ニトロはミリーの誘導に従い公園エリアを何ブロックも渡り歩き、次第にドロシーズサークルの外れ、より人の少ない方面へと進み続けていた。
何度か賑わう目抜き通りを歩き、広場でストリートパフォーマーが作る人垣の横を通り過ぎたが、幸いそこでも自分の正体も『ミリー』の正体も暴かれることはなかった。相変わらずミリーは人目を集めるし、そのおまけで自分もちらちらと観察されるが、最後には決まって「お兄さん?」という顔をされるだけ。
……まあ、よくよく考えてみれば一人っ子の『ニトロ・ポルカト』が歳の離れた妹を連れて歩いているとは思われないだろうし、まさか実子を連れているなんて思われることはもっとあるまい。それに何より、『パトネト王子』が女装をして姉やお供を伴わずに出歩いているなんて誰も思いつきすらしないだろう。
それらの先入観に加え、ニトロ・ポルカトとティディア姫、ならともかく、パトネト王子との極めて珍しい組み合わせに感づく者がいたらそれは奇跡的なことなのかもしれない。
とはいえ、
(むしろ騒がれた方が『お母さん』は見つかるんだろうけどな)
本当ならば……ではあるが。
しかしミリーは時折思い出したようにきょろきょろと周囲を見る他は『お母さん』を探す様子もなく、たまにドロシーズサークルの警備アンドロイドを目にした時にはさりげなく――こちらがその『不自然さ』に気づいていないと思っているのだろうが――アンドロイドへ近づかないように誘導してくる始末。
姉であるバカ姫と違い人を騙すのに慣れていないのだと思うと可愛らしくもあるが、こんなところでその経験を積ませていいのかと思えば複雑な気分にもなる。
いっそ『パティ』とでも呼んでこちらが理解していることを明かしてやろうか。そうすればこの馬鹿げた『迷子ごっこ』も終わる。『ミリー』が悪い癖を身につけてしまう危険も防げるだろう。
だが、歩き疲れてうなだれながらも――例えば花壇であったり、鳥であったり、ストリートパフォーマーの手にする道具であったり、何かに興味を引かれるや、控えめに、されどどこか楽しそうに質問をしてくるミリーを見ていると、その姿をこちらの思いのみで無残に打ち崩していいのか……躊躇ってしまう。
「……ニトロ君……」
しばらく口を閉ざしていたミリーがふいに立ち止まり、一点を指差して言った。
今度は何だろうとニトロが足を止めてそちらを見てみると、これから向かう先の広場の隅にオレンジ色の
ミリーはジッとニトロを見上げて動かない。顔を上げた拍子に生え際近くの前髪が汗の滲んだ額に貼りついている。
「そうだね」
色々と思うところはあるが、ニトロはミリーの『提案』に従うことにした。
「ジュースでも飲んで、一休みしようか」
ミリーがぱっと顔を輝かせ、大きくうなずいた。ニトロの前に立ち、手をつないだ彼を引っ張るように歩き出す。
その力は思ったより強く、ニトロは『ミリー』がやはり男の子だなと感じた。
それに、内気で弱気でありながら、意外や根性がある。一度『おんぶ』を断ってからはこちらを頼ろうとはせず、ここまで「休もう」と要求もせず、弱音も泣き言も吐かずに歩き続けてきた。
それは、もしかしたら『彼』が何らかの使命感を持っているからかもしれない――『姉』から頼まれた、だから頑張る……とでも。それとも、お姉ちゃん子ならではの意地とも言うべきか。
<『ディアポルト』。ギグクス&レードロバーニ商事が新しく始めようとしている移動飲食業で、まだテスト段階ってことだけど一応実在しているお店だよ。そこで営業することも、ドロシーズサークルの管理に一ヶ月前から許可を取ってる>
ニトロの伊達メガネを介した視界に、監視カメラや各種情報源から情報を得た芍薬のメッセージが送られてくる。
(なるほど)
車体側面に『ディアポルト』と斜体の
出所明らかならば、出所不明な――いかにも急造の――店舗を利用するよりも格段に安心できるものだ。無論、『ティディア絡み』の最中であるのだから全幅の信頼は置けないが、少なくとも視界の隅にある時計盤型レーダーの赤点、そして今や黒い星になったカメラマンよりは信頼できる。
ニトロはちらりとその黒星がある方向、公園エリアの木立並ぶ植え込みへと視線を向けた。それに応じて、そろりそろりと動いていた黒はぴたりと動きを止めた。
