「……ティディアは」
そしてトレーニングルームにまた三人きりになったのを計り、再び横に座ったヴィタに問う。
「はい」
「まだ、ちゃんと、妹弟さん達と?」
「はい。食事をしています」
「本当に?」
「はい」
ヴィタはポニーテールにまとめた
「……」
ニトロは正面に座ったハラキリを見た。彼はドリンクを遠慮なく飲み、一息をついている。
目をヴィタに戻し、ニトロは訊いた。
「……レストランは、近いんだっけ」
「遠くはありません」
「店名は?」
「フォリア・ラ・レモンゾです」
「知ってる?」
ふいに問われたハラキリは、それでもすぐに肯定を返した。
「知ってますよ。評判のいいセスカニアン料理のレストランです。ここから……そうですね、車で十五分といったところですか」
「十五分……」
わりとすぐの距離だ。
ニトロはヴィタに注意深い眼を向けた。そして、『ティディアの執事』に手渡されたボトルを彼女に差し出す。
「飲んで」
ヴィタはニトロの嫌疑に少しの間黙してボトルを見つめていたが、しかし反論はせずに彼の手からボトルを受け取り、紅を落とした唇を飲み口に当てると彼によく見えるよう一口二口と飲んでみせた。
その姿をじっと見ていたニトロはヴィタが返してきたボトルを受け取り、『毒』は入っていないようだとようやく安心してボトルに口をつけた。
ほんのり甘味と酸味のある口当たりのいい液体が口腔を満たし――
「間接キス」
「ぶはを!」
ぼそりとヴィタがつぶやいた一言に、ニトロは盛大にドリンクを吹き出した。
「強要なさるなんて……ニトロ様ったら」
口振りに恥じらいを含ませて、そのくせ顔は涼しげなままニトロを見つめてヴィタは言う。
「ななな何でそういうことを言いますかな!」
動揺のせいか口調もおかしいニトロの姿にハラキリが笑った。
「うぶですねぇ」
「からかうな!」
「その程度で動揺しているようじゃ心の鍛錬はまだ不十分ですかね」
「そういう問題じゃないだろ、いきなり女の人からそんなこと言われたらドキッとするじゃないか!」
そのセリフがおかしかったのか、それともニトロが顔を赤くして言うのがツボに入ったのか、ハラキリは声を上げて笑った。ヴィタも顔を背けて震えている。
「…………」
二人の笑いはやまない。
――ニトロは、唇をへの字にして押し黙った。
「おや」
ハラキリが笑い声を止めた。むすっとして視線を落とすニトロが完全にヘソを曲げていると気づいて、頬を掻く。
「とりあえず」
ニトロはハラキリが自分に言葉をかけているのは気づいていたが、押し黙ったまま応えなかった。
ハラキリはそれでも続けた。
「ご忠告。今後、毒見をさせるなら完全な味方か、それとも検知機能を備えたアンドロイドにさせなさい。人だと投薬用
「あ」
うめき、ニトロはヴィタを振り向き見た。
麗人は涼しげな面に微笑みを刻んだ。
「誓って何も入っていません。もし入っていましたら、ニトロ様の目の前で死んでご覧にいれましょう」
「……」
ニトロは、そっぽを向いた。
風向きが悪い。
ティディアはいないとはいえ、ティディアと同じ
ならば何を言っても逆手に取られていじられるだけだ。
風向きを変えるには、沈黙、それが一番いい。
そう思ってニトロが黙ったのを、ハラキリは察していた。
あまりからかうのも何だから、ここら辺で風向きを変えてやろうとヴィタに目を向ける。
「それで、拙者らはそろそろ切り上げますが」
「もうですか?」
王女の執事は明らかに物足りないという態度を見せる。ハラキリはうなずき、
「ここに長居をしては彼女も来るでしょう? なんなら、一緒に運動しよう、とでも言って下の二人も連れて」
「はい」
躊躇いなく肯定したヴィタにニトロが鋭い眼光を向ける。ヴィタはそれを涼しい顔で受け流した。
