行き先迷って未来に願って

 テレビ局が『王女様とその恋人』――かつ、素晴らしい視聴率を弾き出してくれる出演者――かつ、『番組への出資者とその未来の夫』のために用意した楽屋。
 ここはまさに貴賓室そのもので、肘を突くテーブルは磨きこまれた木目が美しいラミラス星製の逸品、椅子は、人間工学に基づき最高のデザイナーが生み出した最高級品。かといって内装は豪華絢爛を避け何時間でもくつろげる穏やかな空間としてあり、実際、居心地がいい。
 普段『ニトロ・ポルカト』としての特別扱いを嫌うニトロも、ここは気に入っていた。
 居心地がいいこともあるが、理由はそれだけではない。部屋は一国の王女を迎えるためだけあってセキュリティが充実しており、常に待機しているアンドロイドは当然のごとく警備用の最高スペック――加えて、ニトロがこの部屋にいる時はその制御権を全て、彼のA.I.が握ることを許可されているがために。
 だが、漫才の収録を控えた現在、居心地のいい気に入りの場所にいるというのにニトロの顔からはほとんど表情が消え、代わりに険しさにも似た影が満ちていた。
 ロイヤルミルクティーが注がれたティーカップに口をつける度、その時だけは頬をほころばせているが、それ以外はむしろ虚ろに近い瞳で、彼は手にする板晶画面ボードスクリーンを見つめ続けていた。
「―― 」
 音にならぬほど小さく息を吐いて、ニトロは板晶画面ボードスクリーンをカップの横に置いた。その眼は相変わらず画面に固定されている。腕を組み、かすかに顔をしかめたニトロは、まるで画面に表示されている文面から宇宙の真理を見出そうとしているかのようでもあった。
(……悩んでいますねぇ)
 テーブルを挟みニトロの対面に座る友人は、彼の様子を眺め胸中にそうこぼした。
「んふふ」
 と、ふいに、テーブルの端から小さな笑いがこぼれた。
 ハラキリはニトロがそれを一瞥したのを見たが、しかし彼はそれ以上の反応は見せず、またボードスクリーンに目を落とした。彼の傍らには中性に形造られたアンドロイドが楚々として立ち控えている。
 今。一度セキュリティが間違った方向に作動すれば救援が内に入ることができなくなる楽屋には、四人の人間がいる。皆々テーブルの前にいて、ニトロ、その対面にハラキリ、そして大きく空白を置いてニトロの横にセミロングの女性、その対面にその女執事と座している。
 身を乗り出し手を伸ばせば互いが触れ合える距離だ。無論、ティディアが一足飛びでニトロに抱きつくことができる間合いでもある。
 にも関わらず、この状況でニトロが全く警戒心を持たず、無防備とも言える様子で最凶の天敵をよそに目の前の難問に意識を集中できているのはひとえにそのアンドロイドの存在があればこそだった。
 アンドロイドはニトロとティディアの間にいつでも割り入れる絶妙な位置に陣取り、立ち居からは警戒心を微塵とも感じることはできないが、その人間よりも数多くの情報を拾える眼はもくもくと一心不乱に口を動かす女二人を油断なく監視している。
 ――それでも以前は、これと同じ状況であっても、ニトロは警戒心を剥き出しにしていたものだ。芍薬という献身的なオリジナルA.I.の実力を知ってはいても、肉食獣と同じ檻に入れられた草食動物のごとく、そわそわと落ち着きもなく。
 だが、その面影はどこにもない。
 それは彼が以前よりも心身ともに強くなったからか、それとも芍薬への信頼をより強いものとしたためか……あるいは、その両方か。
 ハラキリは、ロイヤルミルクティーを一口喉に流した。上品な香りと朗らかな甘味とが、胃も肺も心も潤していく。
(うん)
 美味しいと、ハラキリは思った。
 芍薬が自分のA.I.のサポートであった時は、茶のような嗜好品に関する技量は皆無に等しかった。当時はそれを必要とすることもなかったから、芍薬自身興味もなかったはずだ。
 それがニトロのA.I.になった後、撫子に色々と教わりに来ていたことは知っている。しかし、今日初めて飲んだ芍薬の淹れたロイヤルミルクティーのこの味は撫子のレシピにはないものだった。むしろ芍薬の『母』の味よりも、ニトロの部屋を訪れた時に出されたハーブティーに感心したことを思い出させられる。
「ふふ」
 横手から幸福を噛み締める吐息が再びこぼれた。
 ……彼女が噛み締めているのは、ニトロの味
 ハラキリはロイヤルミルクティーをもう一度含み、芍薬が手に入れたポルカト家の味を悠々と堪能した。
「……」
 ニトロは相変わらず板晶画面ボードスクリーンを見つめ続けている。
 例え穴が開くほど見つめたところで、見つめるだけでそこに答えが書き込まれることはないと解っているだろうに。
「適当に、合格圏内の大学名でも書いておけばいいんじゃないですか」
 なんとなく気分が良く、ハラキリは言った。
「ニトロ君は『とりあえず大学』でしょう?」
