ちょうど戦闘服を着終えたニトロは脱いだ服を急いでアタッシュケースにしまい込み、最後にクリアケースをポケットに入れ、車道に出た。
「主様、アア、無事デ良カッタヨ」
思った通り、そのアンドロイドは芍薬が操作していた。装甲飛行車が着地する前に飛び降りてきて、ニトロの全身を確認するや安堵を体中で表し、
「……主様?」
マスターにある雄々しさを見て、戸惑いの声を上げた。
「ドウシタンダイ?」
何かを決意したニトロの顔。
芍薬は、彼が何を思っているのかはっと理解した。そして反対を示そうと口を大きく開き、しかし声ではなく、ノイズを鳴らした。それは言葉を飲み込みこんだ――といった様子だった。
「『保険』ハ、アクマデ保険デシカナイヨ?」
さすが元々ハラキリのパートナーのサポートをしていただけある。芍薬の言葉は正確に状況を掴みニトロの判断を読み取ったもので、また確かめともたしなめとも取れる揺らぎを持っていた。
「解ってる」
ニトロは芍薬を安心させるように、逆に口軽く言った。
「でもまあ、大丈夫だって。ハラキリが何とかしてくれるよ。それにこの保険も、なかなか満足できるサービスだしね」
「ドンナ
芍薬の操る機械人形の人工眼球は、ニトロの持つアタッシュケースに向けられている。
ニトロは微笑んだ。芍薬が思っている通り、アタッシュケースに『手段』があったと掲げてみせる。
「『天使』」
アンドロイドは、やけに人間臭い仕草で頭を振った。
「主様、本当ハ使イタクナイダロ?」
「仕方ないよ。それに、さ。どっちにしても後で使おうかな、なんて今は思ってるんだ」
「……使ウ『必要』ガナクテモ?」
「うん」
ニトロは冷徹な眼でティディアがいる方角を一瞥し、言った。
「あんのクソど阿呆、後でこいつでお仕置きしてやる」
語尾を強めたのはバカ姫の狼藉を思い出し怒り込み上げてのことか。それとも、彼自身の『決意』を強めようとしてのことか。
芍薬はニトロをじっと見つめ、人間の眼よりも細かに『見え方』を調整できるカメラを通して、マスターの表情に揺らぎがないかを見定めた。
いくら『天使』を使うとしても、その『保険』は大切なマスターを最前線に立たせる危険な策。今のティディアを相手に、本音では、それは決して承諾できない手段だ。
だから、もし、ニトロに少しでも躊躇いの影があったら。
もし、彼に幽かにでも怯えの色があったら。
芍薬はどんなに叱責を受けようがその『保険』をかけることに拒否を貫くつもりだった。別の手段を講じようと説得するつもりだった。
だが、マスターには躊躇いも怯えもない。
ただあるのは――覚悟。
強く強い意志。
「……手伝イハサセテクレルヨネ?」
芍薬は、折れるしかなかった。しかし彼のA.I.としてそれだけは確かめる。
「それについては移動しながら話そう」
「承諾」
芍薬の先導を受けて
「ヴィタさん」
車内には見覚えのある緊急医療器具と二体のアンドロイドの前で、深々と頭を垂れる
「顔を上げなよ」
「ですが……」
「責任はあのバカにあるだろ?」
「その点についても弁解を」
「聞くよ。聞くだけは聞く。今のところ許す気はないし、怒り心頭だけどね」
麗人が顔を上げ、マリンブルーの瞳がニトロを見つめた。
「ヴィタさんにも言いたいことはあるけれど、今はそういう場合じゃないから」
ニトロは穏やかだった。決意を秘めた精悍な面構えをしてはいるが、怒り心頭と言うには雰囲気は柔らかで、口調も静かだった。
しかし、ぞくりとする。ヴィタの中で、彼女の受け継ぐ獣人の血が騒いでいた。『危険』だと、それを知らせる野性の勘がさんざめいていた。
「どちらへ参りましょう」
王女の執事は珍しく顔を強張らせている。
それを本当に珍しいなと思いながら、ニトロは言った。
「王立公園」
芍薬がアタッシュケースを受け取ろうとするのに、ニトロは快く応じて渡した。そして車内にある機材のほとんどが『撮影用』であることに気づいて――
「……何を撮るつもりだった?」
ドスの利いた声に叩かれ、ヴィタは即座に答えた。
「『クレイジー・プリンセスの余興』にするための小道具です」
「ふうん……」
ヴィタは生きた心地がしなかった。ニトロの前で畏まるばかりの彼女に代わって、芍薬に命じられたA.I.が装甲飛行車を空へ飛び上がらせていく。
「まあ、それも詳しくは後で聞くよ」
「はい」
「それと、公園の風景、撮っておいて」
「?」
「最悪……もし、やり合うことになったら、目茶苦茶になるかもしれないから」
そう言って、ニトロは皆の憩いの場を壊す可能性を示唆したことに罪悪感を覚えた。昼間に訪れた風景、楽しげに公園に向かう人々の姿が瞼をよぎり、なおさら心苦しくなる。
だが、この近辺で『王の私有地』の他に適当な『戦場』が思い当たらないことを免罪符に己の罪悪を慰め、ニトロは言った。
「だから直す時の参考に、念のためにさ」
「かしこまりました」
ヴィタが頭を垂れる。
ニトロがため息をつくと、ぴくりと彼女の髪の中からイヌの耳が跳ね上がった。
それを目にしたニトロはヴィタの耳が萎れるようにまた髪の中に隠れていくのを見届けてから、
「……さっきから気になってるんだけど」
「はい」
「何を怖がってるの?」
あまりに無自覚なニトロのセリフにヴィタは言葉を失った。彼女の背後で、小さな笑い声がこぼれた。
「主様」
「ん?」
「気ノセイダヨ」
「そうかな」
「ソウダヨ」
芍薬は明らかに解って言っている。
ヴィタは、尻尾があれば丸めたい気分だった。