限界が近い。ハラキリはそれを理解していた。
タイムリミットが迫っている。『天使』の効果は、あと十分持たない。
手を伸ばせば互いに触れ合える距離。
その距離で、ティディアは髪をざわつかせ、かげろう黒紫色の『力』を大きく開き、今にもハラキリを飲み込もうとしている。
しかしハラキリは……何も仕掛けようとしない。
ただ槍を握り、張り裂けそうな緊張感の中、機会を窺っていた。
その、機会は――
「!」「!」
二人の周囲を強烈な『振動』が支配する形で現れた。
逃げる間もなく二人の体に信じられぬ衝撃が襲いかかり、包み込む。
それは破壊的な威力を伴う爆音、それともその場に滞る衝撃波の檻か。
あるいは、地獄か!
激痛、苦悶、それらが事象として具現化したかのようだ。ティディアも、ハラキリも、そこから逃れようとすることすらできずに身を折りただひたすら苦痛に耐えていた。足元のアスファルトにひびが入り、やがて粉砕され
「――!!」
ティディアが、両耳を押さえて空を仰ぎ膝を地に付いた。彼女の纏う白装束の一部が色を変えている。白から黄、黄から茶、茶から黒へと、炎を上げずに焦げついている。
ハラキリの眼は、自分達の周囲を一面埋める黒と白の砂嵐――空間そのものを揺らしているのではと疑うほどの膨大なエネルギーを見ていた。
もし『天使』を使わず戦闘服で全身を覆っていなければ、瞬時に鼓膜が破れ脳震盪を起こし、十秒も経てば毛細血管が破裂し脳も内臓も壊され体の孔という孔から血を噴き出し死んでしまっていただろう。
現代技術最高峰の制圧装置。
主に実験中に暴走した被験体を対象としたもので――使われることなく彼女を素通りさせてしまったが――あの『研究所』にも備わっていたものだ。
さらに、ティディアには黒白の砂嵐を割いて赤い光……殺傷能力を有する
衝撃、熱、耐え難い異常音の一斉攻撃を受けるティディアは、さしもの『力』も防御に回すので精一杯だった。先までハラキリを飲み込もうと構えていた全てのエネルギーを己に集め、襲い掛かる全てを遮断しえる黒紫の殻を作り上げそれを完全に閉じようと――した、
その瞬間!
ハラキリが槍を、戦闘服の防御能力も『天使』の回復能力をも超えてくる苦痛を歯も砕けんばかりに噛み締め振り払い、ティディアの『殻』の隙間を狙って力任せに突き立てた。
手応え――狙い通り、彼女の足甲を貫いた手応えが柄を通して伝わってくる。
「撫子!!」
ハラキリは絶叫した。
主の叫びに呼応し、一体のアンドロイドが衝撃渦巻く空間に飛び込んできた。
それはハラキリに渾身の体当たりを食らわせ、彼をその空間から弾き飛ばした。そして破損していく体躯を顧みることなく主が残した合金の槍を片手で握りこみ、もう片方で自らの体を貫き漏電させる。電気は絶縁体の人工皮膚が裂けた体を伝い、槍にも流れた。
衝撃、熱、耐え難い異常音に加え、電撃まで与えられたティディアは――
「――まだか」
衝撃波の檻から弾き出されたハラキリは、ティディアのエネルギーが弱まらぬことを観ていた。
無表情であった顔は今や苦悶に歪み、大きく開かれた口から悲鳴が迸っている。
悲鳴のほとんどは振動にかき消されているが、しかしか細く届いてくるそれには怒りが充満しており、このまま制圧装置の電源が落ちるのを待てば手酷い復讐があるのは明白だった。
(撫子)
もう一度、ハラキリはパートナーに呼びかけた。
ティディアを中心に五体のアンドロイドがいる。その内、制圧装置を作動させている三体――それぞれ正三角形の頂点に立つように場を囲む三体はビルの屋上から降下してきたところをティディアに弾かれたもので、この機会を待ち『死んだフリ』をしていたものだった。あとの二体は加勢に現れた、片腕を
そこにまた二体加わった。
二体は苦しむティディアを挟んで立ち、鏡写しのように揃った動作で両手を広げた。
そして、二体のアンドロイドの双眸がシステム起動の光を灯した時。
その二体に挟まれた空間が、凍りついた。
代わって制圧装置を担当している三体がシステムを止める。赤い光線も消え、音波兵器も折り畳まれてアンドロイドの胸に収まる。
そしてティディアは、苦悶に喘ぐ――
「慟哭する女神」
ハラキリはその姿を見て、思わずそう口にした。口にして、恥ずかしいことを言ったと苦笑する。
ティディアは膝を地に付き手で耳を塞ぎ、激痛に背を弓なりに反らし天を貫く悲鳴を上げる一個の彫像としてそこにあった。
衝撃波と熱にやられて
ティディアは……そのまま動かない。
二体のアンドロイドの狭間に作り出された力場の中で髪の一本も動かせず、その姿を三角形に荒れ果てた車道の上に晒している。
『結界』を作り出し、捕らえた対象を封じ込める捕縛装置。
これも現在最高峰のものだった。
――『
ティディアではなく
思ったより周囲に被害も及ばなかったし、これくらいなら『誤魔化し』もしやすいだろう。
ティディアにテレパシーがなければ撫子と
撫子も随分厳しいタイミングで仕掛けてくれたものだが、文句のつけようもない。
いや、成功は撫子にかかっていたと言っても過言ではないのだから文句があるはずもない。よくやってくれた。もしニトロに礼を言われるようなことがあったら、それは撫子にと告げるとしよう。
ハラキリは体のそこかしこで壊れた組織が高速で癒えていくのを心地良く感じながら、ティディアの『死んだフリ』を警戒し、彼女の『天使』がタイムリミットを迎えるまで、それまで目を離さぬと彼女の様子を看視し続けていた。
(……ふむ)
ティディアは、彫像となったまま動かない。
このまま120分フルタイムを経過させれば確実に『天使』の効果は切れるが、その確実をより強固にするためにも、ヴィタに言ってこの怪物を研究所へ運んでしまおう。あそこには大規模な同装置もあるし、何よりシステムの安定度はずっと上だ。
捕縛装置を作動させているアンドロイドへ他のアンドロイドが近くの街灯からケーブルを引き出して電力の供給を行っているのを目の端に、ハラキリは撫子に命じた。
(そのように、手配を)
(カシコマリマシタ)
ハラキリは一つ息をついた。
「これで何とか、ニトロ君に怒られないで済むかな」
古い空気を吐き出し、特に何が変わったわけでもないが新鮮に感じる空気を緩むことない緊張感を保持した胸に吸い込む。
そして、
「非道いわー」
ハラキリの耳を、ふて腐れたティディアの声が叩いた。