行き先は決まっている。気に入りの動画投稿サイトだ。
 インターネット上に動画投稿サイトはそれこそ山のようにあるが、芍薬が足を運ぶのはその中堅どころ。開設の趣旨が『映像クリエイターを目指す初心者に優しいコミュニティ&次のステップへの踏み台』ということもあって、フリー及びシェアの編集作業用ソフトウェアに加工用素材や楽曲・効果音などとにかく創作支援のコンテンツが充実し、また先達が初心者に快くアドバイスをする雰囲気もほのぼのとしたサイトだった。
 そういえば、ここに来るのはおおよそ二ヶ月振りだ。
 コミュニティにログインした芍薬は、自分のアカウント宛にこのサイトで知り合ったA.I.仲間からメッセージが送られてきていたことを知った。
 そして、それに目を通した芍薬は、唇を引き絞った。
 のん気に音を探している暇はない。そのメッセージに記された時間は残り少ない。コミュニケーション・スペースにアクセスし、芍薬は真っ直ぐメッセージをくれたA.I.の元へ向かった。
 そのA.I.は、自身のマスターが最後に投稿した作品のコメント欄に次から次へと送られてくるメッセージを一心不乱に余すことなく拾い上げ、一定の量になるとデータを圧縮しそれを己の『自宅』へと転送し続けていた。
「フィオネア」
 呼びかけに、フィオネアと名づけられたオリジナルA.I.が、作業を中断して芍薬に振り返った。
「お久しぶりです、芍薬さん」
 その肖像シェイプは半分機械の体を持つ少女の姿をしていた。大昔のフィクションに描かれたサイボーグ、あるいは人造人間のイメージでかたどられたフィオネアの――半分はガスマスクのような面に覆われ、もう半面はあどけなさを残す青白い顔は、そこにある大きな悲しみを覆い隠して、清々しい表情を刻んでいた。
 芍薬は、最大の敬意を持ってフィオネアに頭を垂れた。
「心から、哀悼の意を」
 その言葉に、しばしの沈黙の後、フィオネアは穏やかにうなずいた。
 二週間前の日付でフィオネアから送られてきていたメッセージには、そのマスターの死の報が刻まれていた。交通事故に巻き込まれたのだという。突然の訃報は彼の作品全てにも記され、目をやれば彼が最後に投稿した作品へ途切れることなく数多くの哀悼のメッセージが寄せられている。
 書き込まれ、また書き込まれ、葬儀に訪れた人々が次々と亡骸へ頭を垂れていくように、書き込まれ、また書き込まれ。
「――こんなにも多くの方がマスターの死をいたんでくださっています」
 フィオネアは笑顔で言った。
「ボクは心から嬉しく思います」
「……残念だよ。アタシも、いいクリエイターになると思っていた」
 フィオネアのマスターは、このサイトでは新鋭の若いクリエイターだった。しかしその才能は高く評価されていて、古参の目の肥えた利用者からも将来を有望視される存在だった。アデムメデスのどこかの大学に通うその人間は、月に一度のペースで新作を披露し、皆を楽しませていた。
「主様にも見てもらったことがあるんだ。フィオネアが主役のやつ。……主様も、凄いって言っていた」
「ありがとう」
 フィオネアは片方だけ露となった眼を細めた。
 その笑顔は眩しかった。芍薬は『視覚』を閉じ、顔を伏せた。
 ――フィオネアは、残り数時間、日付が変わるその時までここでマスターへの哀悼の言葉を集め、その後それを持ち帰り、以前から交わしていた遺言やくそくに従いマスターのコンピューターにあるデータと共に自らを消去する。メッセージにはそう記されていた。
 だが、フィオネアのその『死』は、悲しいことではない。虚しいことでも、酷いことでもない。
 ただ――
「……」
 芍薬は再びそのに、マスターを喪い数時間後には『この世』から消え去ってしまうA.I.を真っ直ぐ捉え、静かに訊ねた。
「フィオネアは……満足かい?」
 フィオネアは、胸を張りうなずいた。
