「!」
ニトロは目を見開いた。
やはり幻ではなかった。ここは異世界などではなく、アデムメデスであり、これは現実である。
「さむい……さむい……」
ニトロの耳をそんな囁きがくすぐる。彼は言った。
「何してんの?」
冷蔵庫には女が二人、詰まっていた。
食材を取り出し仕切りも全て取り外し、そこにパズルのピースを合わせるようにおかしな格好でぎゅうぎゅうに詰まっていた。
しかも二人して半裸である。
ビキニを着て、腰ミノを巻いただけという状態。
そりゃ寒いだろう!
「ややゃやーん、ニニトロ、つ冷たいィイイかたッ」
声を震わせてアデムメデスの王女様はそう言った。
しかしニトロの双眸は言葉よりも冷たい。彼の眼差しにティディアがぶるりと大きく震える。
「いつからいたんだよ」
「ククククラッカーかからららら?」
あの音を聞いてからということは、それなりに時間が経っている。ニトロはため息をついた。
「そんなんなってんなら何でもっと早く出てこねえんだ」
「だだってえ」
「だってじゃなくて」
「だだだんどりはオッケー。ででももっちちょっとスッケジュふぅルが」
ああ、と、ニトロは理解した。あのクラッカーの後始末で時間を食ったことで、こいつの計算が狂ったのだ。本来は何事もなくパーティーが始まって、そうして冷たい前菜が出される頃合に息子を手伝わせるよう父に言っていたのではないだろうか。そうであればここまで冷え切る前にドッキリ大成功であったろう。――いや? もしかしたらこいつは両親が隠し事をしているとすぐに気づかれて、前菜どころかパーティーが始まる前に居場所がバレるだろうと当て込んでいたのかもしれない。とすればこいつにとっては父と母が(おそらくクラッカーの衝撃で)一時この『ネタ』を忘れてしまったのは致命的であったはず。それなのに、
「どうしてそこまでネタを遂行しきろうとするのかね」
「そぉれが私ッ」
「正直言って頭がおかしい」
「いえー」
「なんで死ななかったんだ?」
「ひっどーい言い方ッ。ヴィタがぬヌクかったのーぉ」
確かに、最初に冷蔵庫を開けた時、ニトロが見たものは冷蔵された王女がモフモフ毛並みの獣人に包まれている姿だった。次に開けた時は王女と女執事が絡まっていた。思えばヴィタはわりと平然としている。流石に寒そうではあるものの、目が合うと彼女はにっこりと笑った。どうやら肌を接する王女がわりと震えているのが面白いらしい。バカ姫の執事の素質としては、きっとこれ以上のものは他にあるまい。
「ところで、早く出て来いよ。本当に手遅れになるぞ?」
「ひひっぱってー」
「……つまり、自力では出られない?」
「詰まってしまいました」
と言ったヴィタの舌は滑らかで、やはり大してダメージを受けていないらしい。ニトロは彼女を呆れて見つめ、
「むしろよく詰まることができたもんだと思うよ?」
「ついでに冷えて固まってしまいました」
「ついでどころか必然だよね」
ヴィタはともかく、本当に冷えて動けないティディアはぎこちなく舌を出す。唇がやばい色をしている。
ニトロはため息をついた。
「バカが」
リビングに振り返ると、今度は両親が怪訝な顔をしていた。計画では息子がビックリ仰天、冷蔵庫から飛び出してきた美女達が主賓を祝福する――とでも聞いていたのだろう。その息子が冷やかに立ち位置をずらすと、やっと視認できた冷蔵庫の中身に両親こそビックリ仰天した。悲鳴とも困惑ともつかない声が二人の喉の中で炸裂する。その後ろでハラキリは愉快そうにグラスを傾けている。
「主賓に頼むのも悪いけどさ」
ニトロが言うと、ハラキリはうなずいた。
「ええ、手伝いましょう」
ニルグとリセが慌てて立ち上がるのを制して、ハラキリがやってくる。
ハラキリがヴィタを支えている間、ニトロはティディアをどうにかこうにか引っ張り出した。無理な体勢で冷却された体はとにかく硬く、動きも鈍く、それだけに重く感じる。関節を外すことも骨を折ることもなく救出できたのは幸いであったろう。冷蔵庫で遭難していたお姫様は、救助人に抱きつき言った。
「あー、ニトロもぬぬっくいー」
その瞬間、ニトロはこのクレイジー・プリンセスの真の狙いを悟った。
思わず彼女を湯の沸く鍋に向けて放り投げそうになる。
だが彼はそれを必死に堪えた。
そんなことをすれば隣にあるスープが駄目になってしまう。それに今日はハラキリの誕生日会だ。彼はヴィタが冷蔵庫から出てくるのを助けながら、こちらににやにやと目を向けている。形はどうあれ親友は楽しんでいる。であれば、であれば……!
