――食事は美味しかった。
 『考えても疲れるだけだ』と解っていても、どうしても胸に湧き上がるティディアへの当惑のために一皿目の途中までは味もよく分からなかったが……その惑いを食前酒の代わりに出てきた炭酸水と共に飲み干してからは、存分に味わうことができた。
 ホテル・ウォゼットの料理は評判通り、確かに――以前、ハラキリに騙されティディアと食事をした『ラッカ・ロッカ』の料理のように目をむくほど美味しい……というわけではなかったが、それとはまた別の魅力に満ちた品々だった。
 野趣溢れるアカオドリとキノコの出汁が一体となり、ほのかに甘くほのかに苦い山菜がそれを引き立てるスープ。セグトスソールのムニエル――千年を越える養殖の歴史に育まれた淡水舌平目のきめ細やかな身は、きめ細やかであるが故にねっとりとした食感で、白身魚特有の旨味を十二分に楽しめる焼き加減も絶妙に、さらに色合いも美しくかけられたブロバオオテナガエビのソースがまた美味しかった。
 大昔は温泉の蒸気で作られていたという蒸し菓子の甘さは優しく、食後に得られた満足感はレストランの雰囲気ともあいまって穏やかに染み入るような感覚で、ニトロはいつかまた来て食べてみたいな……と、世辞ではなくそう思ったものだった。
 そして、部屋に戻ってきた彼は、料理のことを父にどう話して聞かせようかと記憶の中で味を反芻しながら――同時に、終始楽しげに食事をしていたティディアのことを思い返していた。
「……」
 食事中、ティディアはずっと当たり障りのない会話を振ってきた。
 最近、学校はどう? お母様はプレゼントした花を可愛がってくれてるみたいで嬉しいわ。メルトンちゃんは相変わらずごねてるのかしら。ハラキリ君のレトロ趣味に付き合ってるんでしょ? アナログレコードなんて物に凝り出すなんて、ハラキリ君らしいわよね。もしかしてニトロも影響されちゃったりしてる? 今度、私も一緒に聴きたいな。――あ、芍薬ちゃん、これいいでしょー。ニトロと『おそろい』なのよ? そうそう、ニトロ、今度お弁当を一つ多く作ってくれないかしら。パティが食べてみたいって言っていてね――
 中には、先週受けた模試の結果を本人が知るより先に見ておきながら全く悪びれず「成績上がったわねー」なんて言いやがりもしたが、看過できなかったのは……ツッコまずにはいられなかったのはそれくらいなものだった。
 ――ティディアは。
 食前酒から食後酒の最後の一滴、挨拶に来たシェフにお礼を言い、部屋に戻ってきてドアを閉める別れ際のその一瞬まで、彼女はにこやかに不可思議な態度を貫き通していた。
 何かを考えてはいるはずなのに、その尻尾の先すらも見せることなく「じゃあ、また後でね」とだけ言って。
 まるで『恋人ごっこ』を楽しんでいるだけのよう……とも思えるが、しかしティディアに演じている様子はなく、さらに本人が『チャンス』と口にしていたからには、楽しんでいるだけ――とはありえまい。
「……」
 なのに、何度思い返しても、解らない。奴の考えが。いや、むしろ思い返す度、余計に解らなくなっていく。
 加えて、思い返す度……この国の未来の主に対する現在の問題と並んで思い出されてしまうのは、このホテルの現在の主に対する未来に向けた問題。
 レストラン・ギルドランドの個室で見た友達の顔がちらついて、切なさにも似た奇妙な感情がちくちくと胸に刺さる。
「……芍薬」
「何ダイ?」
 食事前と同じようにベッドに寝転び薄暗い天井を見つめながらつぶやいたニトロに、傍に控えるアンドロイドが応える。
 ニトロは一度大きく深呼吸をし、そして言った。
「露天風呂、楽しむことにするよ」
「イイノカイ?」
 芍薬の確認はニトロの意図を把握してのものだった。ニトロはうなずき、
「うん……別に、裸を見せ合うことが目的ってわけじゃないんだし……このままあいつの企みがはっきりしないままってのは気持ちが悪いからさ、こうなったら『裸の付き合い』ってやつで聞き出してみるよ」
「簡単ニ口ヲ割ルトハ思エナイヨ」
 ニトロは同意を返す代わりに苦笑した。直接かけた問いを軽くかわされたことが、メニューを見るティディアの手前に並んでいた銀のナイフとフォークの輝きを伴い真新しい記憶の中から蘇る。
「ソレニ……モシカシタラ、主様ガコウ出ルコトヲ見越シタノカモシレナイ」
「ああ、そうか。そうとも考えられるか」
 ハラキリがいない以上、ティディアが自分と混浴を楽しみたいと考えたならば、あえて普段とは違う態度を取り続け――混浴してもいいと思わせるくらい『油断させる』か、それともとにかく疑いを募らせることでこちらから企てを暴くための『囮を仕掛けてこさせる』よう誘導するか――と、目論んだとしても不思議はない。
「……でも、あいつも混浴になっていることはここに着くまで知らなかったみたいだから……行動全てがそのため、じゃあないんじゃないかな」
