扉を抜けた先には露天風呂へ続く道が、庭と庭先の林の奥へと割り入ってあった。アーチ型の屋根を支える支柱全てに白々と輝く光球がかかり、林を背景にした庭の中、暗い林の内にあって一線と敷き詰められた石畳には影の一つもない。
 道に出たニトロは屋根を見上げ、庭の花壇に灯る蛍火スズランの淡光へと目を移し、一つ吐息を挟んで会話を繋いだ。
「どう? って聞かれてもな。俺は行かないよ」
「それじゃ意味ないわよ。ニトロがいなきゃ面白おかしくないじゃない」
「何で茶会で『面白おかしく』って言葉が出てくるんだよ」
「あなたがいなければどんな華やかなパーティーも色褪せる……それなのに面白いと思う?」
「絶対そういう風に考えて出てきた言葉じゃねぇだろ。『おかしく』もどこ行った。つーか嘘つきが開く茶会になんぞ誰に誘われたって行くか」
「じゃあ、ニトロをいじれないパーティーなんて面白おかしくないから嫌」
「正直にそう言われて行く馬鹿がどこにいるかい」
「えーっ、そんな理不尽な」
「お前が理不尽言うな」
 ニトロは思わずティディアの頭をはたきそうになったが、彼女が絶妙のタイミングで頭を差し出してきているのを瞬時に察し、今にも振り出しそうになっていた手を止めた。
 ――と、
「ニトロ、ここはドツク場面じゃない?」
 さも我が意にそぐわずといった顔で、ティディアが文句を垂れた。
 ニトロはため息をつき、彼女をはたきそうになっていた手をひらひらと振った。
「ここは『タメ』でもいいんじゃないかな」
「……ふむ」
 ニトロは適当に言ったセリフがティディアに思いの他真剣に受け止められて少し驚いた。彼女は一考の余地ありと思ったのか、顎に指を当ててうつむいている。
「それもありか……」
 ややあって、ティディアはぽつりとつぶやいた。それは妙に深い洞察を経て結論を得た様子で、ニトロは片頬に笑みを刻むしかなかった。
 やがて道の先、手入れの行き届いた林に入ってから少し歩いたところに小屋が見えた。
 入口は二つあり、さすがに野暮だと思ったのだろう、そこには従業員も誰もいない。
 小屋の前で足を止めると、静寂の向こうから湯の流れる音がかすかに聞こえてきた。
 ニトロは小屋の男性用脱衣所につながるドアを見て、思わずため息をつきそうになるのを辛うじて堪えた。
「ねぇ、ニトロ」
 芍薬からバスバッグを受け取って、ティディアが言った。
「背中、流しに行っていい?」
「来るな」
「スポンジはもちろんワ・タ・シなのに?」
「この世からスポンジが一つ残らず消えても来るな、いや、そん時ゃ一緒に消えてしまえ」
「やー、そんなに意固地にならないで一緒に綺麗になりましょうよぅ」
「来たら芍薬を呼ぶからな」
「ソシタラ全力デ体当タリダ」
「それは……いくらなんでも死んじゃわないかしら」
「即死確定ノ武器トドッチガイインダイ?」
「できれば優しく体当たりしてほしいな」
「拒否」
 即答され、ティディアは肩を揺らした。
「ま、別にいいわ。お湯は一緒にしても殺されないんでしょ?」
 ティディアに問われた芍薬は、応えなかった。
 しかしティディアにはそれで十分だった。彼女はニトロを見ると、
「……それにしても、変よね」
「何がだ」
 一瞬、ニトロはこちらの思惑を見透かされたかと身構えたが、ティディアの疑問は別のところにあった。
「ニトロ、全然ドキドキしてないでしょ」
「は?」
 顔を突きつけるようにして言われても、ニトロは眉間に皺を寄せることしかできなかった。
「普通女と二人でお風呂に入るなんていったら、どうしたって男は興奮しちゃうもんじゃない? 他に客もいないんだから人目を気にすることもない、私の裸も見放題! それなのにニトロにそんなに平然とされちゃうと面白くないわ。いいえ、むしろ失礼だと思うの」
「ああ」
 ニトロは熱っぽく主張するティディアとは対照的に、至極冷淡にうなずいた。
「お前の裸はなんて言うのかな、もはや戦闘服?」
「何よそれ」
「だからそのまんまだよ。俺にしてきたこと思い返してみろ」
 ニトロは芍薬からバスバッグを受け取り、脱衣所へと歩を進めた。
「ん、言い得て妙かも」
 と、背後から、ティディアが手を打つ音が聞こえてくる。
 ニトロはため息をつき、脱衣所に入った。
「……」
 ドアを後ろ手に閉めるニトロの背を見送り、ティディアはふと唇を結ぶと、小屋の前で守護神のごとく構え立つ芍薬に目をやった。
「あんなこと言ってるけど、実際目にしたら興奮しちゃうわよね」
「知ルカ阿呆」
 程よくマスターの影響を受けたA.I.の回答にティディアはまた唇を結び、そして、
「それとも、もしかしたら私、ニトロにいけない性教育しちゃってる?」