「おい、離れろバカ」
せめて彼は毒づいた。
「やー、冷ぃえ切っちったのあたたためてぇ」
やっぱり熱湯で解凍してやった方がいいかもしれない。
見ればマルチクリーナーがロボットアームを鍋に向けて伸ばしている。それに気づいたティディアが身を震わせる。しかし自分からは決して離れようとはしない。
「……父さん、母さん」
ティディアに抱きつかれたままニトロはそちらへ振り返った。
すると両親は凍えた『恋人』を優しく抱きとめている息子を微笑ましく見つめていた。
「……」
何だかもう、ニトロは力が抜けてしまった。
ため息をつき、嘆息を吐き出し、両親に言うべき小言を飲み込んで、こちらの首に腕を巻きつけて離れない変態を引きずりリビングに戻っていく。
「つうか、今日は仕事だったはずだろ?」
「どうにか時間を捻出しました」
応えたのはヴィタである。彼女はすたすたと普通に歩いている。
何かに気づいたらしい父と母がリビングから出て行った。
「他の中身はどうしたんだよ」
「冷蔵庫ごとお父上のお部屋に移してあります」
やはり応えたのはヴィタである。ニトロは訝しげに彼女を見、それからキッチンを一瞥し、
「え? だってあれ」
「あの冷蔵庫はティディア様のご購入されたものです。ですので清掃のことなどお気になされませんよう」
「むしろ清掃したら値段が下がっちゃうわー」
ニトロはティディアのむき出しの背中に思いっ切り手を打ちつけた。
「ひぎゃあーお!!」
冷えたところにこれは効く。派手な音と共にティディアが悲鳴を上げる。が、それでも彼女はニトロから離れない。真っ白な肌に手の跡が赤く綺麗に浮かび上がってくるのをうっとりと眺めているヴィタに、呆れ半分ニトロは言う。
「こんなことに無駄金使うのはどうかと思うよ?」
「それ以上に回収できますし、何より良い余興かと」
彼女のマリンブルーの瞳はハラキリを示している。彼は愉快そうな面持ちである。
「余興と言うなら、その格好は何です?」
そして彼の発した問いに、スレンダーな肢体を大胆に披露するヴィタは言う。
「グーリー諸島の伝統的な衣装です」
その言葉にハラキリは色々察したようだった。どこか皮肉気に笑み、ニトロにくっついたままの姫君を見る。背中に真っ赤な手形をつけたティディアは少しだけ彼に振り返り、目元をそばめた。
「なるほど、それはどうもお気遣いをいただきまして」
とハラキリが言った時、ニルグとリセが戻ってきた。二人とも椅子を運んできていて、ニルグの方にはリセのストールが重ね置かれている。そのストールは確かバーゲンで手に入れた掘り出し物と母が喜んでいたものだ。王女と女執事は笑顔で受け取り、それを羽織る。
椅子はテーブルの側面に、それぞれ左右に分けて置かれた。ハラキリとニルグの横にヴィタが座る。ティディアはニトロとリセの横に椅子を用意されたが……
「おい、いい加減離れろよ」
「照れなくてもいいのにぃ」
どういう代謝をしているのか、もうぽかぽかと体が温まっているティディアがニトロに頬擦りをする。彼の背筋に怖気が走った。鳥肌が立つ。それに気づいた彼女が言う。
「ちょっと! これは流石に失礼じゃない?」
「もう一発食らわせてやろうかッ」
「いいわよー、今とっても背中が温かいもの」
そのやり取りで、リセがティディアの背中の手形に気がついた。非難の目を息子に向ける。息子はちょっと泣きたくなる。だが彼は頑張った。
「折角の料理が悪くなるだろ?」
ティディアはちらりとテーブルを見た。ピンチョスの大皿には、明らかに自分達の分もある。ニトロの父には必要ないと言っておいたのだが……いや、だからといって用意しないような人ではないか。
「そうね」
ニトロから離れ、ティディアはうなずいた。
「少し頂いていきましょう」
誰よりも顔を輝かせたのはヴィタである。そしてティディアはニルグの席にあるボトルに目をやった。
「お時間をとらせてしまったわね、お父様、
柔らかい口調でティディアが言うと、ニルグは穏やかにうなずき、
「飲むかい?」
「少しだけ」
「おい、この後も仕事なんじゃないのか?」
「
挑発するような言い方にやりこめられて、ニトロは唇を引き結ぶ。笑い声が聞こえてそちらを見れば、早くもティディアを実娘のように思っているリセがキッチンからグラスを二つ持ってきていた。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
と、ニルグがそう言ったのはハラキリに向けてであった。ハラキリがうなずいて、待ちくたびれていた