「意外だな」
「ん?」
「ポイント稼ぎなんて言わず、獲物が調理道具一式揃えて進み出てきたんだ。それなら協力してやる代わりに私の言うこと何でも聞け、ってくらいするのがお前だろ?」
「そうねー、それなら対価に一夜を共にしてもらおうかって? そこまでいったらニトロはまるで古臭いドラマにあるような、家業を助けるために地元の悪徳権力者に身を売る娘ね。それも自分の家のことじゃなく、友達の努力の足りない親戚の家のことで身を売る大馬鹿者」
 ティディアは失笑し、言った。
「冗談じゃないわ。そんなのは私の流儀に反する。そんなやり方でニトロとセックスできても、ちっとも面白くない」
 ティディアの口調は軽かったが、そこに込められた感情が強いものだということは確かめずとも知れることだった。
 つい彼女への反抗心から口を滑らせたこととはいえ、いくらなんでも彼女に侮辱的なことを言ってしまったとニトロは悔やんだが、
「だって私は、そんな姑息な手を使わなくとも正々堂々ニトロを落とすんだからっ」
「待ていっ!」
 さすがに聞き逃せぬ主張に対し、ニトロはツッコンでいた。拳を握ってほざいたティディアは妙に無垢な眼差しで小首を傾げている。それが余計に頭にくる。
「お前これまであの手この手で嫌がらせしておきながらこの期に及んで正々堂々だと?」
「違うわ、あの手この手で正々堂々誘惑しているの」
「百歩譲ってお前の言うのが正々堂々な誘惑だとしても、それ絶対肝心な土台から腐って倒れて方向性間違ってるからな。どこまで行っても堂々巡りで目的地にはけっっッして辿り着かねぇからな」
「えー、そうかなー。なんなら今ここで正々堂々エッチなポーズで迫ってみるけど? 絶対にニトロは私を襲いたくてたまらなくなるわ」
「そーれーが間違ってるっちゅーてんだ!」
「間違ってないわよ、私スタイルに自信あるのよ? 何せ芍薬ちゃんのお墨付きだから勘違いじゃないわよ? 普通、そういう女の裸を見られたら男は喜ぶもんでしょ? 女が色香を武器にするのだって普っ通の正攻法じゃない。ほら間違ってない」
「そもそもお前が『普通』じゃないからその論理は通らない! 故に解答、不正解!」
「――!」
 ティディアは口を丸くあけて目玉をひん剥いた。ニトロの指摘によほど驚愕したらしい、
「なるほど!」
 ニトロは脱力した。
 急激に湯当たりしたかのようにがっくりとうなだれ、背を縁石に寄りかからせたまま滑り落ちるように肩まで湯に沈んだ。
「お前ねぇ」
 絶対に分かってボケているティディアにどうツッコんだものかと口をもごつかせていたニトロは、ふと彼女の発言の一部が気になった。
「芍薬のお墨付き?」
「ああ、さっきちょっとね」
 言って、ティディアは何か嫌なことを思い出したのか、不機嫌そうに頬を硬くした。
「……どうした?」
「折角良い気分だったのにヤなこと思い出した。あのオーナー、ニトロのこと粗末に扱ってくれちゃって」
「――は?」
 ニトロが疑念を口にすると、ティディアは彼に食って掛かるように体を向け、
「ニトロは気づいてる? ここに着いた時、オーナーはニトロの名前を一度も口にしなかったのよ? こっちが我慢して何も言わないのをいいことに舞い上がって……レストランでだってそう、ニトロに見せたあの態度は何!? 本当だったらもう怒鳴り散らして帰ってるわよ、そりゃもう営業許可取り消し・財産没収・全国ネット生放送で名指しで罵倒よ私を本気でもてなしたいならそれこそニトロを大事にしろってーのよ!!」
 ティディアは溜め込んでいたものをようやく吐き出せたという剣幕で、ばしゃばしゃとニトロに急接近し彼に掴みかからんと今にも立ち上がりそうな――いや、もう半分立ち上がった彼女の乳房が湯の中から現れ、ニトロの目前で張りも形も美しい柔肌を震わせている。
「っ――待て! 落ち着けティディア!」
 ニトロは慌てて顔を背け、ティディアの肩に手を当てると脇にいなしながら渾身の力で彼女を湯の中に押し戻そうとした。
 ――と、
「きゃば!」
 ただでさえニトロに迫り無理な体勢を取っていたのだ。ティディアはものの見事にバランスを崩し、勢い顔面から湯の中に突っ込んでしまった。いきなり水中に沈められてわたわたと腕をばたつかせる。その上『いなし』て『押し戻そう』という彼の動揺がありありと表れた力のベクトルに、下半身は彼に向かって座りながら上半身は浴槽内側へとひねらされ、その反動で腰を縁石にぶつけてそのまま姿勢を固定されるというおかしな有様。肩はニトロが押さえている。……動けない。――ッ息が! ごぼごぼと彼女の肺から溢れた空気が泡を立てる。
「あ」
 ニトロはティディアが立ち上がらないよう力を込めていた……結果として彼女を溺れさせようとしていた手をぱっと離した。
 ごぼりと一際大きな泡が水面で弾け、ゆら〜りとティディアが水の中から顔を出す。頭に巻いていたタオルは解け、濡れた前髪が額に首にとへばりつき、肩にかかろうという後ろ髪は湯に広がり揺れている。
 また水中に戻されてはたまらないと思ったのか、肩まで出したところでティディアは止まった。渋い顔で恨めしそうにニトロを見つめ、傍に漂っていたタオルを掴むと湯船の外でぎゅうと絞る。絞り出された水が敷石に落ちてけたたましく音を立てた。
「えーと…………大丈夫か?」
 ニトロが問うと、ティディアはうんとうなずいた。
