部屋に戻ったティディアはヴィタに電映話ビデ-フォンを繋げ、別邸の様子を聞いてひとしきり笑った後、数件の王女の承認が必要な事案の進行具合をチェックし、新しく上がってきた様々な報告を頭に入れて執事との通信を切った。
 どれほど飲んだのか、頬を朱に染め、ミステリアスな相貌を妙に艶めかせていたヴィタの姿は珍しいものだった。宴会は日付が変わると同時に終わる。その数分後にはヴィタは『酔い止め薬』の効果で体内からアルコールもアセトアルデヒドも、それどころか酔いの面影すらもなくしているだろう。
 彼女のほろ酔い姿を生で見られなかったのはちょっと残念だったかな……と思う頭を、しかしティディアはすぐに切り替え、漫才の新ネタの台本を書き直しにかかった。それも十数分後には大まかなラフスケッチを書き終わり、あとはそのラフに沿って細部を詰めていくという段になった時、ティディアの携帯電話が鳴った。
 その軽快なメロディーは携帯電話に登録されている三つの回線――ヴィタを始めとする部下と『相方』の知る仕事用・家族とヴィタの知る私用・この世で二人の人間しかナンバーの知らぬ極私用回線の内、最後のそれに音声通話でコールがかかっていることを知らせていた。
 無論、その回線のナンバーを知る人間の一人は愛しいニトロ・ポルカト。
 そして、もう一人は、友達。
 ティディアは、
「通話許可」
 と携帯電話に向かって言った。するとすぐにコール音が切れ、耳慣れた少年の声が、自動的にスピーカーフォン機能を働かせた携帯電話から流れた。
「こんばんは、おひいさん」
 一人掛けのソファに座り、机に置いた小さなコンピューター端末――これも私用で、リムーバブルメディアを介す以外に『外部』との接続ができないよう通信装置そのものから除去されているものだ――から手元に表示される宙映画面エア・モニターに目を落とし、その可触領域のキーを叩きながら、ティディアはハラキリに応えた。
おはよう、ハラキリ君。随分早起きね」
「徹夜ですよ。今、お話しても大丈夫な状況で?」
 部屋付きの汎用A.I.はここにきてからずっと『プライベートモード』に設定して眠らせてあり、ついでにこっそり王家のA.I.にハッキングさせて監視させてある。私用コンピューターの横に置かれた携帯電話のスピーカーが伝える声に、それとも自分の口からこぼれる言葉に例えどんなことが含まれていようとも、それを誰かが耳に入れられることはない。
「ハラキリ君が殺人を告白したとしても、誰も訴えることはないわ」
「そんな物騒な」
 画像がなくとも、ハラキリの苦笑した顔が目に浮かぶ。
 ティディアは台本に細かい手を入れながら、
「仕事は?」
「つつがなく」
「怪我なんてしていない?」
「ご心配なく」
「どんなことをしたの?」
「企業秘密です」
「別に知られて問題のあることじゃないでしょ? ね、どんなお仕置きをしてやったの?」
「秘密ですよ。真似されたら、おそらく拙者はニトロ君にえらい目にあわされてしまう」
「ああ、そういうこと。大丈夫、真似なんてしないし、したとしてもネタ元は明かさないから」
「したとしても、と言われた時点で信用なりませんね」
「えー」
「えー、じゃねえ――と、ニトロ君なら言うでしょうか」
「……。
 じゃあ、手段は聞かない。結果ならどう?」
「そうですね……馬鹿息子とその阿呆な仲間達は今頃生まれてきたことを感謝していることでしょうね」
 ん? と、台本を整えていくティディアの指が止まった。
「感謝? 大抵こういう時って『後悔』って使わない?」
「いやあ、感謝、していますよ。そして生きていられることを神さ……えーっと、そうそう、プカマペ様にでも感謝しているんじゃないですかね。まあ、しばらく肉も野菜も食えないでしょうけど。ひょっとしたら一生合成食品ケミカル・ブロックしか口にできないかもしれませんけども」
「プカマペ様って、久々に聞いたわねー。大体そんなになるって一体どんなナイトメアを味わわせたのよ」
「貴女がニトロ君に味わわせてきたものよりは楽しい夢だと、個人的には思ってます」
「あ、それはひどい言い草」
 話の流れで『何をしたのか』を言わせようと思っていたのだが――それに感づいていたのだろう、ハラキリが返してきた痛烈な皮肉にティディアは笑った。
 テーブルの上で照明の光を幻想的に反射している切子ガラスへ手を伸ばす。支配人が差し入れてきたフルーツジュース。一口飲むと芳醇な香りと甘みが口腔に広がり、程良く爽やかな酸味が後味もさっぱりと喉を潤す。
 ティディアは台本を見つめ、気に食わなかった掛け合いの『間』を修正し、一息ついた。
「それで何の用かしら。ハラキリ君から電話をくれるなんて珍しいじゃない。何か困ったことでもあったの? 仕事以外で」
「いいえ。特に何の用もありませんよ」
「? じゃあ何で?」
「強いて言うならこの電話自体が目的でしょうか。おひいさんとこうして呑気に話せるということは、お二人とも平穏無事に温泉を楽しまれたということですから」
 ふむとティディアはうなずいた。
 ハラキリはこちらの状況を確認しに電話をかけてきたのだ。
 彼女はそれを悟ると同時、それにしては扱う単語がやけに仰々しいとも思った。
「平穏はともかく、『無事』って何だか大袈裟な言い方じゃない?」
 問いかけへの応えには僅かな間があった。もし映像があったら、そこには肩をすくめるハラキリの姿が映っていただろう。
「そうでもないでしょう。貸したアンドロイドは貴女を文字通り塵にできるんですから」
「いくらなんでもそこまで芍薬ちゃんを怒らせるほどバカじゃないわよ」
「温泉郷の『魔力』にとち狂ってニトロ君を襲う――その可能性はゼロではないかと」
 ティディアは、フルーツジュースをまた一口飲んだ。ハラキリの言い分は間違ってはいない。確かに――自分で思うのも何だが――その可能性はゼロではなかろう。
 しかし、間違っていないからこそ面白くなかった。
「そうね」
 ティディアはハラキリに同意を返しながらコップをテーブルに置き、声だけで表情が伝わるよう口を尖らせた。

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