――大男が、膝をついていた。
 全体の映像では、ニトロがティディアにひざまずき頭を垂れているように見えた。
 クローズアップでは彼の頭を撫でているティディアの瞳が、欲望に潤んでいた。
 ニトロはティディアの手を振り払い、一度ポージングを取って萎みかけたマッスルを再び蘇らせると一気呵成に攻撃を仕掛けた。
 だが、それも先ほどまでのものからすれば弱体化著しい。
 『タイムアウト』にはまだ時間があるが、『ノックアウト』には近いようだった。
「芍薬、準備は?」
 ハラキリに問われ、芍薬は不安を隠さぬ声で応えた。
「完了シテイル。モウ近クニ待機サセテアルヨ」
 それはヴィタが連れてきたティディア直属の兵が携行してきた戦闘用アンドロイドを、芍薬が使えるようにしているということだった。
 本来なら、ニトロが負けたら、ニトロを人質にしてティディアと『対決』するようにとマスターに厳命されたための準備。「浅知恵だとは思うけど」とニトロは言っていたが、撫子が操るアンドロイドを用いても倒せない相手には、確かにそれしか考えられない最後の手段。
 けしてうまくいくとは考えられないが、せめて『時間稼ぎ』にはなるであろう手段だった。
「もし拙者が加わっても駄目だったら、ニトロ君を撃て」
「!?」
 芍薬は、ハラキリの言葉に眉目を釣り上げた。
「拒否!」
 元々ニトロの策ですら不承不承受け入れたのだ。その上そんな……いかに以前のマスターの言うことであっても、それは受け入れられない命だった。
「撃つんだ。そして重症を負わせて『彼の策』が本気だと思い知らせろ」
「……」
 しかし、口早く、されど力強くそれが正しいと意思を込めてハラキリに言われ、芍薬は反論の余地を潰されてしまった。
 彼の言うことには一理ある。いや、正しい。
 確かにニトロの策は、敵に『A.I.たる自分にはニトロを傷つけられない』と思われたら、そこで終わりだ。
「それでも通用するとは思えない手段なんだ。躊躇うな。躊躇わず、後は……一秒でもいい、あらゆる手段で時間を稼げ」
「……」
「できないなら、撫子に任せろ」
「……ヤルヨ」
 苦渋を滲ませて芍薬は言った。
「あたしガ、ヤル。ソレハあたしノ役目ダ」
 ハラキリはうなずいた。自分を支える撫子に目配せをして、それからヴィタに言う。
「ヴィタさんも、手伝ってやってください」
「……全力で」
 ヴィタは大きくうなずいた。ハラキリの覚悟を悟って、彼女はそれ以上何も言えなかった。
「さて」
 ハラキリは撫子の支えから離れ、
「もう一度頑張りましょうか」
 彼の手の中で、小気味のいい音を立ててアンプルが折られた。



 劣勢であるにも関わらず懸命に抗う大男をご機嫌に見つめながら、ティディアは彼の拳を掌で受け止め――
「ん」
 ぴくんと眉を跳ね上げ、
「ん〜ん、んー?」
 ティディアは、ニトロの攻撃を捌き続けながらあさっての方向に顔を向けた。
「おのれぃ!」
 強敵の態度に怒声を上げ、ニトロが渾身の膝蹴りを放つ。
 彼女はそれをさらりとかわすと蹴りの軸足を刈り、彼に尻餅をつかせた。
 そして、追撃を入れることもなくため息をつく。
「んもう、ハラキリンたら」
「何を言っているのだ愚か者め、我がマッスルなフレンドがどこにいる!」
 立ち上がり、息を整えもせずニトロが拳を繰り出す。
 ティディアは指を唇に当て、静かにと言うようにふっと息を吹きかけた。
「うぬぅ!?」
 その瞬間、ニトロの足が棒のごとく硬直した。最強の金縛り。体力の落ちた今では振り払うことのできない戒めだった。
「ちょっと休んでて、愛しのダーリン」
 膝の屈伸がかなわず転んだニトロに、ティディアは優しく言った。
「すぐに戻ってくるから」
「どこへ行く! 貴様の相手は我が筋肉ぞ!」
「うん。ちゃんと相手してあげる。
 でもね? 邪魔が入ると楽しくないじゃない? この後は一緒にシャワーを浴びて洗いっこして、それからまた気持ちよく汗を流すんだから」
 ティディアはウィンクをした。疲れも見せず、何の衰えも見せず。それどころか彼女の言う、
「お楽しみは、じっくり」
 その時間へ向けて艶を増しながら。
「だから今は待って。あなたの筋肉は絶対満足させてあげるから」
「ならば良し! すぐに戻って来い! お仕置きしてやるから!」
「ふふ、『お仕置き』もちょっと楽しみ。それじゃ、ちゃちゃっとハラキリン殺してくるね」
 そう言うと、ティディアはえへへと笑って姿を消した。
「…………ん?」
 ニトロは、首を傾げた。
 ティディアを殴れ・ティディアにお仕置き・を殴れ・にお仕置き・マッスル・オ仕置キ・殴レ・殴れ殴れマッスル殴れ――
 それだけで一杯だった頭に、冷水が差し込んでいた。
 その分だけ、鮮明に、理性的な思考が戻ってくる。
 ハラキリン殺してくるね?
 それは何だ? つまり我が友、我が唯一の『戦友』、マッスルタフガイなフレンドを殺すということか。
「…………マテ」
 か細く、野太い声の裏に、少年の声が混じり、彼の喉から漏れ出した。
「…………まて」
 筋肉鬼ダルマの体が、震え出した。
「……待て」
 殺す?
 誰を?
 ハラキリン ハラキリを? ハラキリ・ジジを? 彼を、大切な、親友を!?
「待て」
 ティディアは言っていた。『次はないと言っておいた』と。
「――待て!」
 ニトロは絶叫した。
 ティディアが消えた空へ向けて、叫んだ。
「待て!」
 ティディアは察知したのだ。
 再び、ハラキリがやってくると。
 ハラキリが、また、助けてくれようと。
 ハラキリが、
 自分のために
「――――!」
 ニトロの体を震わせる恐怖と怒りが、極点を突き抜けた。
 突き抜けた恐怖と怒りは渦を巻いて彼の体を駆け巡り、それは彼を半ば支配している『天使』をも巻き込み、心の奥底のより深淵でしんしんと降り積もり炎を上げずに燃え続けていたモノを解放する。
「マテ、マテ、マテ!」
 彼は棒になった足を引きずり、痙攣し、転げ回った。
「ママママテテテテ!」
 『天使』が悲鳴を上げているのか肉体を無茶苦茶に変化させながら、奇声を発してのた打ち回った。
「マテマテテテママテマテテま!!」
 そして、肉体と精神のいけないどこかでいけない何かが――
「ま゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!!」
 繋がった。

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