「ならばなおのこと、そろそろ。
ヴィタさんはどうされますか? 店に行くというならお送りしますよ」
「お気遣いなく。合流まで自由にと、そう言われていますので」
「そうですか」
ハラキリは立ち上がった。一度屈伸し、ニトロへ言う。
「ニトロ君、もう一戦やっておきましょうか。それで今日は終了です」
「……それならさ」
ニトロは、ハラキリの提案に異を返した。
「折角だから、頼んでもいいかな」
その言葉はヴィタに向けられていた。ヴィタが怪訝にニトロを見、ニトロは彼女から視線をハラキリへと戻して言う。
「ハラキリとヴィタさんの試合を見てみたいんだ」
ハラキリの眉が跳ねた。ヴィタも少しの驚きを面に表している。
「前にも言った通り、拙者はヴィタさんに肉弾戦では敵いませんよ?」
「それでも『やってみなくちゃ分からない』って、ハラキリはいつもそう言ってるだろ? それに『師匠』が負けるところも一度この目で見てみたいし」
「それはまた意地悪なお願いですねぇ」
からかわれた仕返しだとばかりに言うニトロへ苦笑を返し、ハラキリはヴィタを見た。
ヴィタは立ち上がり、ストレッチを始めていた。
「私は構いません。ハラキリ様とは一度お手合わせしておきたいと思っていました」
「しておきたい、とはまた妙な言い方ですね」
「私はティディア様の護衛でもありますから」
「拙者はお
「共に守ることはあるかもしれません。その時のために手を合わせ実力を肌で感じておきたい、と」
ハラキリはふむとうなった。ニトロはヴィタの意図が掴めず、小首を傾げている。ややあって、ハラキリはため息混じりに問うた。
「もしやお姫さん、まだ拙者を配下に加えたいと?」
「そのお望みは持っておられます」
「断ったはずですよ」
「そうおっしゃられていました。しかし、諦めてはいません」
「まあ、お姫さんの諦めの悪さは重々承知していますけどね」
ハラキリはニトロを一瞥し、それから大きくうなずいた。
「分かりました。やりましょう。ルールはどうしますか?」
「実戦的に」
「なんでもありですね」
「はい。目突きも噛みつきも、どのようなことも問題ありません」
「素手で? それともグローブを?」
「はめましょう」
「了解しました」
ヴィタはストレッチを続けながら腕時計を操作し、オープンフィンガーグローブを持ってくるようジムのサービスへと連絡する。
彼女と対峙するハラキリも悠然とストレッチを始めていた。ニトロの相手をして温まっている体を、さらに上のギアに合わせようとするかのように。
やおら、今度は女性の職員が、ヴィタがジムに登録しているサイズのものを持ってきた。
「言い出しておいて何だけどさ、怪我はしないようにね」
係りの女性が去るのを傍目に腕時計を外したヴィタへ手を差し出してニトロが言う。彼女は彼の意を悟り、その手に腕時計を預けて微笑んだ。
「お心遣い感謝します」
二人が平然と交わしたルールは厳しいものだ。グローブというプロテクターがあることと武器がないこと、それ以外は限りなく実戦そのもの。
危ないのではないか? という不安とともに、そのルールでも問題なく戦えるであろう強者がどのような試合を見せるのかと胸が高まる。格闘技の頂点を極める決勝戦前……それにも似た、張り詰めた期待感がニトロにはあった。
「ああ、きっとニトロ君のご期待には添えませんよ?」
と、そこにタイミングよく。
こちらの心を見透かしたようにハラキリが口にしたセリフが意外で、ニトロはきょとんとして彼を見た。
「え? なんで?」
頭の中から喉を通らず素通りしてきたような『弟子』の疑問に、ハラキリはほくそ笑むように白歯を見せた。
「なにせ、すぐに終わりますから」