「でも、ハラキリ君はニトロと私がいい感じになってとうとう結ばれた――っていう筋書きを見落としてない?」
「見落としてませんよ。ただあり得ない奇跡は最初から除外してあるだけです」
 ざっくりと、平然と、常に口調は気楽な様子。飄々と人を食ったような態度で言うハラキリの姿が、コンピューター機器と切子ガラスが並ぶテーブルの向こうに見えるようだ。
 ティディアはニトロとは別種の『愉快』を与えてくれる友達に、しかし口振りは不機嫌なままに言った。
「そんな風に断言するけど……温泉郷の『魔力』でニトロが私の魅力に心奪われちゃった、なんて可能性は考えないの?」
「その可能性こそゼロです。例えニトロ君が雰囲気にとち狂ったとしても、お姫さんにちょっと見惚れる、くらいなもので、それも一時の気の迷いでお仕舞いでしょうね」
「やけに自信満々ね」
「根拠がありますから」
「……後学のために、ご教授願えない?」
 そのセリフ自体がティディアの言う『ニトロが私の魅力に心奪われちゃった』を否定しているようなものだ。電話口から小さな笑いが漏れ、
「おひいさんとこうして呑気に話せていること自体が、『根拠その壱』ですよ。もしお姫さんがニトロ君に襲い掛かったら芍薬に――それともニトロ君に、あるいは二人がかりでボコボコにのされてご就寝。電話を取れる状態じゃないでしょう。
 ニトロ君がとち狂った説に関しても、こうしてお姫さんが電話に出ているわけがありません。その場合は、今は喘ぎ喘いでニトロ君にしがみついている頃合でしょう。拙者の電話程度の些事、遠慮なく無視されますよ」
「……事後かもしれないじゃない」
「本懐遂げた貴女が簡単に彼を放すとは思えません。百万歩譲って事後だったとしたら、貴女は幸福を噛み締め浮かれに浮かれていることでしょう。しかしお姫さんのお声にはその色気が微塵もない。――ああ、事前だったとしたら、その場合はそわそわとしてすぐに通話を切られたことでしょうね」
「ふむ」
 ティディアは鼻を鳴らし、うなずいた。なるほど立派な根拠だ。必要十分。これ以上に彼の考えを支える論拠となるものは必要ないだろう。
 が――
「で、『根拠その弐』は?」
「勘です」
 ティディアは思わず吹き出した。『その壱』に対して随分な落差がある。それは感覚の問題で、そこには論の筋道だって無い。
「根拠いきなりぺらっぺらになってない?」
「むしろこちらの方が『その壱』より強固だと思いますけどねぇ。貴女と、ニトロ君の共通の友人としての意見、と言い換えてもいいんですが」
 ティディアは宙映画面エア・モニターを消した。よいしょとテーブルから切子ガラスを取り、ソファに深く腰を沈める。
「友達の意見、か」
「ええ」
 ティディアは吐息をついた。上目遣いに宙を見て、感慨深げに言う。
「不思議なものね。妙な説得力がある」
「自分でも言っていてビックリするくらいそんな感じがします」
 遠く西の地にいる友達の声は笑いを含んでいる。ティディアは微笑み、甘酸っぱいフルーツジュースを口に含んだ。
 一度大きく息を吸い、肩の力を落とす。
「ハラキリ君の言う通り、こっちは平穏無事よ」
「そりゃ良かった。楽しかったですか?」
「今も楽しんでるわよー」
 そこでティディアはうふふと笑い、
「思っていたよりずっとね」
「……何か良い事でもありましたか?」
「あら、そう思う?」
「とても嬉しそうな声ですから。というか、気づけって言っているような口振りじゃないですか」
 どこか呆れているような口調でハラキリが言う。
「それも話したくて仕方がないってご様子で」
「聞きたい?」
「話したいのでしょう?」
「だって、私、さっきまでニトロとお風呂に入っていたのよ? もう嬉しくって嬉しくって。ハラキリ君にもこの喜びを聞いて欲しいわ」
「……」
 ふいに、ハラキリが沈黙した。
 ティディアはすぐに彼が言葉を返してくるものだと思い反応を待ったが、無い。しばらくの間、静寂が続き――
「        は!?」
 ハラキリの驚愕が携帯電話を震わせた。スピーカーの許容値限界ギリギリといった音量で感情を表されたティディアは心外なと眉をひそめ、
「そんなに驚くこと?」
「いや……えーっと、あれ? ニトロ君、ひどく深刻にとち狂ったんですかね。あ、まさか泥酔させましたか? ああ、それは芍薬が許しませんね。いや、そもそも、ということは芍薬に止められなかったということですか。まさか芍薬まで重大なバグを発生させてとち狂ったなんてことはありませんよね」
 非常に珍しく非常に動揺したハラキリの調子が伝わってくる。ティディアはそれが非常に愉快で大きく肩を揺らした。
「正気だったしシラフだったわよ、間違いなく、ニトロも芍薬ちゃんもね」
「はぁ……それは、驚きましたねぇ。一体、どういった流れでそうなったので?」
 話を促されたティディアは、いったん口を閉じた。
 ――ハラキリのことだ。各メディアに流れる『ティディア姫とニトロ・ポルカトのシゼモ出張』の情報は全てチェックしているだろう。
 とはいえ、児童養護施設であの女の子から『けっこんゆびわ』をもらった時のことは自分の口から伝えたい。
 ティディアは極短い思案の間に話したいことをまとめ、ハラキリに語った。
 楽しいドライブ、美味しい夕食、所々で腹立たしいこともあったことをスパイスに、そして幸せな入浴の時間を。
 そして――
「どう思う?」
 それまで嬉々として思い出語りをしていたティディアから突然問われたハラキリは、面食らったように言葉を返した。
「どう、と申されましても……良かったですね、というのが正直なところですが」
「……それ、淡白すぎない?」
「自覚はしています」
「ああ、でもそうじゃなくて、ニトロが私のことをどう思っているかなって聞いているのよ」
 ティディアが熱のこもった声で改めて問いを送ると、それをハラキリは苦笑で受け止めた。
「それこそどうと申されましても。正直にお答えしてよろしいですか?」
「あ、待って。違う。それはもう判ってるから聞きたくない」
「それでは……もしや、今現在に限って、ニトロ君がお姫さんをどう思っているか、ということですか?」
「そう、そっち」
 ティディアは勢いよくうなずいた。その勢いが伝わったのだろう、電話口から小さな吐息――笑いがこぼれる。
「ニトロ君は貴女に対し、大いに戸惑っている。拙者はそう思いますよ」
 ハラキリは声に笑いを含めたまま言った。
「そして、少しばかり見直していることでしょうね」

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