(どういうつもりなんだか……)
芍薬が『敵』と判断したこちらを取り囲む無数の点の中で、唯一、そのカメラマンの正体だけは既に判明していた。
それは意外なところで接点のある人物……何だか随分昔のことに思えるが、芍薬がニトロのA.I.になったまさにその時、ニトロの乗る無人タクシーのシステムにハッキングをかけて盗聴を目論んでいた『フリーの下衆ライター』だった。
あの時は芍薬が素早く対処し、彼の使うコンピューターを破壊し、ついでに違法行為をタクシー会社経由で警察に通報したものだ。以来全く何の接点もない相手だったが、それが随分久しぶりに、性懲りもなく、無断で『取材』を仕掛けてきている。
ティディアに目をつけられることが、怖くないのだろうか。
それともティディアに目をつけられるリスクを犯してもなおスクープが欲しいほどに生活が逼迫でもしているのだろうか。
あるいは、そのカメラマンの存在をあちらも気づいているはずなのに、あえて放っておいているということは、やはりグルか……
(っても、札付きのカメラマン使って得することって何だろうなー)
ぼんやり考えつつ植え込みに向けていた眼をケータリングカーに戻したニトロは、そこから出てきた店員らしき
「――あれ?」
思わず、うめいた。
ディアポルトの制服なのだろう山吹色のエプロンをつけた大男は、手にした布巾でテーブルを拭き始める。リズムを刻んで揺れる尾に合わせ、機嫌良さそうな鼻歌が風に乗って聞こえ――と、ふいに大男の頭の上でピンと立つ耳が大きく動いた。近づいてくる客の存在に気づいたらしく、彼がこちらへと振り返る。
「……あれ?」
ニトロは、正面を向いた獣人の顔を見つめ、またも思わずうめいた。
何だか、あの大きな獣人、見覚えがあるような……?
大男の容姿を何度も確認するように瞳を上下に動かしながら、ニトロは頬が引きつらないよう懸命に堪えていた。
――知っている。
あの獣人は……二度しか会ったことがないが、二度とも強烈なインパクトを与えてくれた獣人だ。そりゃもうコイツならば例え同種族のそっくりさんと並ばれようが間違えない。こちとら今や人を見る時はその体格・骨格まで見取る癖がついている。ちょっとばかり体が――腕周りや胸の厚みが太くなっているようだが間違いない、絶対にあの人物だ。
一体、なぜ、彼がこんな所に?
いや! そんな疑問よりまた面倒なことを彼が言い出さない内にここを離れる算段をつけるのが先だ!
「ニトロ君?」
――が、ニトロがその算段をつけるより先に、無意識に足を遅めていた彼を訝しそうに見上げてミリーが疑問の声を投げかけた。
ニトロはしまったと顔をしかめた。
獣人の目の色が、変わっている。
「おお……これはこれは!」
獣人は聞き馴染みのある声を上げるや、こちらへ向かって駆け出した。獣人らしいしなやかな体躯の運び、バネの利いた足は瞬く間に距離を縮めてくる。
(あああ! とうとうバレた、しかも相手が悪い!)
ニトロが内心悲鳴を上げた――その時、伊達メガネのレンズ・モニターに芍薬のメッセージが流れた。
<大丈夫だよ>
「 ?」
そのメッセージは不可解極まるもので、ニトロは何を根拠に芍薬がそう言うのか分からなかった。
「奇遇ですねぇ! いや奇跡だ!」
甚だしい当惑に進退きわまるニトロの前まで駆け寄った獣人は声を張り上げ、と、そこで急にバツが悪そうに顔を歪めると周囲を見渡し、
「ニトロ様。お久しぶりでございます」
どうやら『正体』を周知させぬよう気を遣ったらしい。ドロシーズサークルの外れともなればさすがに人通りも少なく、見える限り遠くに一人しかいないが、それでも声のトーンを落として彼はそう言った。
(……ニトロ、様? ございます?)
ニトロは一瞬、聞き間違えたかと思った。しかし確かに、彼はそう言っていた。
(何だ?)
目の前に立つ獣人は、これまでの二度とは態度が180度変わっているように見えた。常に肩を怒らせ居丈高であった姿はどこへやら、今は身を縮めるようにして、肩もなだらかに、目も口も声も何もかもから角が取れて丸くなっている。
「よく……俺だって判ったね、隊長さん」