 ニトロは、親友のその問いかけが意外だと目を丸くした。
 画面上で白々と輝き頭を悩ませ続ける文書ファイル……それは、先週クラスの担任から配布された進路面談の日程通知書、同時に、進路志望書だった。
 高校三年生となって一ヶ月あまり。二年生時の志望書には『進学希望(理系・文系)』や『就職希望』程度にでも書いておけば許された進路も、志望する進路によってカリキュラムが区別される後期授業に向けて具体的にしていかねばならない時期だ。少なくとも進学なら希望する大学名を、就職ならば希望する職種や会社名をと、明確な――実現可能な――目標を書き出さねばならない。
 ニトロは、ハラキリが他人の人生に自ら干渉していくような性格ではないことは知っている。それがどうしたことか……いや親友が自分の人生に積極的に関わろうという意志を示してくれたことは正直嬉しいのだが、それがあまりに突然のことだったから戸惑いがどうしても先に立ってしまう。
「いやいや、そんな鳩が豆鉄砲食らったような顔をしなくても」
 ハラキリは苦笑混じりに言うが、ニトロはすぐに言い返した。
「驚くさ。ハラキリ、これもらった時に何て言ったよ」
「なんて言いましたっけ」
「俺がどうしようかなって言ったら『自分で考えて決めるものです』って相談する余地までさっくりばっさり先制攻撃で切り捨ててくれた」
「ああ、あれはやっぱり相談に乗ってくれと促していたんですね」
「やっぱりってお前……っつーか覚えてるじゃないか」
「思い出したんですよ」
 何食わぬ顔でロイヤルミルクティーを飲むハラキリに、ニトロは友達が助言を求めているのに気づいてるんならもう少しこう親切に――などと文句をくれてやりたくなったが、まあここで相談に乗ってくれるならと一つ息を吐いて気を取り直し、ボードスクリーンをとんとんと指で叩いた。
 画面に表示されている文書プリントには、学籍番号順に面談の日時と、それから記入欄が二つ書かれている。
 その一つは面談を日程通りに受けられるか否かを答える欄だ。日程に問題がなければ欄には何も記さず、外せない予定がある場合は理由を明記し代替の希望日を入力するように求められている。ニトロはそこを空欄のままにしていた。
 もう一つは三つに分割されていて、それぞれ進路の第一から第三希望までを記すように求められている。ニトロはそこも空欄のままにしていた。
 文書プリント提出の締め切りは、明日の正午までだ。遅れれば進路指導室に呼び出される。
「……ハラキリは、なんて書いた?」
「ハレイ外国語大学文学部外国文学科 ラトラダ大学教養学部外国文学科 ウェジィ芸術大学文芸学部セスカニアン文学科」
 ハラキリは一息で、ほとんど区切りを入れずに言った。
 思わず、ニトロは呆気に取られた。
 そう自分のことを語らないハラキリのことだ。『なんて書いた?』という問いへの答えは絶対に渋るだろうと思っていたから、完全に意表を突かれてしまった。
 何とか耳に残るハラキリの言葉を頭の中で繰り返し、それらが王都の中で特別有名ではないが無名でもない……ランクで言うなら中と上のボーダーラインにある大学の名だと理解し、同時にそこにあった一貫性にも気づく。
 新鮮な驚きがあった。ニトロは興味津々と目を輝かせ、新しい一面を見せた親友に言った。
「へえ、外国文学が好きだったんだ」
「飛びぬけて好きというわけではありませんけどね」
 ニトロは、眉をひそめた。
「何か引っかかる言い方だな。特に関心はないって言っているように聞こえるんだけど」
「ええ、特別な関心があるわけではありませんから」
「……じゃあ、なんで?」
「拙者はほら、外国語と体育が得意、ということになってますから」
「ああ、そういうことか」
 新鮮な驚きが急速にしわがれていくのを感じながら、ニトロはため息をついた。
 ハラキリの学校での成績は真ん中より少し下。普段自分と話している時は博識な彼のこと、絶対に真の実力は学年トップクラスにあるはずだが、目立つのが嫌いだからと手を抜き続けているのだ。
 さすがに全教科を悪くすれば逆に目立ってしまうので、全科目の成績はバランスよく悪くされている。そして得意科目の一つ程度と外国語だけは頭一つ抜けさせて、また、体操着に着替える時にクラスメートにその引き締まった体を見られるために体育もそこそこ得意ということに調節している。彼の成績表を覗き見た時、その素晴らしいお茶の濁しっぷりに器用なものだと舌を巻いたものだ。
 しかし……それならば確かに、ハラキリが外国文学科を専攻しようというのは至極当然の流れ。担任もクラスメートも誰も不思議に思うまい。当然過ぎて、それ以上の興味を示すこともないだろう。
 ニトロはロイヤルミルクティーのおかわりを芍薬に頼んでいるハラキリを――世間向きには己の本当の実力を巧妙に隠し続ける親友を半眼で眺めて、やおら苦笑した。

→2-2bへ

メニューへ