自宅は最寄りの地下駅から
王都中心地ほど栄えた摩天楼とまではいかないが、それなりに高層ビルの立ち並ぶ賑やかな小都市。近くに王都の中で最も大きく植生豊かな王立公園があることから緑を町の特色とし、無機質なビル街にも並木道や緑地帯が数多く見られる。
人工物と植物が織り成す景観は融和的であり、その景観を活かした都市設計は評判がいい。王都の中で住みたい所はと問うアンケートでは必ず名前が挙がってくる町で、確かにここの並木道を歩けば、高い評価を受けていることを素直に納得できる。
「……うん、もうちょっとここにいる」
ニトロは、並木道に面したカフェでカプチーノを飲みながら、芍薬に電話をかけていた。
前後期で学習した内容確認の授業と試験が続く総括期を無事に耐え抜き、二年目の高校生活もつい昨日修め終え、現在待ちに待った高校生活二度目の春休みの真っ最中。
彼がここスライレンドにやって来たのは、受験や進路だと忙しくなる三年目を前に遊んでおこうぜとクラスの友人に誘われたためだった。
「ああ、皆とはさっき別れた」
――思えば、あの『映画』からもう一年……
ティディアの茶番劇に無理矢理付き合わされた挙げ句、夫婦漫才の相方として指名された最悪の春休み。それからの月日で激変した環境、人生。
中でも最も変化したのは、やはり人間関係だと思う。
ハラキリ・ジジという親友を得られたことは素直に嬉しいが、その対価に、少なからず友人を失った。いや、失ったというよりも……友人とは言えるだろうが『友』とは言い切れない……切ない関係が増えてしまった。
あのバカの策略で『ティディアの恋人』として祭り上げられてからというもの、一時期凄まじい取材攻勢を仕掛けてきたマスメディアを嫌煙し、その中心にいる自分から自然と離れてしまった者がいる。
あるいは、ニトロ・ポルカトという友人を見るのではなく、『あの有名なニトロ・ポルカト』を見るようになってしまった者もいる。
それを実感と共に知らしめられたのは、『ニトロ・ポルカト』の情報が開示されてからの騒ぎもようやく落ち着きを見せた頃――遊びに誘われてアミューズメントパークに大勢で行った折、声をかけてくれた友人が皆から金を集めてチケットをまとめ買いしてくると言ったその際、中学から同じ学校だった友人に『あれ? ニトロの奢りじゃないの?』と言われた時だった。
さすがにショックだった。
彼だけでなく同じことを望む目はいくつもあり、それは本当にこたえた。
奢りたくないとか、金が勿体無いとか、そういう問題ではない。さも当然と、金を稼いでいるのだろう『ニトロ・ポルカト』が出すのが当たり前だと言う、その視線と空気がたまらなかった。
それをハラキリに話したら、彼は散々吐き出した愚痴を最後まで黙って聞いてくれて、そして別れ際に「そのうち落ち着く形に落ち着きますよ」と、慰めなんだか諦めを推奨しているんだか分からない言葉をかけてくれた。
だけど実際、その通りだった。
結局やるはめになってしまったティディアとの『漫才』――クレイジー・プリンセスを遠慮なくドツキまくる姿が受けたのか『ニトロ・ポルカト』単体でも変な人気がついてしまった現在。
相変わらず『有名人のニトロ』を目当てに声をかけてくる『友人』達はいて、それは増えることはあっても減ることはない。
しかし一方で、ティディアとの漫才が軌道に乗ってしまってからも、それでも以前と変わりなく接してくれる友人はちゃんと残ってくれた。
今日、声をかけてくれたのはそんな本当の友人の一人だった。
それも素晴らしいグッドタイミングで!
いつ何時バカが出現するか分からないからハラキリ以外と遊びに出ることには慎重にならざるを得ないのだが、今日のティディアの予定は朝からびっしり、休憩といえば食事とわずかなティータイムだけ、キャンセルできるような仕事は一つもなく、今頃楽しんでいるであろうミリュウ姫との食事以外に『王女』の威を外せる時間も皆無と仕事で埋まっていた。
当然ニトロは即了解を返した。
そして今、久々に友達と遊んだ後の充足感を味わっている。
誘ってくれた友人にはハラキリにも声をかけてみてと頼まれ、残念ながらハラキリには断られてしまったのだが、思えば無理にでも彼を引っ張ってくれば良かったと思う。
「楽しかったよ。うん。本当に」
まとめ役は、人の多い王都中心地を避けて計画を立ててくれた。
メンバーは自分を含めて六人。男子・四に対し女子・二。内、カップル二組。
それを知った時にはシェルリントン・タワーのある摩天楼やミッドサファー・ストリートなど、デートコースで有名な場所に行くことも――そして最悪『騒ぎ』になることも――覚悟していたから、まとめ役の気遣いはありがたかった。
まずはスライレンド駅前のシネマ・コンプレックスで映画を観て、その後、王立公園近くにあるアウトレットモールで買い物をした。
「――あー、それはまあ大変だったかな。女子の買い物は、やっぱ長いや」
特に恋人にあれは似合うかこれはどうだと質問攻めに会う彼女持ちの二人は荷物持ちもさせられ、その時点でヘロヘロとなっていた。されど二組のうち片方の彼女は彼氏に荷は持たせても会計は自分で出していて、もう片方は荷も会計も彼氏に持たせているものだから、両者のヘロヘロ度合いには断然の差があった。
全額奢らせている方が平気な顔で「男に出させなよ」とレジに並ぶ一方の女子に言う横で、財布内残高が激減していく彼氏が浮かべていた引きつり笑顔はしばらく忘れられそうにない。
なんだか哀れになって、ドリンク奢っちゃったし。
途中で買い物に熱中するカップル組に付き合いきれなくなったから、独り身組の友人とそこから離れ、チェーンのティーハウスで色々話した。彼は進路を専門学校に定めていて、それだけでなくおぼろげながらも就職先のことまで考えていて驚かされた。ちゃくちゃくと将来へ歩みを進める同級生の姿はニトロにはとても眩しくて、また羨ましいものだった。
彼には逆に「お前も羨ましいよなあ」と恋人がいること含みで言われたが、それには苦笑いするしかなく。一応否定を返しておいたが「まだそんなこと言っているのか」と一笑にふされてしまった。
だが、これはもう仕方がない。
ティディアとの真の関係は面倒ごとが多過ぎる。それに、真実を知ることでバカの被害を受けることがないよう、これに関しての応答は彼らに対しても世間一般と同程度にしている。恋人関係は否定しているが核心には――それを明かせばハラキリに巨大な迷惑がかかることもあって――触れずにいるため、否定の言はどうしても『照れ隠し』以上にはならないのだ。
「ん、美味しかったよ。ちょっと悔しい気もするけどね、まああいつが作ってるわけじゃないし」
買い物をした後は王立公園の中で王家が経営するレストランに入った。
そこで遅めの昼食をとり、それから公園をしばらくぶらついた後、町に戻り日が沈むまでカラオケを楽しんだ。
「夕食も食べて帰ろうかって話になったけど、一人門限があってさ。予定通り現地解散」
ニトロはきめ細やかな泡が立つカプチーノを一口喉に通した。
受話口から、帰宅時間を問う芍薬の言葉が返ってくる。
「そうだなあ、夕食を食べていくから……どれくらいになるかな。ちょっと分からないけど、そんなに遅くはならないよ。うん――それじゃあ、何かあったら連絡してね。よろしく」
通話を切り、ニトロは携帯電話をジャケットの内ポケットにしまうと、手を頭上で組みうんと伸びをした。