「迷子?」
 問い返しながら、ニトロは己の前に立つ女児の容姿をさっと観察した。
 そして思う。
 似ているな、と。
「お母さんか、お父さんとはぐれちゃった?」
 ニトロの問いに小さな少女の頭がかすかに振られ、つられて長いブロンドの髪が小さく左右に揺れる。が、彼女はそこではたと何かを思い出したかのように慌てて、
「うん」
 うなずいたその顔は、明らかに失敗を隠そうとする子どものそれだった。
(……ふむ)
 ニトロの心には、猜疑が溢れ返っていた。
 目前に立つ幼い女性――失敗を隠そうという意志とは別に、大袈裟ではなく『怯え』を含んだ青い瞳でこちらを見る彼女は、ニトロが立ち上がって身を乗り出し手を伸ばしてやっと触れられるかどうかの位置にいる。
 自分から声をかけながら、明らかにニトロを警戒している様子だった。
「電話か、それとも何か携帯端末モバイルは?」
 再び頭が振られ綺麗な金色の髪が揺れる。
 淡いピンクを基調とし、膝下丈のスカートだけでなく襟と胸元もレースに飾られた、やけにドレッシーな半袖ワンピースに身を包む彼女はまるで人形のように可愛らしい。
 ただ一点、前髪の奥に双眸を隠すよう常に伏し目がちで、その上目遣いに人を窺い見る癖が折角の可愛らしさをいくらか暗くしてしまっているのが玉に瑕だが、しかし反面、それが愛嬌にも感じられるのは彼女の容姿の得と言ったところか。
「お母さんが持ってるの」
 小さな声で彼女は答える。か細く、内気な声だ。口の中で喋っているようなのにちゃんとニトロの耳に届くのは、その声がよく通る性質を持つためだろう。
 ――それも、似ている。
「『迷子防止札アンミスカード』は? ポケットか、そのポーチの中にない?」
「…………忘れて、きちゃった」
 年の頃は五・六歳に見える。
 だが、おそらく彼女――否、『』は七歳だ。
「そっか……。それじゃあ、ここのセキュリティセンターに連絡するよ。絶対にお母さんも心配して連絡しているだろうから」
 ニトロがそう言うと、びっくりしたのか『彼』は目を見開き、大慌てで首をぶんぶんと左右に振った。
「だめ」
 絞り出された声には嘆願の響きがある。
「そんなこと言っても、お母さん心配してるよ? きっと連絡を待ってる」
「…………でも、だめ」
「そっか、だめなんだ」
「……だめなの」
 ニトロは不自然極まる態度を取る相手に困惑混じりの微笑を向け、胸中に大きなため息をこぼした。
(さて、どうしたものか)
 そこに立つ女の子。
 ニトロは、こちらの視線が痛いのかもじもじとして落ち着かないその少女は、パトネト・フォン・アデムメデス・ロディアーナである可能性が極めて高い――と、そう見定めていた。
 本来は黒紫色である髪である髪を金色のカツラで、本来は紫の虹彩をブルーのカラーコンタクトレンズで覆い、それに、どうやらちょいとばかりメイクで陰影をいじり容貌の雰囲気を変えているようだが――
 甘い。
 甘すぎる。
 その程度の『変装』でお姉さん似の面影を、このニトロ・ポルカトの目から隠せるはずもない。
 なるほど? 確かにこれまでかの王子が女装をしたという記録はなく、かの王子がここにいるわけがないというある『根拠』に則した思い込みもある。それは世間一般には通用する変装であるのかもしれない。だが、この件に関しては、こちらは悲しくも『プロ』だ。いみじくも変装の達人たるバカ女と変装の超人たる怪力執事に慣れさせられちゃったプロフェッショナルなのだぞチクショウ!
