「どうしました?」
 ニトロの笑いが自分に向いているものだと察して、ハラキリが問う。
「本当にさ、ハラキリがなりたいものって何だろうなって思ってね」
「突然、なんです」
 今度はハラキリが眉をひそめた。
 ニトロは笑みを誤魔化すようにティーカップに口をつけ、ついでに自分も二杯目をもらおうと楽屋の隅に用意された小さな流し台にいる芍薬へ声をかけた。それからハラキリに向き直り、
「前にハラキリ、『裏の仕事』は廃業って言ってたろ?」
「ええ」
 すぐに返ってきたうなずきに、はたと、ニトロは思った。
「あ、でも、そういや神技の民ドワーフ関係の仕事は続けてるみたいだけど」
 ハラキリはニトロのどこかたしなめるような眼に軽く肩をすくめた。
神技の民ドワーフとのコネがあって悪いことはありませんからね。それに、まあ表立って大声で言えることではありませんが、『裏』と言い切るには少々違うと思いますよ?」
「…………」
 確かに、神技の民ドワーフは全世界において多大な貢献をしている。一方で呪物ナイトメアなんて迷惑千万極まりないものを作り出す危険な集団でもあるが、素子生命ナノマシン、ワープ航法、その他彼らからもたらされた技術無しに現在の宇宙文明の発展は成り立たないと言っても過言ではない。
 色々と、色々と神技の民ドワーフに関しては文句のあるニトロではあったが、同時にその神技の民が作り出したものに救われてきたのは事実だ。日々の生活をサポートし、この心身を守ってくれる芍薬――オリジナルA.I.も、その作成者が神技の民に迎え入れられたことで世に広められ、また一国一企業に独占されることなく世界中の誰もが手に入れられるものとなった。
 ハラキリの言う通り、その存在を世界の『裏側』ものだと言い切ることは間違いだろう。だとしても、ハラキリも言うように神技の民と関係があることは簡単に他言できることでないのも紛う方なき事実だ。
 神技の民との繋がりは往々にして『国家機密』にされる。それは、それだけその技術が国際的にも重要で希少なもののためであると同時に、その技術には莫大な利益が埋もれているために。そしてそこに群がる連中は、もちろん善人だけではないために。
 ニトロは渋面にも近い顔つきでハラキリを見つめ、言った。
「……ほどほどに」
「節度は守ります」
 ハラキリがそう言うなら、ほのかにある不安もただの杞憂に終わるだろう。ひとまず安心し、ニトロは話を戻した。
「それで廃業って言った時、他にやりたいことがあるって言ってたろ?」
「ええ」
「何?」
「そんな単刀直入な」
 双眸も真剣に真っ直ぐ問いを突きつけられて、ハラキリは困惑に眉を垂れた。
「他人のことより、今は自分のことじゃないんですか?」
「それはそうだけど、参考までに」
「参考になんてなりませんよ」
「参考になるかどうかはこっちが判断することだよ。っていうよりそう言われると余計に知りたくなる」
「それはただの好奇心じゃ……」
「おおとも、好奇心だとも。ハラキリみたいな奴が一体どういう夢を持ってるのか、物凄く知的好奇心をくすぐられるとも」
「私も」
 ぼそっと、コーンスープを飲んでいたティディアがスープカップに口をつけたまま言う。さっきから一言も発さず黙々と主人と同じ弁当を――その箱は主人と違い二つあるが――食べ続けているヴィタも、同意のうなずきを見せていた。
 さて、これはどうやって逃げたものかとハラキリが思案していた時、部屋の隅からアンドロイドが戻ってきた。白磁の上品なティーポットを持ち、ニトロが空にしたカップに煮出し紅茶のミルクティーを注ぎ、次いでハラキリのカップにも茶葉とミルクの香り絡み合い立ち昇る甘やかな液体を注ぐ。
「あたしモ聞キタイ」
 そしてニトロの傍らへの戻り際、芍薬までぼそりと要求した。
 ハラキリは、これは逃げられないなと観念した。正直、自分の情報をあれこれ晒すのは好きではない。真のことならなおさらに。しかし……夢なり目標なりを語り合うのは、それも一つ友達付き合いの醍醐味というものか。
「別に大したことじゃありませんけどね」
 ロイヤルミルクティーを火傷しないよう一口啜り、ハラキリは言った。
「店を開きたいと思っています」
「店?」
 ニトロは、ハラキリの口から飛び出してきた単語を意外な夢だと思ったが、すぐに、むしろ彼に似合っていると思い直した。彼が一般企業で会社員をしている姿を想像する方が難しい。どちらと言うなら自営業の方が向いているタイプだと思う。
「どんな店?」
 それを問うたのは、ティディアだった。手にしたフォークで弁当箱の中から厚く焼かれた玉子焼きを取り出し、半分齧り、口に広がった程よい甘味に頬をほころばせながら答えを待つ。
「雑貨屋……になるんですかね」
「に、なるんですかね?」
 ティディアに向けられていたハラキリの眼が、言葉尻を繰り返して疑問を投げかけたニトロに戻る。
「銀河中を歩いて、その旅行記をWebサイトで紹介しながら誰も買わないような珍品を展示する……それで一体店主はどうやって採算取ってるんだ? と不思議がられるような店をやりたいんです。だから、多分雑貨屋でしょう。それとも骨董屋か」
