ティディアは冷静に『力場』を展開した。それに触れたアンドロイドもアスファルト塊も、一緒くたに弾き飛ばされてしまう。
弾かれたアスファルト塊を巧みに操作し、鎖をティディアに巻きつけるよう振り回しかけてハラキリは、
「!」
展開された力場から、『不可視の紫色の腕』が伸びてきていることに気づいた。
「――!!」
ハラキリは奥歯を噛み締め、右腕に力を込めて鎖分銅の軌道を変えた。乱暴な軌跡を描きアスファルト塊が『紫の腕』を迎撃する。
しかし、腕――ティディアが伸ばしてきた密度高い『力』は、アスファルト塊に触れるやそれを一瞬にして破砕した。さらに頑強な鎖を粘土のように捻じ曲げながらハラキリへと這い寄る!
ハラキリは躊躇なく武器を捨てた。迫る『力』から逃れ50mの距離をあっという間に後退し、車列の中、大型トラックの屋根に飛び乗った。
ティディアの姿が、消えた。
だが、ハラキリは見ていた。姿は肉眼からは消えることができても、『力』はこのエメラルドグリーンの瞳からは逃れられない。
(撫子)
戦闘服の覆面に備えられた
ハラキリの頭上に巨大な火炎を掲げたティディアが現れた。
ハラキリは逃げることなくその場に居つき、伏せた。
「エェェェェイ!」
それに合わせ、車間から現れた一体のアンドロイドがわざとらしく大声を上げてティディアに襲い掛かった。その手には注射器が握られている。
「ドワーフ特性」
ハラキリが、ティディアに聞こえるようにつぶやいた。アンドロイドを取るに足らぬと扱おうとしていた彼女は気を変えてアンドロイドに振り向き、
「ハッタリ・嘘」
さらにつなげられたハラキリの言葉に、ティディアの動きが――鈍った。
読み込んだ彼の思考には「嘘」とある。それはハッタリが嘘であることを肯定しているが故の「嘘」なのか、それともハッタリを嘘だと言ったことが「嘘」なのか判別難しく、ティディアは惑い……
結局、無視はできぬと掲げた火炎をハラキリから眼前に迫るアンドロイドへ目標を変えて即座に叩きつけた。
灼熱を浴びたアンドロイドの人工皮膚が瞬時に炭と化し、気体と化したオイルが所々で筐体を突き破り、アンドロイドはティディアに届くことなく無様に落ちた。
ハラキリはその間隙を突き『
そうはさせじと伸びてきたティディアの不可視の腕から逃れ隣の車上へと移りながら、ハラキリは右手を差し出し
「せぇ!」
気合い一閃、ハラキリは炎熱の
――その時、
「 っっ――!?」
ハラキリの肺から、大量の空気が押し出された。
背部を尋常ならざる衝撃に打たれ、視界がぶれ、脳が揺らぐ。
ハラキリに避けられたティディアの不可視の腕が捕らえる目標を変え、後ろにあったバンを猛烈な勢いで彼へと投げつけたのだ。1t強の重量にその速度が加わり、戦闘服の衝撃吸収能力を超えた威力が彼の肉を潰し骨を砕く。
「っ!」
それでも、ハラキリはバンに撥ね飛ばされながらも斧槍から手を離さなかった。激突のあまりのパワーに恐ろしい距離を宙に舞い、『舞台』にまで押し戻される。彼はその状態でも状況を正確に把握し、落下が迫ったところで斧槍で地を突き体勢を整え、着地するや斧槍を振るい高熱を発する斧を切り離した。
切り離された斧は真っ直ぐ、追いかけてきていたティディアへと向かった。
ティディアは冷静にそれを『不可視の網』で絡め取り、ハラキリへと投げ返す。
ハラキリはその時すでに再び車列の中に身を隠さんと駆けていた。寸前まで彼がいた空を斧が貫き街路樹にめり込んで止まる。刃に触れる木肌が即座に焦げた臭いと共に煙を吹き出し、やがて炎が溢れた。
「痛たたた……」
バンの痛撃に潰れた筋肉、破裂した血管、所々で砕けた骨が、『天使』の力により急速に治癒していく。そのわずかな回復の時間を得ようと車の陰に身を潜めたハラキリは、息をつく間もなく慌てて身を翻した。
すぐそこまでティディアの『紫の腕』が伸びてきていた。
『腕』から逃れ車間を縫って走り、と、逃れた先にも『腕』が現れた。それはハラキリを追う『腕』と連動し獲物を押し潰そうと車を寄せて、
間、一髪。
ハラキリは垂直に跳び『サンドイッチ』から逃れた。足下に鳴る身の毛のよだつ音をよそに、手の中の長槍を二つに分ける。そして抱き合うように潰れた二台の車の上に着地すると同時、彼は利き腕の右に握った槍を、ビルの五階付近にまで飛び上がっていたティディアに――その彼女の姿に舌を打ちながら――投げつける。
槍は、一流の槍投げ選手が
その刹那、ハラキリはもう一方の利き腕を渾身の力で振るった。
そのタイミング、狙い、力の加減、一連の動作の全ては『無思考の決断』によるものだった。
――加えて、『慣れ』がティディアの判断の足を引いた。
ハラキリが両利きであることをティディアは知っていた。それはハラキリから聞いて知ったのではなく、ニトロのトレーニングに付き合っているのを映像で見た時、普段は右利きで通している彼が、その動きから実際は両利きであることを見抜いたためだった。されどそれが故、知ってはいても事実を本人から確認した情報ではなかったため、『基準』はどうしても右に依拠していた。実際、先まで武器は右利きの動作で扱われていたことが、さらにティディアの判断を鈍らせた。
ハラキリが両利きであることを、ティディアが再認識したのは――
二擲目の槍が目にも止まらぬ速度で、直前の攻撃とは比べ物にならぬ威力を以てティディアの『盾』たる力場に触れても弾かれることなくそれを貫き、彼女の右肩に突き刺さろうと迫るその刹那!
