「驚いたな」
 『ピコポットXYX』での治療も歩行ができるまでに回復したところで切り上げたハラキリは、王立公園内、戦闘地域から離れた空に停まる装甲飛行車アーマード・スカイカーの中、モニターに目を釘付け感嘆していた。
 車内のモニターには、車上で二体のアンドロイドが構える超高性能カメラから送られてくる人外の戦いが流れている。
 一つのモニターには全体像が、一つのモニターにはクローズアップが映し出され、両者の動きが遠近ともに。
 月明かりだけでもカメラはその機能をフルに稼動させて鮮明にその場を撮り込み、コンピューターに映像データを補正されたその画には、二人の一挙手一投足から髪の先の動きに至るまではっきりと映っていた。
「驚き通しです」
 ピコポットに腰掛けてモニターを見つめるハラキリの横で、ヴィタの目は猫のそれのごとく丸くなっている。
 モニターの中でニトロは変身を繰り返し、ティディアとおよそ互角に戦い続けていた。
「初めからこうでしたか?」
 戦闘服を着直しながらハラキリがピコポットでの治療の間、見ていなかった時間のことを聞くとヴィタは首を縦に振った。
「概ね、そうです」
 垂直に飛び上がったティディアが、地上へ向けて炎を吐き出した。クローズアップのモニターが一瞬にして埋め尽くされ、全体を映すモニターには火の海と化した広場が映る。
 そこには、彼女が作り出した猛牛を叩きのめしているニトロがいた。
 あの火を受けてはいくら彼とて堪るまい、ハラキリはそう思ったが、しかし火勢の薄れたクローズアップ・モニターには信じられない光景が浮かび上がった。
 炎に包まれながらも筋肉鬼ダルマの大男は平然として、むしろ快適な様子で丸焼けた猛牛に喰らいついている。ちょうどいい焼き具合らしい。肉汁で汚らしく口の周りを汚しながら見る間に牛一頭を骨ごと食べ尽くしていき、それに比例して体の形を変えていく。
 彼の頭蓋骨の一部が突起を作り出し、角となる。
 彼の両手両足の先が丸みを帯び、やがて蹄へと変じていく。
 彼は叫んだ。
 微かに音を拾った指向性マイクが彼の叫びを伝える。「モーーーー!」と。
 そして空にいるティディアに角を差し向けてニトロはコマのように回転し始めた。そのまま跳んで角で彼女を引き裂こうとするのかと思いきや、ニトロは足の蹄の硬さと丸みを利用してさらに回転速度を増していく。
 やおら……彼の角の周りにまだ立ち込めている炎が巻かれ出した。
 彼を中心に風が逆巻き、角が作る渦に巻き込まれるかのように周囲の炎が吸い込まれ始めた。
 全体像のモニターに、見る間に炎の竜巻が現れた。
 竜巻は――それは『鬼ごっこ』で逃げ回る子どものように楽しげに――空を飛び回るティディアを追い続け、ふいに、急速に勢いを失い霧散するように掻き消えた。
 どうしたのかと思えば、クローズアップされるニトロは目を回して膝を突いていた。
 回りすぎて気持ち悪くなったらしい。えらい勢いで吐いている。彼の口から吐き出すのは大量の水だった。水は凄まじい勢いで周囲に残る炎を消しながら蒸発していく。そして大量の水を吐き出したニトロは……
「主様……」
 芍薬が乗り込んでいるアンドロイドが悲鳴のような、それともどうリアクションを取ればいいのか分からないでいるような声を上げた。
 ニトロは、からっからに干からびていた。
 前回見たミイラとはまた違う。細々として、何と言うか、やる気も材料もないまま作った出来損ないの藁人形という様子だ。
 それがまた軽いらしい。
 ニトロの吐き出した水は広場を囲む樹木を燃やす炎までは消しきれておらず、その炎が生み出す上昇気流に乗って、出来損ないの藁ニトロ人形はかさかさと空へ舞い上がっていった。
 クローズアップ・モニターにティディアが入り込んでくる。
 彼女はニトロがどこかに飛んでいくのは困ると思ったようで、そっとそれに手を伸ばした――その時!
 干からびたニトロがティディアの腕に巻きついた。一体その体のどこにそんな力があるのか、ティディアの腕を伝い首に巻きつき、途端、彼女の顔色が真紫となる。
 失神させる……というよりその絞め方、完全に殺しにかかっている。
 空中でじたばたと暴れていたティディアは、やがて白目をむいて地上へ落下していった。
 干からびたニトロの体の端っこが彼女の首でひらひらとスカーフのようにたなびいている。気のせいか、Vサインをしているようにも見えるが……
 だが、それで敗れるようなティディアではなかった。彼女が落ちたのは度重なる炎の熱で完全に干からびた噴水池だった。
 結構危険な角度で頭から落ちたが、ティディアは池に落ちるや拳を握り、それをむき出しになった池の底に叩きつけた。
 びしりと池が割れ、間欠泉のように水柱が噴き上がった。
 水道管が破れたにしても豪快な水柱。ティディアの助力があるのか、その凄まじい水流はティディアを飲み込み彼女の体を空へと押し上げていった。
 水柱の中に大きな影が走り、それを追ってカメラが上に動く。
 柱頭の崩れる中から飛び出してきたのは、大男だった。水分を適度に吸収し筋肉鬼ダルマに戻ったニトロ。それを追ってティディアが――違う、彼を狙って真珠色の鱗をまとう大蛇、否、ちっちゃなドラゴンが大口を開け水しぶきを散らして飛び出してくる!