「バカ姫ノ言葉ヲ信ジルナラネ」
「そう言われると、自信は皆無だけど……」
「言葉ガ本当ダッタトシタラ『混浴ノタメ』ッテイウ線ハ消エルケド、ソレナラアノ態度ハ別目的ノタメッテコトダロ? ソリャ主様ガ本当ノ目的ヲ聞キ出セレバイイケド……デキナカッタラ……アノバカニ成リ行キツイデニオイシイ思イヲサセチャウダケダヨ」
 ニトロは苦笑を深めた。
 芍薬の言い分は筋が通っている。その可能性も大いに高い。否定する材料もないし、否定するつもりもない。
 だが、
「もしそうだったら――」
 ニトロは苦笑に自嘲じみた色を加えた。
「芍薬の言う通りティディアに『おいしい思い』をさせるだけになっちゃうけど、その結果は俺の判断ミスのせいだ。……そうなったら、その時は、ごめん」
「……御免ダナンテ……」
 アンドロイドの顔には明らかな渋面が刻まれている。ニトロはそれに呵責を感じながら――そして、これから口にすることが芍薬への慰めになるかどうかと疑いながら体を起こし、化粧台の先、壁の向こうの相手を見るようにして言った。
「まあ、それにさ、露天に入るのは……あいつの企みを聞き出すとかそういうことだけで決めたわけじゃなくて……。やっぱりここのことを考えたら、もう一つくらい『売り』を作っておかなきゃと思ってね」
「ソコマデ、ココノコトヲ考エテヤル義理ハナイト思ウヨ」
「うん。だけど……ほら、ここが潰れたら、クレイグも残念がるだろうから」
「……主様。クレイグ殿ニハ悪イケド、あたしハココニ明ルイ未来ガアルトハ思エナイ。アルノハ、ジリ貧、衰弱死スル未来ダケダヨ」
「そりゃ手厳しい」
 芍薬の物言いは実に率直で、堪らずニトロは唇を歪めた。笑えることではないが、自分もそう感じているところがあるから、変におかしな気持ちになる。
「けどそれならなおさら、もう一つくらい、さ」
「……」
 芍薬が口をつぐんだことにニトロは奇妙な違和感を覚え、立ち姿を崩すことなく傍にいるアンドロイドへと振り向いた。
「どうかした?」
「……アノオーナーノ目ニ、主様ハ映ッテナイ」
「ああ」
 あまり気にしていなかったが、実際口に出されては意識せざるを得ない。
 確かに、ロセリア・ウォゼットはティディアに目を配るばかりだった。例えば太陽の出ている青空では月が霞み、満月の夜空では星が霞むように、王女という眩い存在――またおそらくは憧れの的に目を奪われて、彼女の視野ではここを予約した名義人であるニトロ・ポルカトの姿は霞んでしまっているのだろう。
「それが不満?」
「不満ナンカジャナイヨ。怒ッテルンダ」
 さらりと言ってのけられ、ニトロは目を丸くした。
「気ヅイテルカイ? 主様。オーナーハ、出迎エノ時デサエ主様ノ名前ヲ一度モ口ニシナカッタンダヨ?」
「ああ……そういえば、そうだったかな」
「レストランデダッテ……。風呂ノ件ダッテソウサ。イクラあたしニ報セテアルカラッテ、本当ナラ自分デ直接主様ニ伝エルコトガ筋ッテモンダロ? バカ姫ノ言葉ガ本当ナラ、アッチニハ自分デ連絡シテオキナガラ、主様ニハ一言モナカッタッテコトニモナルンダヨ? 主様ハソレデイイノカイ?」
「いや……えっと……気にしてなかったから」
「ウン、ソウダト思ッテタ」
 芍薬は力強くうなずいた。今まで隠れていた怒気に強まっていた口調のままで大きく肯定され、ニトロは面食らってしまった。
 目を丸くしたまま自分を見つめるマスターに向けられたアンドロイドの顔には微笑にも似た脱力感があり、唇は結ばれるか突き出されるかの微妙な形を作っている。己を動かすA.I.の感情を表現しきれないと、システムがさじを投げているようでもあった。
「主様ガソウイウコトヲ気ニシナイッテイウコトハ、解ッテルンダ」
 呆れ――というよりも、マスターの性格を清々しく認めている声。
 ニトロは、レストランでロセリアの代わりに椅子を引いてくれた芍薬がちらりと見せた不機嫌な様子を思い出していた。
(……)
 どうやら、今日は芍薬にいらぬ忍耐を重ねて強いていたらしい。
 『芍薬への慰めになるかどうか』――などと、とんでもない勘違いをしていたものだ。
 今ここに至っては、芍薬が、ホテル・ウォゼットの手助けになることをしたくないと思っていてもおかしくはないだろう。あるいは、ティディアと湯を共にすることを黙認することよりも、ロセリアの助けになることの方が我慢ならないのかもしれない。
(……うーん……)
 これではロセリアの態度に文句を言えた身ではない。
 自分も、ティディアの不可解さと、親しい友人の頼みに目を奪われて、サポートしてくれている芍薬への配慮を欠いていた。

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