「ッ!」
だが、あわや右肩に穂先が突き刺さろうかというその刹那の内に、ティディアは事態に追いついていた。
力場の質を変え、投げ込まれた槍を狙いの軌道から逸らす。
槍はティディアの肩口をかすめ、服をわずかに引き裂いて……ハラキリの『一計』は、それで終わった。
しかし、ハラキリは落胆などしていなかった。それはむしろ予想通りの結末。すでに彼は次の行動に出ていた。『
と、その時だった。
「――お?」
すると、ハラキリの足下で車が、動いた。
「おお?」
いや、彼が踏みしめる車両だけではなかった。
「お――!」
この場にある全ての車がけたたましい音を立ててタイヤを削り、凄まじい勢いでバックし始めていた。
突如として動き出した足場にバランスを崩し、体勢を立て直そうとしたところに速度を上げられ足を掬われそうになったハラキリは、跳んだ。跳び、次から次へと足下を通り過ぎていく車体に巻き込まれぬようまた跳び、やがて、彼は残骸と化した数台を残して一台の車もなくなった車道に降り立った。
「……」
『金属の供給源』が奪われた彼の手には、半端に短い鎖だけが残った。
いきなり広々と拓けた戦場にぽつんと立ち、ハラキリは、鎖を槍へと作り直しながら眼差しを上向けた。
そして、目にしたティディアの姿に再び舌を打つ。
彼女の中心から漏れ出す紫色の霧が頻度を増し、さらに濃さを増していた。さっきまで神々しかったその輝きが、次第に本来の彼女の髪の色に似た黒紫色へと。
急速に――戦い始めてからはさらにさらに。
(……よもや邪魔されて『愛』が燃え上がっている、なんてことはないでしょうね)
だとしたら余計なことをしているのかな、とも思うが……まあだからといって止めぬわけにもいかない。
「……」
ティディアは、誰からの介入も拒否するように力を増している。
毒づくようにハラキリはため息をついた。
「やれやれ……」
遠く離れた場所から黄色の光線が三度ティディアを襲う。ティディアはそれを甘んじて受けた。受けたのに、光線は彼女の表皮を舐めただけでそれ以上のダメージを与えられはしなかった。
ティディアは狙撃手のいる方角へ顔を向けた。密度高く紫色のエネルギーが凝縮し、ふと消える。
――遠くで、爆音が鳴った。
ティディアは、一段と光を失った瞳を強敵へと戻した。
それをエメラルドグリーンの双眸はまっすぐ見据え返した。
ハラキリの目前に、移動速度を増してティディアが降り立つ。ハラキリは逃げず、彼女を迎えた。技術の粋を結集し作られた戦闘服越しにも、彼女が放つエネルギーの凶暴さに皮膚がぴりぴりと痛む。
まるで開かれた
ハラキリは、苦笑混じりに言った。
「何て顔をしてるんです」
彼をじっと見つめる瞳は澱んでいる。燃え上がる街路樹の紅蓮がその無表情にぬめりつくような影を差し、彼女の美貌ゆえに恐ろしさがより際立つ。幽鬼――と、その言葉がハラキリの脳裡に浮かんだ。
「そんなんじゃあ、ニトロ君に嫌われる一方ですよ?」
ティディアの色を失った唇が冷やかに動く。
「それでも、ニトロがいれば、いい」
彼女を包んでいた光はか細く、もはや、その身は黒紫の影に飲み込まれかけていた。