三つ目の障害――それはニトロ。
彼の、馬鹿力。
時に
弱点は出現がランダムであることと、ニトロ自身がコントロールできていないこと。
だが、逆にそうであるがために対策を講じることができない。
例えば、彼を押し倒すことに成功することもあれば、押し倒そうとした瞬間に恐ろしい勢いでぶん投げられることもある。
例えば抱き締めた時、暴れて脱出されるだけの時もあれば、メガトンクラスはあるんじゃないかって力で地獄を味わわされちゃう時もある。
それじゃあ馬鹿力が出ると決め打ちで対策を用意していくと、馬鹿力を予想して襲いかかる手を止めた隙にニトロに逃げられてしまう。
普通に――
全力ダッシュで逃げられてしまう。
あれは切ない。あの瞬間はものすっご切ない。
もう一つ弱点だと言えることに、その力は彼がおよそ『ツッコミ』か『怒髪天を衝く憤激』に駆られた状況の中ばかりに出現しているという事実があるが……
じゃあたっぷり時間をかけてツッコませず怒らせず彼の心を
畜生こうなったら媚薬とか使ってやる。
しかし、ニトロがそれ系の知識を異常なほど身につけたせいで飲ませることも嗅がせることもできやしない。
かといって無防備に攻めれば馬鹿力発動→返り討ち。
……正直、手に詰まっていた。
つくづく失敗したなー、と思う。
あの『映画』のネタバラシ。そこで混乱していたニトロを勢い任せに押し切っておけば良かったと。
だがある日、ふと思った。
それなら、ニトロから馬鹿力を取り除けりゃこっちのもんじゃん――と。
一度、彼の馬鹿力についてはハラキリとじっくり話したことがある。その時互いの経験から導いた結論は『あれはよく分からない力』だったが、いやいやそれで終えてしまうのは自分らしくなかった。
ニトロの馬鹿力を徹底的に分析してみよう。
それで排除できるものなら排除してくれよう。
ハラキリも興味を持っていたから全面協力してくれた。彼にニトロを人間ドックに放り込んでもらい、全身くまなく調べてみた。
まず、ニトロの遺伝子に異常はなかった。
神経系、細胞、脳波、ホルモンバランスその他諸々全て正常な健康体。
遺伝的にも生粋のアデムメデス人で、ヴィタのような混血による潜在能力もない。
ではアデムメデス人に彼のような力を発揮する種族固有の能力があるか、どうか。
答えは、否。
イレギュラーとしてアデムメデスには過去、異常な筋力と奇怪な性質を持つ細胞を有した
念のため銀河中の『
しかし『ニトロの馬鹿力』研究を進める中で、彼の力に最も近しいと思われるものは他に存在した。
それは誰もが潜在的に発揮することが可能である力。
火事場の馬鹿力。
確かに自分も、ハラキリも、ニトロの力はそれじゃないかとは疑っていた。だが、『火事場の馬鹿力』がそう簡単に、それも高頻度で現れるものだろうか。生命の危機に直面する本物の火事場でもそのような力を発揮できるとは限らないのに。
そこで疑いの目を向けたのが『天使』だった。
『映画』を見返してみると、『天使』以前にもその片鱗を見せているニトロの馬鹿力が『天使』以降には驚異的な成長を
いや……もしかしたら、本当に別物なのかもしれない。『天使』以前ではまだ理解の範疇にあった力だが、以降では非常識極まりない力となっているのだから。『片鱗』そのものはニトロの力でも、今彼が発揮する馬鹿力は『何か』が加わり彼の力を増幅させたためのものなのかもしれない。
もしやあれは『天使』の後遺症なのではないか?
あるいはその
もしそうであれば、それを取り除けばニトロの馬鹿力の出現を抑えられるだろう。少なくとも威力は大幅に減るはずだ。
ハラキリに頼んで『天使』について新しい情報はないかと調べてもらった。するとニトロのデータを含めた最近の事例から、
元々『天使』の効果には――例えば医薬品の効き目に個人差が見られるように――使用者との相性が影響していることは判っていたが、中には相性が『良過ぎる』事例があるというのだ。
そしてその条件には肉体的、人格的、精神的など複雑な要因に加え、『天使』が気に入るかどうかというひどく不安定な要素が関係している。
ニトロほど驚天動地の『変身』は相性が良過ぎた賜物で、それは極稀なことであり、他にはわずか二例の報告があるのみだという。
他の二例の者達にニトロと同様の『馬鹿力』やそれに近い現象は欠片すら出現していないとのことだから、そうなると『天使』が原因とは言い難い。
しかしそれでも諦めきれず、ハラキリに『天使』を実際に使ってもらってデータをこちらでも取ってみた。軍からも治験者を出し、必要なデータを揃えた。
中にはニトロには遠いまでも驚きの変身をする者もいたが、大抵は面白変身第一形態で打ち止め。
では、使用後にニトロのような『馬鹿力』でなくてもいい、何か影響はあったか。
答えは、これも皆無。
至極安全人畜無害。
使用前使用後に変化は何もなく、抜群の効果を謳ったダイエット食品ならクレーム殺到の代物だった。
……結局のところ。
どうやらあの力はニトロの個性が輝く『火事場の馬鹿力っぽい力』であると、そう納得するしかないらしい。
『天使』の影響は――ニトロが時々『天使』と同じ絶叫をしていたから――皆無だとは思えないが……まあ、彼はあれを経験したことで、通常あのような力を抑制しているリミッターが少々緩んでしまったのだろう。
堂々巡りの果てに結論は少しばかりの発展をみせたが、実際は何も変わらなかった。
というか、むしろ絶望だった。
あれが『火事場の馬鹿力』に属するというなら排除は不可能だ。よほど強力な筋弛緩剤でもぶち込めば何とかなるかもしれないが、それでは命に関わってしまう。前後不覚になるほど脳をやっちゃえば出ないかもしれないが、それでは記憶も残らずそもそもニトロを自分に惚れさせるという最大の目的が果たせない。
「ちぇー」
ティディアは口を尖らせて、
「やっぱり、これまで通りいくしかなさそうねー」
研究データ、その最終報告を見終えたティディアは
「はい。それが最善のようです」
「しかも、唯一、か」
「はい」
ティディアはため息をついた。
「しょうがない。馬鹿力は我慢するか」
「はい」
テーブルを挟んで座る
ティディアはヴィタがカップを下ろすまでを眺め、それから目をアンプルに落とした。
『天使』。
『映画』ではニトロを窮地から救った、使用者に凄まじい能力を付与する
「…………」
ティディアはアンプルを掌の上で転がして、波打つ液体を恨めしそうに見つめていた。
そして――
見つめているうち、思った。
(あ、そうだ)
ニトロは『映画』でコレを使っている。自分もコレを使えば、共通の話題が得られるではないか。
何だかんだで接点の少ない彼と全く同じと言ってもいい経験と、話題が。
「ヴィタ」
それに気がついてじっとしていられるティディアではなかった。
「
「かしこまりました」
早速連絡をしようと手を動かしたヴィタをティディアは制した。
「ああ、いいわ。ミリュウには私から言っておくから。それより研究所にまた施設を借りるって連絡しておいて」
笑ってアンプルを示す主人の言葉に、執事はその意図を理解した。かしこまりましたと頭を垂れ、呼び出した
ティディアはヴィタに応じる所長の声を耳にしながら、それをもう聞いてはいなかった。彼女の心はすでにここになく、思いはこの夜きっと味わえるであろうニトロと同じ経験に馳せられて、その瞳は期待一杯にきらきらと輝いていた。