戦慄と共に、全員の視線は彼女に注がれていた。
「いい度胸じゃなぁい?」
 突如モニターから消え、突如車内に現れた王女。
 ティディアは、エメラルドグリーンに輝くハラキリの双眸を見つめ、それから彼がもう一つ飲もうと手にしているアンプルを目にした。
「二本も一気に? お茶目なことしようとするのね、ハラキリンってば」
 ハラキリはティディアの……その身に潜む一層エネルギーを増した『力』を見つめながら、言った。
「茶目っ気でこんなことできるほど恐れ知らずではありませんよ」
「そうね、お茶目なわりに可愛くもなんともない。面白くもない」
 ティディアは笑い、しかしすぐにハラキリを睨みつけた。
「ハラキリンってそんなに馬鹿だったかしら。ああ、お姉ちん失望」
「そりゃ申し訳ない」
 ハラキリはアンプルを口の中に放り込んだ。開けて飲む暇はない。このまま噛み砕き――
「だぁめ」
 がちんと、ハラキリの歯が空虚に鳴った。彼の口腔からアンプルが消えてしまっていた。
「させないもん」
 『天使』は、ティディアの手の中にあった。彼女はそれを背後に放り捨て、絶望的な状況にもかかわらず冷静に現状打破の手を探る眼差しを消さぬハラキリから、アンドロイド――その様子を見るに芍薬と撫子が動かしているらしい二体を見、最後に側近を見やる。
 アンドロイド達にも、ヴィタにも、彼女の意に反する態度が現れていた。
 だが、ティディアはハラキリ以外に敵はないと言うように三人へは牽制の視線を送っただけで、すぐにハラキリへ視線を戻すと彼に向けて手を差し出し――
「……主様」
 ふいに、芍薬がつぶやいた。
 それは祈りの言葉だったのだろうか。マスターへ、救いを求める。
 そう思ってティディアはどこか呆けた顔をしているアンドロイドを見て、眉をひそめた。
「?」
 アンドロイドは一点を見つめていた。
 ティディアは芍薬の視線が向かう先へ顔を向け……
 息を飲んだ。
「ニト――」
 いつの間に現れたのか。いや、一体どうやってここに来たのか。そこには、少年の姿に戻ったニトロ・ポルカトがいた。
 ぼろぼろになった戦闘服を纏って、腕を組んで、目を細めて柔和に微笑んでいた。
 がたん! と音が鳴り、何かと思うと後退したハラキリがピコポットに足を取られてよろめいていた。彼はエメラルドグリーンの双眸を丸々とさせ、口元には凄まじい引きつり笑いを浮かべている。
「主様?」
 芍薬が、ティディアとハラキリの様子に釈然としないながら――それ以上にマスターがそこにいる事実にエラーを起こしそうになりながらも、彼に声をかけた。
 ニトロは何も言わず芍薬にいつもの優しい笑顔を向け、再びティディアににこやかな顔を向けた。
「ひ」
 ティディアが、小さな悲鳴を漏らした。
 芍薬と撫子は、一体何が起こっているのかよく理解できなかった。
 ニトロが……笑顔ではあるが、怒っているのは辛うじて解る。笑顔で怒る人物が怖いということも理解している。
 しかし、どうして恐れているのはティディアだけではないのか。
 ハラキリは引きつり笑顔のまま硬直し、ヴィタに至ってはそれこそ獣のように毛を逆立てて車内の隅に避難している。三人の視線は一人微笑む少年に固定され、三人共が、ニトロに絶大なる恐怖を感じている。
 『この三人』が揃いも揃ってここまで恐れるとは……
「ニトロ」
 ティディアの声は、親に叱られる子どものそれのように震えていた。
 彼女に『タイムリミット』はまだ訪れていない。それなのに、暴君そのものの『力』を得ているはずの王女は、膝を震わせていた。
「あの、ニトロ?」
 ニトロは何も言わず、やはりにこにこと微笑んだまま、ティディアに一歩近づいた。
「ひっ!」
 ティディアが後退する。
「待って! ニトロ! お願い来ないで!」
 にこにことにこにこと、ニトロはティディアに詰め寄っていった。
 何も言わず、ただ微笑を浮かべたまま、細めた目の奥から瞳を真っ直ぐ彼女に向けたまま。
 ティディアの背が壁に当たった。
 ずいっとニトロが彼女に迫り――
「ひいいいいい!」
 悲鳴を上げて、ティディアの姿が掻き消えた。それを追ってニトロもふっと消える。
 車内は長く沈黙に包まれ、やおら……
「ソンナニ恐ロシイノデスカ?」
 撫子が、ため息をついてピコポットに腰掛けるマスターに問いかけた。
「恐ろしいってもんじゃない」
 この『眼』に見た彼の力。無色で、無形で、見えないのに見えるその『力』は底が知れなかった。ティディアの底知れなさとはまた違う、ティディアの底知れなさをすら飲み込んでしまう深奥。もしかしたら、幼い頃に何に対してかも解らないのに意味もなく感じた得体の知れぬ恐怖感が具現化したら、あのようになるのかもしれない。
 ハラキリは乾いた笑みを浮かべ、安堵の息をついているヴィタを見て互いに労わるようにうなずきあい、半ば呆れも込めて言った。
「あれに追われるくらいなら、いっそ殺してもらいたい」
「ソレホド、デスカ」
 性格的にも経験的にも『恐怖』というものに耐性があり、ある意味でそれに鈍感なマスターがそこまで言うのは初めてだ。撫子は『人間』だけが感じた根源的な恐怖感に興味を覚え、この場で得た情報を入念に分析しようと早速データの整理を始めた。
 もう、しばらく仕事はないだろう。ひとまず命を拾ったマスターは程よく緊張を緩めている。
「ソレジャア、主様ハ?」
 一方、我を取り戻したように、芍薬が慌ててハラキリに問うた。
「モウ大丈夫ナノカイ?」
 それを確認できなければ決して安心などできないという芍薬の勢いに、ハラキリは乾いた笑みの上に苦味を添えた。
「ああ、大丈夫」
 一つ深く息を吸い、一つ深くため息をつく。
「今はただ、おひいさんの無事を祈るばかりだよ」
 そのセリフに、ヴィタが同意の声を上げた。

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