「何だそれ」
 ニトロは笑った。
 いや、その内容はハラキリらしいと実に深く納得してしまう。だが、それがあまりに彼らしいから、どうにも笑いが込み上げ自然と口を割ってしまう。
「でも、それじゃあ食っていけないだろう」
「そのためにそれなりの貯金をしてから、のつもりでした。幸運なことに既に目処が立ちましたけどね。お陰様で」
 ハラキリはニトロの好意的な――それはきっと友人の夢を理解しているのであろう笑顔を前に、食事を続けながら聞き耳を向けている二人にも同様の表情があるのを目の端にして微笑んだ。そして、続ける。
「しかし、最近はちょっとそれもどうかなと思い始めています」
「――なんで?」
 微笑みながら自らの言葉を翻すようなことを言われ、ニトロが戸惑う。ハラキリは微笑に少し悪戯っぽさを混ぜ、
「今はニトロ君とお姫さんの漫才を『特等席』で眺め続けるのもいいかなーとも思っていますので、そんな長いことアデムメデスを離れるようなことをしては勿体無いかな? と」
 ニトロから戸惑いが消え、不機嫌が現れた。からかうようなハラキリの物言いに対して口の片端を釣り上げ『コノヤロウ』と目で語る。
「それならやっぱり私の下で働きなさいよぅ」
 優雅にロイヤルミルクティーを飲みながらニトロの眼差しを受け流すハラキリに、ティディアが言った。
「特等席の中でも最高の席よ」
「折角ですが、お断りします」
 面白くなさそうにティディアは唇を尖らせた。食事の手を止め、フォークでくるくると宙に円を描く。
「そんなに魅力がないかしら。給与も弾むし、ハラキリ君が店を持ちたいなら無担保無利子で融資するし、仕事だって何も四六時中拘束はしない。今までと同じようにいてくれればいいんだけど」
「貴女の部下になってはこれまでと全く同じとはいかないでしょう。拙者は、貴女と、ニトロ君の『友達』ですから」
「む」
 ティディアはフォークの動きを止めた。『友達』を強調して返してきたハラキリの言い分に、反論はできない。ティディアの配下となればどう理由をつけてもそこにはこれまでとは違う色が付く。その上彼が、友達が友達でいてくれることを望んでくれるなら、それを否定することは彼女の望むところでもなかった。
「それにその席には先客がいますしね」
 ハラキリがそう言うと、ティディアのペースの二倍速で食事を進めるヴィタが、二つ目の弁当箱の蓋を開けながら微笑みうなずいた。それを見て、ティディアは「まあいいか」と言うように吐息をついて食事に戻った。
「そういやヴィタさんは」
 ヴィタに話が振られたことで、ニトロは思い出したように彼女に訊ねた。
「夢とか、ある?」
 彼の問いにヴィタは口に入れたマカロニサラダを咀嚼しつつ思考に目を泳がせ、食べ物を飲み込んでから、
「夢と言うのであれば、今がそうでしょうか」
「今?」
「はい。ティディア様に仕えてから、退屈はありません。仕事はやりがいがあります。ニトロ様もいじれます」
「うをいっ、最後はおかしいだろっ」
「何より、ティディア様とニトロ様が揃えば織り成される愉快な景色を特等席で観られます」
「だからぅをい!」
「私は『面白いこと』が他のどんなことよりも好きです。ですから今が夢そのものです」
 ヴィタは何一つ躊躇うことなく言い切った。涼しげな顔をして、されどマリンブルーの瞳を偽りなく輝かせて。
「――……」
 そこまで目一杯断じられては、ニトロは変に毒気を抜かれてしまって文句を言うことができなかった。いや、その内容はともかく、現実に『夢』を達成していると言うヴィタに心のどこかで羨望を抱いてしまったから、何も言えなくなったのかもしれない。
「ね、ね。ニトロ。私の夢は「却下だ」
 とりあえず嬉々として夢を語り出そうとしたティディアの言葉をニトロは即座に潰した。恨めしそうな視線を感じるが、聞かずとも分かる妄想を聞く余裕はない。今は、ちゃんとした夢を持っていた級友と、夢を叶えている年上の才女を前に、どうにも自分を小さく感じてならず――
「で、ニトロ君は?」
「え?」
 急に話題の矛先を差し向けられ、ニトロはぎょっと目を丸くした。
「いやいや、またそんな鳩がでっかい豆鉄砲食らったような顔をしなくても」
 ハラキリは苦笑混じりに言うが、ニトロは、今度はすぐに言い返すことができなかった。口ごもり、巧い切り返しが思いつかずに沈黙する。
 それをハラキリは不思議な面持ちで眺めていた。ティディアとヴィタは聞き耳を立て、ただ芍薬だけはニトロの心持ちを――おそらくは、その沈黙の原因を――理解していると、落ち着いた様子でマスターの背後に控えている。
 やがて困り顔でうなり出したニトロに、ハラキリは助け舟のつもりで言った。
「夢とか、目標とか、そういうもの。ニトロ君にもあるでしょう?」

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