「じゃあ、ダレイに告られたら?」
クオリアはミーシャを見つめた。その大きな眼に、何故かミーシャはどきどきしてしまった。するとクオリアが掴み所のない笑顔となる。
「その時にならないと判らないわ」
「え……なんで?」
「だってこの人は私を好きかもって考えないんだから、好きって言われたらどうしようとも考えないもの」
「いやでもちょっとは考えるだろ?」
「その時、うんと応えるかもね」
ぱっとミーシャの瞳が輝く。さらにクオリアは言う。
「逆に私の方から勢いで好きって言うかもしれない」
いよいよミーシャの瞳が光を放つ。頬は赤らみ、期待に口元が緩む。
「だけど私は思わずハリーに告白するかもしれない」
「え!?」
思わず、ミーシャは大きな声を上げてしまった。一瞬周囲の視線が集まり、それに気づいてミーシャは慌てて居住まいを正す。そして彼女はクオリアをそっと窺った。クオリアは平然としていた。
「彼と話すのはとても楽しいわ。色んなことを知ってるし、ちょっと捻くれてるし」
「ちょっと?」
クオリアはふふと笑い、見つめる。ミーシャは懐疑的な眼差しを向け続けてきている。一方でそこには“もしかしたら”の動揺もあるようだ。クオリアは空中に筆を走らせるように指を振り、
「ひょっとしたらポルカロに告白することもあるかもね。彼に絵を誉められるとすごく嬉しいから」
と、そこでミーシャは煙に巻かれていたのだとやっと気づいた。じろりと睨みつける。クオリアは目尻をそばめながら薄い唇をかすかにすぼめ、そこに骨ばった人差し指をそっと添えた。そのジェスチャーに、彼女のその表情に、ミーシャは意表を突かれた。
どういう意味だろう? 内緒? それとも、この話はもうおしまい? どうしてそんな顔ができるんだろう?
「取ってくるね」
困惑するミーシャを残し、クオリアは皿を持ってビュッフェ台に向かってしまった。
それを見送ったミーシャは機械的にカフェオレを一口飲んで、ふと、食べかけのケーキに目を落とす。
……でも、内緒だとしたら、何故だろう? いや、誰に内緒にしろと言うのだろう?
ミーシャはやはりそれはダレイだと自然に思う。ハラキリとニトロは煙を描くための画材だ。そりゃちょっとはその可能性はあってもおかしくないけど、でも今の話の流れからしたら――それならやっぱりあんな顔をしたクオリアは……
「とってもニヤニヤしてる」
思わぬほど近くで声が聞こえて、はっと目を上げたミーシャは驚いた。すぐ間近にクオリアの大きな眼がある。ささやかな吐息もかかる距離。こちらを覗き込んでくる瞳には訴えかけるような、それとも問いかけてくるような圧があり、ミーシャはたじろぐ。するとクオリアは身を引いてフルーツゼリーを載せた皿を置き、椅子に座りながら、
「ね」
と、彼女の示した視線を追って、ミーシャはそちらを見た。
三つほど先のテーブルに、くりっとした印象の女性がいた。太っているわけではないが全体的に丸みを帯びた輪郭をしていて、丸い頬の上にはくりっとした目があり、そこに輝く青い瞳はとても綺麗で、その上で細い眉も朗らかに弧を描いている。肩に流れる髪は栗色。毛先をくりっと躍らせているのを見ると、どうやら彼女は自分の丸みをチャームポイントにしているらしい。実際、可愛らしい人だ。淡いピンクのブラウスには上品なフリル襟、ベージュのアンクルタイドパンツのシルエットも柔らかい。
ミーシャは声を潜めてクオリアへ訊ねた。
「で、あの人が?」
「見ていて」
気がつけば、その女性は他の客達からも注目されていた。
――何故、彼女がそんなにも人目を引いているのか。
それをすぐにミーシャは理解した。
彼女の皿にはケーキがたくさん載っている。食べ放題なのだからそれに不思議はない。が、テーブルにはそれとは別にプリンやゼリーを載せた皿もあり、さらに空になったジェラートのカップが幾重にも重なっている。そして彼女は今、全品中で最大サイズのシュークリームにかぶりついている。
まさか食べ切れるのかと誰もが疑う量であった。
しかし彼女はすいすいと食べ続けている。