 龍は勢い凄まじくニトロの腕に食いついた。
 彼の岩のごとき筋肉をがっちりと牙に捕らえ、地上へ落下しながらそれを振りほどこうと彼がぶんぶん腕を振り回しても離れず、さらに尾をニトロの丸太のような太腿に絡みつけた。
 そして、その尾の形が変わり出す。先端が足となり、根元にかけて脚となり、次第にきわどいビキニをはいた女性の下半身が現れる。
 なまめかしい太腿が、ニトロの丸太のような太腿に絡みついていた。
 さらに龍は姿をどんどん変えていき、ついには鱗と同色のビキニをつけるティディアとなった。
 両脚で太腿を挟み、両腕を腰に回して抱きつくティディアをニトロは鬱陶しそうに引き剥がそうとするが、強力な接着剤で貼り付けたかのように彼女は離れない。
 いよいよ地上が迫り、ニトロはひとまず着地を決めた。
 するとティディアは着地の直後ニトロの足を刈り取り押し倒し、彼に馬乗りになって上の水着を脱ごうとする。
 しかしニトロは……何度も何十回も何百回も繰り返しハラキリに教えられたマウントポジションからの脱出法を繰り出し、巧みにティディアの毒牙から逃れると、立ち上がり様にティディアに蹴りを放った。
 だが、ティディアはそれを瞬間移動テレポーテーションでかわした。
 ニトロはティディアの出現場所を知っているとばかりに走った。走って、何やら透明な壁にでもぶち当たったらしく間抜けな格好で背中から倒れた。
 そこにティディアが身を投げ出し覆いかぶさろうとする!
 それをニトロの両足が突き上げる剣山のごとく迎撃する!
 無防備な腹を強大な力で蹴り上げられたティディアは空中で制止し、苦しげに咳をした後、地上で自分を見上げているニトロに対してお叱りのポーズを取った。
「本当に、驚いた」
 再びドレスを纏ったティディアが手の一振りで水勢弱まっていた水柱を消し、ついでに周囲の炎と広場を濡らした水をも消し、鼻歌を歌っているかの表情で地上に降り立つ。
 肩で息をしながらティディアに対峙し、互いに歩み寄り、そして彼女と凄絶な殴り合いを開始したニトロを見つめながら、ハラキリは吐息を漏らした。
「前よりもずっと強い」
 ニトロがここまでやれるとは思っていなかった。
 確かに『天使』の効果は使用者の実力と無関係ではない。しかしだからといってあの『映画』からの一年、いや彼が体を鍛え始めてからはまだ一年も経っていない。その短い間でどれだけニトロが成長していたとしても、正直、ここまで明白なレベルの違いを見せられるとは思えはしなかった。
 あの『映画』で見せたニトロに比べ、彼の動きは断然に速い。切れもまるで違う。
 今の彼と以前の彼を比べれば、肉の付ききっていない若く未熟な虎と過酷な世界を生き抜いてきた大虎ほどの差を感じる。
「芍薬、お前のマスターは、拙者が思っていたよりも強くなっていたようだ」
 突然、やけに晴れ晴れとした口調で話しかけられたアンドロイドは不思議な面持ちで振り返った。
「トレーニングの時は、まだまだだと思うことばかりだけれど……実戦向きなのかな。だとしたら、それを見抜けなかった拙者こそまだまだだった」
 ハラキリはピコポットから腰を上げた。ふらついた彼を撫子の操作するメディカルアンドロイドが支える。
「ハラキリ殿?」
 芍薬が、疑問の声を上げた。
 撫子の操るもう一体がハラキリに二本のアンプル――『天使』を、沈黙したまま、神妙に差し出した。
 神技の民ドワーフに関する記憶ログを封印されている芍薬にはそれがどういう意味を持つのか完全には理解できなかったが、しかし撫子から二本を受け取る元マスターの姿を見ているとメモリの奥から響いてくる不協和音に、それが絶対に良くないということだけは理解した。
 ハラキリがアンプルの頭に指をかけた時、ヴィタが彼に近づこうとした。彼女は『天使』について詳しい説明を受けている。止める腹づもりなのか、それとも自分が使うと言いだすのか。それを撫子が、ヴィタの前にアンドロイドを割り入らせて止めた。
「もうもたない」
 ハラキリの言葉にはっとして、芍薬とヴィタはモニターに振り返った。

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