「気になって調べてみれば、取引相手の息子がソレを悪用してましてねぇ。取引相手本人とは契約を破ったペナルティ込みで話はついたので後はソレを回収するだけなんですが、悪用した息子にペナルティなしってのも何ですし、彼の仲間にもソレのことを知られちゃいましたから。そしたら息子さんってばちょうど性懲りもなくまた悪巧みをしているようなので、口止めついでにもろともナイトメアでも受けてもらおうということになりまして、で、その実行日がいつか撫子に探らせていたんですよ」
 ニトロはハラキリにとんでもないことを平然と――そのくせどこか愚痴っぽく――言い続けられ内心慌てていた。
 先ほど散々叫んだ自分が言えたことではないが、いくらここが他に人のない個室だとはいえ、もしかしたらそのドア越しに誰かが聞き耳を立てているかもしれないし、いつ何時そのドアを開けて待ち合わせをしているクラスメートが入ってくるかもしれないのだ。ハラキリが関係者以外に『秘密』を漏らすことはないと理解はしていても、これはどうにも心臓に悪い。
「そうしたら、」
「それが、来週末だったわけだ?」
 ニトロは口を強めて言った。
 事情への了解と、この話はやめようという意思を込められた語気にハラキリはかすかに眉をはね、
「残念なことに」
 ニトロの希望を受け入れ、それだけを言って口をつぐんだ。
 そして、
「……気をつけてな」
 願い通りこちらが話を切り上げたことに息をつき、その息の吐き終わりに付け足すようにして言ったニトロに、ハラキリは小さく笑みを浮かべて応えた。
「そちらこそお気をつけを。まあ、芍薬がいるから大丈夫でしょうけど」
 ニトロは苦笑した。
 こちらとあちらの気をつけるの意味合いには大きな隔たりがあるが、まあ確かに、ボディーガードが一人減ったからには彼の身よりもこちらの身をこそ案じねばならない。
 なにしろ――
「それでも油断はできないんだよ、あいつを相手にしてると。しかもあのバカ今回えらい張り切ってやがるし」
「シゼモは良いところですからねぇ。セグトス山脈の麓に広がる温泉地帯。山々から流れ落ちる水を束ねたリゴウ川、その本流支流に沿ってある湯の町々――その中で最も古く、最も大きく、最もセグトス温泉地帯の発展に貢献した湯元の街。悠久の歴史の中、一度も枯れることなくこんこんと沸き続ける湯を求めるのは日々の暮らしで心身に溜まった疲れを洗い流したい人、それとも温泉療法のために訪れる湯治客、あるいはただ温泉好きな旅行客、そして部屋付きのバスルームで体を洗い合い情緒溢れる温泉街の夜に寝屋を共にする恋人達
 朗々と、まるで観光案内かその街を讃える碑文でも詠んでいるかの調子でハラキリはそこまで言うと急に目を伏せ、頭を振った。
「いやいや……おひいさんが実に鼻息荒くその日を心待ちにしている姿が目に浮かびます」
「鬱陶しいんだそれがまた! 毎日毎日後二週間、後十三日、後、あとアトって満面の笑みでカウントダウンしやがって。絶対あいつはそっちをメインに仕事を入れやがったよ」
「そりゃ十分あり得ますねぇ。ああ、そうだ。そういえば地球ちたま日本にちほんの温泉文化は、セグトス地方のものに似ているそうですよ」
 ふと思い出したようにハラキリが言ったことは、ニトロに取って少々意外なものだった。これまでハラキリ経由で関わったの日本にちほんネタといえば戸惑わされるものや良い思いのないものが多かったのに、急に興味を引かれる情報を与えられて感嘆が口をついて出る。
「へえ、そうなんだ」
 アデムメデスの温泉は概ね『リゾート地』であるか『保養地』であるかに分かれる。前者は入浴や治療といったものより温水プールとそれに隣接した遊園地やカジノなど充実したアミューズメント施設で楽しむ、よりエンターテインメントによった観光地としてあり、後者は地方ごとの温泉療法の特色と共に育まれた文化が街を作り上げ、遊行ではなくより休息や療養を目的とした土地としてある。
 ニトロが来週『相方』と仕事に赴くシゼモを含めたセグトス地方の温泉は後者であり、元は宿場として、その後は入浴そのものを中心とした療法を主として発展してきた地域だ。
 写真や動画で見たその光景を脳裡に浮かべたニトロは、ハラキリの口から伝え聞くばかりの遠い辺境の星、その一地域に母星の景色を重ね合わせ、口元に自然と笑みを浮かべてつぶやいた。
「そりゃあ……ちょっと、親近感沸いたなあ」
「さすがに細かいところは違うでしょうけどね。ですが、ロカンという形式の宿やオヌセンダッキィュなるスポーツ施設、それとノタイモリなる料理もあれば概ね合っているそうです」
「へえ」
 異国の温泉話――それも父に語ってやれそうな料理の話が出てきてさらに心引かれたニトロが身を乗り出そうとした時、ふいにドアがノックされた。
 ニトロは身を戻し、ドアに目を向けた。
 一拍の間を置いて部屋に入ってきたのは、予想通りの顔だった。同じ高校の制服に明るい栗色の髪。帰宅がてらハラキリとトレーニングジムに向かう途中、電話を受けた相手……クラスメートの、クレイグ・スーミア。
 ニトロにとって大切な友の一人で、あの『赤と青の魔女』の日、スライレンドに誘ってくれたのも彼だった。
 クレイグはニトロと目が合うなり、すまなそうに顔を曇らせた。
「急に悪かったな」
「いや、いいよ」
 クレイグはハラキリのがわに座り、メニューを見ることもなくニトロに深い茶色の瞳を向けた。そこにはいつもの快活さはなく、友達への決まりの悪さだけが滲み出ていた。
 ニトロはカプチーノを一口飲み、クレイグの言葉を待とうとしたが……やめた。
 ここギルドランドで会おうと言ってきた電話越しの彼の声――それに彼の性格を思えば、あちらから話を切り出すのは苦しいだろう。
 ニトロはカップを置くと、メニューを表示する板晶画面ボードスクリーンに指を這わせ皆で食べられる物を注文しているらしいハラキリの横、顔だけでなく髪も瞳の色までをもくすませている友人に言った。
「それで、頼みたいことって?」
 何も遠慮はいらないよと、言葉と笑顔の裏にニトロは示していた。
 クレイグはしばしニトロを睨んでいるかのようにじっと見つめ、やがて、肩を落とすほど大きく息をついた。
「来週、シゼモに行くんだろ」
 ニトロがうなずく。
 クレイグはとにかく気の進まぬ様子で続けた。
「できたらでいいんだ。できたら、ウォゼットってホテルに泊まってくれないか」

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