにバツが悪そうにして獣人は頭を掻き、尾と鼻の周囲にある髭をピンと張ると、
「その節はまことにご迷惑をおかけしました。わたくし、ニトロ様の拳で目が醒めたしだいでございます。二度も犯した過ちを悔い、己を責めぬ日はありません。今更ではございますが、直接こうしてニトロ様にお会いできたのは慈悲深き神のお恵み。心から、深く深くお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした」
「え……あ、ええっと……」
 惑いの海を急速潜行し続けている脳味噌はまともな対応を探り出せない。ニトロは何をどうしたもんやら必死に考え、とりあえず、
「いいよ、もう。結局、大事にはならなかったし」
 ニトロが搾り出すように言った赦免の言葉を、獣人はまなじりを濡らし感極まったように受け止めた。
「ありがとうございます! ニトロ様のその寛大な御心、わたくし、常々大いに感動しております」
 深々と頭を下げ、声を震わせ言われ、ニトロはもう何も言えずにぽかんと口を開けた。
 それを面白がるように、ニトロの視界に獣人に被せて芍薬のデフォルメ肖像シェイプが現れる。
<今も『隊長』だけどね、現在は、『ニトロ&ティディア親衛隊』の隊長なんだ>
 ぽかんと開けていたニトロの口が、さらに呆けて開く。
<だから、大丈夫>
 そんな情報聞いてない! と芍薬に文句を言いたい気分だったが、まあ、特に連絡必須な事項ではない。『危険』でないなら芍薬が報告してこなかったのは不思議ではないし、問題でもない。それとも、芍薬は、こんな愉快なことはいつか絶好の機会に知らせようと『悪戯心』でも抱いていたのだろうか。
 ――いや、その肖像が浮かべる笑顔。キラキラと輝くアニメーション。きっと、そうに違いない。
<ちなみに、アタシは会員番号2106番だよ>
(まさかの四桁!?)
<登録総数はもう三万を超えてるんだ。主様の人気、高いんだよ♪>
(よもやの五桁!!)
 もちろん芍薬は潜入捜査のために――また、以前のようにティディアが介在していないかと警戒のために入会していたのだろうが、それにしてもその会員数には驚かされる。こう言っては悪いが、おそらく前回と同様にクローズドコミュニティの、たかだか個人運営のサークルだろうに……。
 ニトロが唖然としていると芍薬が手を振って消え、その裏から『隊長』の怪訝そうにこちらを窺っている姿がニトロの目に飛び込んできた。
「あの……どうかされましたでしょうか」
「――あッ、ああいやいや、別に何でも」
 慌ててニトロが笑顔を浮かべて取り繕うと、獣人は安堵したように髭を垂れ、そしてニトロの後ろを覗いた。
 獣人を避けるようにして、ミリーがニトロの背後で身を小さくしている。ニトロの手はより強く握られていた。
「その子は、ティディア様との?」
「ンなわけあるかい!」
 単純なボケに単純にツッコミ返すと、獣人は嬉しそうに目を細めた。
「そうですね。いくらなんでも大きい。親戚の方ですか?」
「……」
 どうやら『ミリー』が『パティ』であるとは全く気づいていない――いや、思いついてもいないようだ。やはり、あのパトネト王子が女装をして、姉と共にいないことはありえないという先入観が働いているのだろう。
「迷子だよ。自分で母親を見つけたいそうだから、手伝ってるんだ」
「それはお優しい」
 嘘偽りない感嘆の吐息混じりに獣人は言う。
 ニトロは、何だかやりづらくて仕方がなかった。
「それで、歩き疲れたからジュースでも飲んで休もうってことになってね」
 出会いの経緯から敬語も遣い難い。まあ、これこそもう仕方がないだろう。
「営業中? 休憩中だったら、」
 ニトロが言い切るより先に、獣人が居住まいを正して言った。
「これは気づきませんで! 大変失礼いたしました。ささ、どうぞこちらへ。お詫びと言っては何ですが、お好きなものをいくらでもご提供させていただきます」
「いいよ。ちゃんと客として扱って」
 ほぼ反射的にニトロが言うと、それにも獣人は感嘆の吐息をつきうなずいた。
 ……本当に、やりづらい。
「ささ、こちらへ。お嬢さんも、どうぞ」
 獣人が笑顔で言うが、ミリーはニトロの陰から出てこない。
「……じゃ、行こうか」
 振り返り、ニトロが言うとようやくミリーはうなずき、しかしそれでもニトロを盾にして歩き出した。
「人見知りみたいでさ。気を悪くしないでね」
 背後のミリーと手をつなぎながら、さらに腰の後ろに回しているショルダーバッグをミリーに掴まれて、ニトロは酷い歩き難さに転ばないよう注意しながら先を行く獣人に言った。
「気を悪くするなど、とんでもありません。しかし、人見知りの子に助力を求められるとは……いやはや、さすがはニトロ様」
「いや……。
 ア ハ ハ」
 これはもう本ッ当に、マジでやりづらい。
 ニトロは乾いた笑いを発した後、こっそりと小さく肩を落とした。

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