 今や人を見る時はその体格・骨格まで見取る癖がついている。
 化粧の傾向から逆算して元の人相をおおよそ思い描くこともできる。
 加えてあのクソ女への警戒心は常日頃から全力全開。もしちょっとでもアレと似た容姿を持つ者がそれでも『ニトロ・ポルカト』を騙したいというのなら、最低でも『映画』の折にハラキリが用意したレベルのものを持ってこなければ話にならない。
 ……間違いなく、そこに立つ――『彼』は、この国の第三王位継承者だ。
 ただし、
(問題は、彼が本物か、それともただのそっくりさんか、そっくりに作ったあの最新アンドロイドか――ってことだけど……まあ、そっくりさんの線はないだろうな)
 根拠は無いが、そう思う。
 これまで何度も『嫌がらせ』を受けてきた心身が、経験が、もっと言ってしまえば迷惑なボケを受けまくってきたツッコミの勘がそう言っている。
 では、ここはやはりあの生身の人間と見分けのつかない最新アンドロイドだろうか。
 いくら何でも正真正銘の第三王位継承者ことパトネト王子に、ともすれば彼を危険にさらしてまでこんなことをさせる馬鹿者など、ハハ、そんな大馬鹿者などいるわけがないのだから。
(――とまあ、そう思えたのならどんなに平和なんだろうなぁ……)
 ニトロは一度空を見た。六月、ジスカルラの穏やかな盛夏に向かう青空には白雲がぽつりぽつりと浮かび、春秋よりは強い日差しが乾いた目に痛い。嗚呼、何だか涙ときたらもう滲みもしやがらねえ。
 パトネト・フォン・アデムメデス・ロディアーナ。
 彼は『パティ』という愛称で呼ばれている。
 男子であるのだから通常『パット』と呼ばれるところを、それでも誰もが好んで女子の愛称で彼を呼んでいる。
 その理由は単純なこと。それだけ彼は、美少女なのだ。体格も同年齢の男子に比べれば小さく華奢で、そして両親よりもむしろ美しい現第一王位継承者の面影を引くと言われる尊顔は、齢七歳にして既に数多くの女性を虜としている。
 彼が成長するにつれていつしか望まれたとおりであったならば、パトネト王子は良くも悪くも希代の存在であるティディア姫と並びこの国に様々な話題を振りまいていたことだろう。その知能も高く、特に科学技術分野で豊かな才能を見せている。華やかな姉弟に挟まれいまいち地味なミリュウ姫を差し置いて、おそらくは、未来の第二王位継承者と期待されていたことだろう。
 ……だが、現時点でそのような話題が盛り上がることはない。
 惜しむらくは、パトネト王子には公に知られる最大の欠点があった。
 その気になればいくらでも人心を惹きつけられるであろう可愛い『パティ』は、重度と言っていいほどに内向的な性格であることに加え、極度の人見知りでもあるのだ。伝え聞くところでは、彼が物心つく前から仕えている執事か侍従、それとも二人の姉と両親以外には心を開かず、他の者では目を合わせることすら難しいという。
 また、同時に極度のお姉ちゃん子としても知られ、それはティディア姫かミリュウ姫が傍にいなければ公の場に出てくることは決してないほどに重症だ。
 常識的に考えれば――
 まず彼がこんな所に一人で現れ、しかも初対面の『ニトロ・ポルカト』に声をかけてくることなどおよそありえない。
 そう、ありえない……ありえないのだが……だが、それでも……――彼にそんなことをさせられる人間が、困ったことに厄介なことに非ッ常に無念なことに、ニトロの知りうる限り一人だけいる。
 アデムメデスのとても内気な王子様が似合い過ぎる女装をして目の前にいるという『非現実』もソイツの手にかかっては実現可能なことだし、そしてあのバカはそういう面白みのあることを嬉々としてヤる奴だ。何らかの危険があったところで楽しそうに愉快気に、笑いながらヤる奴だ。
 それも、一見意味の無さそうな行動の裏に十でも百でも『先』に繋がる種を仕込みながら。
(まさか……シゼモで子どものお陰でいい目を見られたからって『弟』を駆り出してきたんじゃないだろうな)
 温泉街の児童養護施設では『けっこんゆびわ』を手に入れられたくらいだ。シゼモでの一件以降まともに口をきいてやっていない自分に対し、歳の離れた弟を『仲直り』の仲介か、せめてそのキッカケにでもしようと送り込んできた可能性は十分に考えられる。
 では、ここはやはり正真正銘のパトネト王子だろうか、と、思うが……
 ――いや、現時点では、目の前の子どもが本物のパトネト王子であるか・それともアンドロイドか、その二択問題に急いて答えを求めないほうがいいだろう。
 何しろ、前者と後者では取るべき対応が違い過ぎる。
 前者であれば、まあ問題は有り過ぎるほど大有りだが、別にいい。特に問題なのは後者の場合で、その際には相手が『戦力』を有していることも考慮しなくてはならない。状況次第では破壊することも視野に入れねばならないだろう。
 つまり……もし、こちらが誤って後者への対応で前者に当たりでもしたら
 それは洒落にならない、ならなさ過ぎる。
 最悪の事態はさすがに避けられると思うし、避けるが、しかし、その頃にはもはやティディアに『責任』を取らされることを拒否できなくなっているはずだ(そしてそれこそが敵の目的かもしれない)。
(――仕方ない)
 ならばここは、あえて相手に併せながらこちらの打てる手を打っていく、が最良か。
「…………ニトロ君?」
 黙りこくっていたニトロに、『彼』が恐る恐る声をかけた。
 ニトロはああと思考の底から帰ると頭を掻き、
「それじゃあ、どうしたい?」
「……自分で、見つけたい」
「お母さんを?」
 返ってきたのは小さなうなずきだった。続けて、『彼』が見た目にも懸命に勇気を振り絞って言ってくる。
「だから……一緒に、探して」
「……」
 ニトロはこちらを見てはいるが巧みに目を合わせようとしない相手を見つめ、おもむろにうなずいた。

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