そこに苦悶はない。ただひたすら幸せそうである。
周囲の様子からして、どうやら彼女のテーブルに並ぶスイーツは初めて運んできたものではないらしい。ジェラートの空きカップの量からしても、少なくとも3往復はしているだろう。ふと見ればウェイター達まで彼女に注目していて、どうやらこの店のオーナーであるらしい青年が顔を青くしている。ビュッフェ台の向こうにはコックコート姿の青年が現れていた。その若いパティシエは女性の食べっぷりに驚きながらも嬉しそうな顔をしていて、そのわりにどこか不安そうな様子である。――そのわけも、すぐに分かった。
シュークリームを食べ終えた女性は居並ぶ皿に取りかかる。
まずはケーキ、十個近くはあるだろう。皿に乗る限り盛られているのに整然としていて、一つも他と触れ合う物はない。そこに彼女のフォークが優雅に飛び込んでいく。フォークは軽やかにケーキを運ぶ。皿と彼女の口とを踊るように往復する。食べ方の綺麗な人だった。大食いなのにそれを感じさせず、見ているだけで快い。そしてミーシャは気づいた。その女性の顔は常に朗らかであるが、眉だけが三段階に変化していた。上中下の動きだ。大抵は真ん中で朗らかである。それが時折ひょいと額へ上がる。美味しいらしい。さらに時折、ひょいと瞼へ落ちる。それは失望であった。不味いわけではなさそうだが、つまらない、とその眉目は語っていた。そういう時、いつの間にか三人揃っていたパティシエ達の顔には戦慄が走る。その内の一人は熱心にメモを取っていた。
見る間にテーブル上のものを平らげた女性は音もなく立ち上がると、まずケーキを取りに向かった。台の前にいた客が思わず場所を開けてしまう。彼女は会釈すると素早くまたも十個ほどのケーキを皿に並べた。中には先ほど食べていたものもあった。どうやらお気に召したらしい。その一つがオレンジピールのレアチーズケーキだということを知って、ミーシャは嬉しくなってしまった。それを作ったパティシエは誇らしげである。ケーキの皿を片手に、彼女は三種のロールケーキを載せた皿をもう一つ、じっとミニパフェのコーナーを見るが手が足らないので一度テーブルに戻る。すぐに踵を返してひとまずフルーツとチョコレートのミニパフェをそれぞれ両手に取り、再度テーブルに戻ると微笑み、すいすいと食べ始める。彼女の隣の席に座る三人組の女性達が、思わず笑ってしまっていた。
「凄いな」
ミーシャも口元に笑みが浮かぶのを止められなかった。じっと女性を見つめていたクオリアはミーシャに振り返り、
「あの人は元を取れるわね」
そう言えばそんな話もしていた。ミーシャはまた笑い、
「もう取りすぎてるって」
店のオーナーはもはや諦め、ひたすら見守ることにことに決めたようだ。その顔はどこか清々しい。あの女性はまたもケーキの台へ行く。どうやらケーキは全品味見を決行するつもりらしい。時間が許せば他のジャンルも制覇したいはずだ。そして彼女があんまり軽々しく食べるものだから、それに影響されてミーシャは皿に残っていたケーキを食べるとすぐに立ち上がった。次は軽いものをと思っていたのに、チョコレートムースとモンブランと紅茶のロールケーキを皿に盛る。ついでにストロベリーのジェラートも持ってきた。
「食べ切れるの?」
ゼリーを小口に食べ進めているクオリアが心配げに言う。ミーシャは――内心ちょっとやばいかな? と思ったが――大きくうなずいた。あの女性はペースを落とすことなく食べ続けている。
「いける。駄目でも根性見せるよ」
「分かった。頑張って」
食べ放題の終了時間はもう遠くない。気合いを入れるように一息ついて、ミーシャはフォークを手に取った。そして難敵であろうロールケーキから片付けようと取りかかった時、ふいに店の入口が騒がしくなった。
聞こえてきたのは男の声で、ウェイターと何かもめているらしい。そちらに注目が集まる。オーナーが歩み寄るが、その男は店内を見渡すと、
「あれが連れだ」
と指差した。
ロールケーキを頬張っていたミーシャが目を見張る。クオリアは眉をひそめた。男が指差したのは、他の誰でもない、自分達であった。