「モシカシタラ?」
 アンドロイドの双眸がぎらりと光った。
 ティディアは、本気を出されたらそれこそ身を守る間もなく即死させられてしまう芍薬の『殺気』を浴びながらも愉快そうに笑い、
「冗談よ。でもちょっとショックだったわ。わりと体に自信あったのに、ニトロに期待の一つもしてもらえてないなんて……」
「自業自得ダヨ。有効活用デキナケリャ、ドンナ優レタ道具モ『デクノボウ』ニナルモンサ」
「……それもそうね」
 ティディアは笑顔のままにそっと芍薬の頬を手で触れた。
 それはあまりに予測不可能かつ理解不能な行動で、芍薬は彼女の動作に思わず反応できず――
「!」
 頬の触覚センサーから与えられた情報に、人工眼球を通して見るティディアの微笑み手を伸ばした姿に、芍薬はぎょっとして身を引いた。
「何ノツモリダイ!?」
 警戒心をむき出しに、腰をわずかに落としてアンドロイドが瞳の内部に光を灯す。しかしそれでもティディアは微笑を浮かべたまま言った。
「ありがとう。芍薬ちゃんに『優れた道具』って言ってもらえるなら、やっぱり自信持っていて良さそうね。ニトロもいつか見直してくれるわ」
「――ソンナツモリデ言ッタンジャナイヨ」
「それにね」
 ティディアは芍薬の否定を受け止めず、マイペースに続けた。
「芍薬ちゃんも我慢しているんでしょ?」
「?」
 即座にアンドロイドの表情に疑念が――芍薬の表情が映し出されたのを見て、ティディアは微笑みを消した。微笑みが消えた後には、何故か、同情があった。
「さ、ニットロっとおッ風呂」
 しかしそれを見せたのも刹那のことで、彼女はすぐににんまりと笑うと、機嫌良く歌を口ずさみながらバスバッグを抱えて女性用脱衣所へと飛び込んでいった。
 ドアが閉まると、防音の効いた小屋からは、芍薬の駆るアンドロイドの『聴覚』にすら物音の一つも届かない。
 芍薬はこちらに移動させていた三機の警戒機――男・女湯の洗い場、仕切りの外された湯船を監視するそれぞれから送られてくるデータに変わりがないかを確認した。
 洗い場に面した女性用脱衣所の曇りガラスのドアは、まだ閉じている。
「…………」
 ティディアの手が触れた頬に、芍薬はそっと手を当てた。
 どれほど演算を繰り返しても一向に解が見えないティディアへの疑惑と、去り際に見せた彼女の不可解極まる言動……不可解極まるその表情から与えられた当惑が、脳裏メモリの中で電光を閃かせ続けている。
 ――何かが見えそうだった。
 同時に、何かを見落としている、芍薬はそう思えてならなかった。
 演算を繰り返しても一向に解が――これだと納得のできる可能性が得られないのは、ティディアが『予測ニ必要ナ数値ヲ平気デ無視シテクル』から。……果たしてそれだけだろうか。
(違ウ)
 今回に限って言えば、ティディアへの問題を読み解くにはその認識は全く役に立たない気がする。
 芍薬はこれまでの思考の蓄積を全て破棄し、もう一度初めから、今度はついさっきのティディアの言動、表情、それに頬から伝わってきた彼女の手の温もりすらも『数値』に加え、
(アノバカハ、予測ニ必要ナ数値ヲ無視シテイナイ
 マスターに迷惑をかけるクレイジー・プリンセス、そこにある自分の印象・人物評をすら除外し、極々素直に推測を試みた。
 今日一日のティディアの様子。仕事中の顔、休憩中スタッフがいる前での顔、スタッフがいない時の顔。特にホテル・ウォゼットに着いてからの疑惑の数々。脱衣所に入る直前、アタシに見せた彼女の不可解極まる言動……不可解極まるその表情から与えられた当惑。メモリの中で電光が閃き、また閃き――
 そして、ふいに、電光が一極に集中し、芍薬の思考回路に眩い曙光が差し込んだ。
(――マサカ……)
 しかし芍薬は、ようやく表れたこれだと納得のできる可能性をそのまま受け入れることができずにいた。
 いや、それは十分にあり得ることだ。何も不可思議なことではない。
 だが、ひどくおかしなことだが、『納得できる』と思っているのに……自信がなかった。
 されど、もしこの予測が正しいのであれば主に危険は無いだろう。
 女性用の脱衣所からティディアが洗い場に現れたと、警戒機からデータが送られてきた。
 男湯の洗い場では、すでにマスターが体を洗っている。
 警戒機に搭載された各センサーに異常はない。
「……」
 芍薬は鼻歌混じりに髪を洗い出した強敵を、疑心――これまでのものから随分変質してしまった疑いと戸惑いが混ざり込んだ眼差しで、それでも、油断なく看視し続けた。

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