「……」
「……」
「…………芍薬も、同じことを言っていたよ」
 ティディアが髪をまとめてタオルを頭に巻き直しているのを待つ間が持たず、ニトロは湯に落ちていた自分のタオルを拾って絞り、間の詰まり過ぎていた彼女との距離を少し開けながら言った。
「芍薬ちゃんが?」
 すると、意外なほどティディアが食いついてきた。何が嬉しいのか顔を輝かせ、
「何て言っていたの?」
「いや……だから、オーナーが俺の名前を言わなかった、気づいてるかって。お前と同じことを」
「ほんとに?」
「嘘ついたって仕方ないだろう、こんなこと」
「それもそうね」
 ティディアは目を細めている。口元はほころび、満面の笑みだ。
「そんなに嬉しいことか?」
「嬉しいわよー。ニトロのことで一緒に怒れるのも嬉しいし、それも同じこと言ってたなんて、私と芍薬ちゃんは結構気が合うってことじゃない?」
「ソレハ絶対ニナイヨ」
 間、髪をいれず、いずこからか芍薬の声が響いた。
 それにティディアはさして驚いた様子もなく、どこへなりとも聞こえるように言った。
「ひどいな、私、芍薬ちゃんのこと大好きだから一生うまくやっていきたいのに」
「あたしハ大嫌イダ。一生ナンテ御免ダネ」
「あら、ニトロと私が結婚しても?」
「それこそありえない」「ソレコソアリエナイ」
 ニトロと芍薬の素晴らしいデュエットがティディアの鼓膜をしこたまに叩いた。
「……主従揃ってつれないんだから……」
 ティディアは長嘆息をつき、気を取り直すように湯を一掬い胸元にかけ、肌を美しく磨くそれを軽くすりこむように指を這わせた。
「それにしても、勿体無いわね。この露天風呂がなくなったら」
「……何か、なくなるって言ってるような口振りだな」
「なくなるんじゃない? 上が中途半端に無能だから。このままじゃジワジワ活力を失って『死んでいく』だけだもの」
「そりゃまた手厳しい」
 ニトロは苦笑した。ティディアの痛烈な物言いもそうだが、この会話を聞いている芍薬はどう思っていることだろう。
「でも、中途半端に無能って何だ?」
「ニトロはそうは思わない? 外装、内装、部屋、料理、この露天風呂、一つ一つの要素を切り取ってみれば、それぞれの質は悪くないわ。『その決断』をした者が、改革改善をしているんだって悦に浸れるくらいには。でも、その実、改革改善と思っているものはあれもこれもと自分の願望を実現させたいオーナーの自慰行為にすぎないから、ホテル・ウォゼットはアンバランスでおかしくなっている。
 まるで、彼女のおもちゃ箱の中を見せられてるようよ。どうだ、私はこんなにいいものをたくさん持っているんだって。それでうまくいく場合もあるけど、それは特殊な例。ここにはそぐわない。おもちゃ箱から選び抜いて綺麗に飾り立てたドールハウスを見せなきゃ、客は困っちゃうだけ」
「……うん、そう思うけど……」
「色々調べてみたけど、ロセリアはけして無能じゃないわ。彼女のおもちゃ箱にはセンスいいものも入っている。だけど、自分で自分の長所を潰しちゃっていて、そのくせそれを自覚していないから性質が悪いし、なまじ創業者の娘で、創業者夫婦も一人娘にバカ甘だからなおさら手に負えない。世襲のデメリット、って言ったらそれまでだけどねー」
「いやいや、世襲の権化みたいな奴が何を軽々しく言ってんだ」
「ん? ああ、そうね。でも私はこの国にとってデメリットかしら」
 ティディアは小首を傾げ、無邪気に言った。
「そうじゃないって? 自画自賛は往々にして冷笑を買うもんだぞ」
「やー、邪険に言わないで。ニトロ」
「……。
 ……正直、俺にはまだ判らない」
 ニトロはうつむき、一度考えをまとめた。
「大体、お前がこの先どういう王女に……女王になるのか、それはその時になってみないと判らないだろ? ただでさえ史上稀に見る名君なのか、史上稀に見る暴君なのか、今だって『皆』して判断に困ってるんだ――」
 そこまで言って、ニトロはティディアの目がきらめいていることに気づいた。今の自分のセリフ、判断そのものは不明確にしているとはいえ、判断基準の中で為政者としてのティディアを『善い王女』だと捉える側面を不覚にも告白している。
 彼は一拍を挟み、
「って言っても、少なくとも俺個人に取っちゃ史上最凶最悪のバカ姫だからな。そこは間違えるなよ?」
「ええ、分かってる」
 ティディアは笑った。いくら嫌っている相手でも、認めるところは認めてくれるのがニトロの良いところだ。心底からの喜びにくすぐられながら、言う。
「でもまあ、ほら、私のことに関しちゃ問題ないわよ。例えこの先どんな暗君になっちゃったとしても大丈夫、我が親愛なるアデムメデスの民は愛してくれる。なんたって私は美人でスタイル抜群、才能に溢れてその上頭脳明晰だかぁ痛っ!」
 瞬きした間にスパンと額を叩かれていたティディアは、残心と構えた手刀からぽたぽたと水を滴らせているニトロをビックリ眼で見つめた。
「え? 何で?」
「ここはドツクところだろ?」
「……あえてスルーよ。いいえ、むしろそこを認めて誉めて抱き締めて」
「そいつはムカっ腹立つだけで笑えないな。ボツだ」
「…………はい」
 ざっくりと言い負かされてしょぼくれたティディアは……やおら笑った。

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