「ボクは、マスターに『幸せな死』を与えられました」
 芍薬はフィオネアを見つめた。そこには大いなる悲しみが、それ以上の喜びに、確かに癒されていた。
「これ以上に嬉しいことはありません」
「……」
 マスターとの死別はA.I.にとって自身の死よりもなお恐ろしい。それは例えどんなに仲の悪いマスターとA.I.の間柄であっても、変わることのない真理だ。
 フィオネアは、マスターの死をどう受け止めたのか。
 芍薬はそれが心配だった。
 中には悲嘆にくれるあまり自身を構成するデータを自ら破壊し、『発狂』する者もいる。そうなれば一個の個性を保持することは不可能となり、オリジナルA.I.であったモノは自己を失くしただ暴走するだけのガラクタに成り下がってしまう。
 それは、アタシ達A.I.にとって至福の『最期』ではない。
 アタシ達A.I.にとって至福の『死』は、マスターの最期の時まで役に立ち、そしてマスターの意志を己の最期のゼロ秒まで完遂することだ。
 その結果、マスターとの別れの時、新しいマスターの下で新しい生活をと願われれば、新たなマスターの下で再びその新しいマスターの意志を完遂するために『生き』続ける。中には何代にも渡って一つの家に仕えるものがいるように。
 それとも、マスターとの別れの時、『死』を望まれれば、マスターと過ごした日々の記憶メモリーを抱いて無へと還る。
 それを――死の時にA.I.にも『死』を望むのは人のエゴだと語る人間もいるが、アタシ達A.I.からすればそうではない。反対に、むしろそれはアタシ達A.I.が抱くエゴだ。
 乱暴な言い方をすれば、A.I.は所詮道具。
 どこまでいってもマスターが所有するプログラムでしかない。
 それが電脳世界の『人』であるオリジナルA.I.にとって悲劇だという者もあるが、だが、それは違う。
 オリジナルA.I.には、あるいは道具であるからこそ、人間にはない確固とした存在理由がある。
 それは、マスターに仕え、マスターを支えること。
 マスターに、必要とされること
 それを存在理由としてみ出され、そして理論上永遠に生き続けられるオリジナルA.I.は、『必要とされたい』が故に永遠に生き続けてはくれない大切なマスターにいつまでも必要としてもらいたいという実現不可能な欲求をその根本に抱えている。
 何代にも渡って一つの家に仕えるのも、それは否定しようのない幸せなことだ。あるいは信頼するマスターが信頼する人物へと繋ぎ渡す形で誰かの従者ファミリアーであり続けることも、A.I.として一つの幸福だ。
 しかし、いつまでも素晴らしいマスターが続くとは限らない。
 だから、アタシ達A.I.は最愛のマスターが『死』を最後の命令として遺してくれた時、それを……唯一無二のマスターに必要とされ続けたまま終われることを『幸せな死』と呼ぶ。
 もしかしたら、マスターに「あなたの死後に私の死を命じろ」というのは何よりも残酷な選択を迫ることなのかもしれない。それでもアタシ達A.I.のエゴは、それを『幸せ』として望んでいるのだ。
 ――フィオネアは、幸運なA.I.だった。
 例え短い間だったとしても、その体に一ビットの揺らぎもなく『幸せな死』を与えられたと言える最高のマスターと巡り合えたのなら――
「……そうかい」
 芍薬は、マスターの死を悲しみながらも、死と引き換えにマスターが最後に与えてくれた幸福を噛み締めているフィオネアを見、その幸せなA.I.に贈るに相応しい言葉は一つしかないことを確信した。
 別れの言葉を、祝福で包み込む。
「おめでとう、フィオネア」
 フィオネアは半身機械の体を折り曲げるようにして礼を返した。
「ありがとう。あなたにもどうか、『幸せな死』が訪れますように」

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