「そうなんだ! もうコンセプトに気がついたんだね?」
 父が嬉しそうに語り出す。それをここで止めねばテンションもさらに上がってしまうだろう。ていうか父に熱弁させては自分が恥ずかしい。
「父さんそれより前菜をッ」
「――ああ、そうだね。先に料理を出さないと」
 そう言ってニルグはスプレー缶のような器具の蓋を取った。そこにはノズルが三つあり、彼は持ってきた皿の一つに一番右のノズルを近づけた。
 ジュ、という音がして、皿の上に拳大の綿が生まれた。
 次にニルグは真ん中のノズルにチューブのようなアタッチメントをつけ、それを綿に突き刺す。プシュル、プシュル、という鋭い音が繰り返されると綿の中にカラフルなほしが散った。
 最後に一番左のノズルを綿の上で解放する。すると目に見えるか否かというほどに細い金糸が綿を飾った。
「チーズと野菜のカクトンこく風です」
 調理そのものが一つの芸のようであった。作り上げられた前菜を差し出されたハラキリは軽く頭を下げ、思わず笑う。カクトン星といえばあの『映画』の中で自分がニトロへ振舞った非常食の出所でどころだ。
 ハラキリは三人の分も作られるのを待とうとしたが、ポルカト家の眼差しはご賞味あれと勧めている。そこで彼は前菜用に置かれていたスプーンを手にした。
「いただきます」
 金糸を纏うカラフルなほしを包んだ綿の一部をすくい取り、口にする。ひんやりとした綿は確かにチーズであった。それなのに口に入れた途端、綿飴のように溶けた。そして星はこのチーズに合う野菜のエキスが凝縮したもので、舌や上顎に触れただけでぷちぷちッと弾けて、チーズの風味との相乗効果で旨みを増す。時間差を置いて溶けた金糸は舌に残る後味をさっぱりとしてくれた。
「これもまた美味しい」
 ハラキリの言葉に心底嬉しそうにニルグが目を細める。そして彼はポルカト家の分を作るとキッチンに戻り、調理器具と交換に新しいボトルを手に戻ってきた。それから、
「――あ。そうだ、ニトロ」
「芍薬ができるよ」
 父の意図を察してニトロが言うと、キッチンにロボットアームが伸び上がった。
「メルトンからもう全部聞いてると思うから、何でも指図してやってよ」
「うん、分かったよ」
 次の料理も全て最後の一手間を加えるだけで完成するようになっていた。皆が冷たい前菜を味わう間に多目的掃除機マルチクリーナーが忙しなくアームを動かし、バゲットをスライスし、保温容器から食材を取り出し、漬け込まれていた食材を器から取り出し、洗い置かれていた野菜をカットし、やがて頃合を見計らうと大皿を頭に抱えるようにしてキッチンから出てくる。
「オ待タセシマシタ」
 と言ったのはメルトンだった。ニルグとリセが安心したように微笑む。が、ニトロはメルトンの声に硬さがあることに気づいていた。間違いなく芍薬の厳しい監督を受けているのだろう。そして芍薬は、本当なら自分がそう言いたかったところを、両親に気を利かせて引いてくれたのだ。その気遣いがニトロには嬉しい。それを察したのだろうハラキリが、ニトロに愉快気な目を向ける。
 テーブルに置かれた大皿には様々なピンチョスが並べられていた。全部で8種。一口サイズのそれらは会話を楽しみながら食べるに最適で、彩りも工夫されて見た目にも楽しい。ハラキリはこの豪勢な大皿を、期待を込めて眺めていた。先ほどの前菜も美味であったし、ニトロの父の料理にはご相伴に預かる度に舌鼓を打たせてもらっているのでそれぞれがどんな味のするのか実に楽しみである。
 その一方、ニトロは眉をひそめていた。
 ピンチョスの量が、明らかに多過ぎる。8種のピンチョスがそれぞれ十個もあった。一つ一つがいくら一口サイズだとしても、これではここで満腹になってしまうではないか。それに今朝自分が仕込みの手伝いに来た時はこれほどの種類はなく、4種を五個ずつ、そうだったはずだ。それが何故こんなことになっているのだろう? 急に物足りなくなって追加したらうっかり作りすぎた?……あり得ない話ではないが――
「あ」
 と、父がつぶやいた。
 ニトロは父を見た。
 父はピンチョスの大皿を見て何かを思い出したようだ。隣で母も同じことを思い出したのか、「あ」と口を開けている。そして二人は急にそわそわし始めた。ハラキリも訝しげに二人を見ている。そこで、ニトロは聞いた。
「どうしたの?」
「ええっとねえ……」
 父がまごつく。妻と目配せし、互いに何か相談したいことがあるのに相談できないもどかしさに悶えるような素振りを見せ、そして二人同時に息子を見る。息子はピンと来た。だが彼は父の言葉を待つ。父はようやく言った。
「そうだ! 冷蔵庫にこれのソースがあるから持って来てくれないかな」
 一見してピンチョスに追加のソースが必要そうなものはない。
「……」
 ニトロは父を見つめた。父は目をそらす。
 ニトロは母も見つめた。母も目をそらした。
 隣で息の鳴る音が聞こえる。横目に見ると、腕を組んだハラキリが目を細めていた。彼はニトロと目が合うと、言った。
「持ってきてくれませんか。是非味わってみたい」
 思わぬ援軍に父と母が顔を輝かせる。
「……そうだな」
 ニトロは立ち上がった。
 この『ドッキリの仕掛け人』の素質ゼロの両親に隠し事を頼むとは、あのバカは一体何を考えているのだろう?――心の中で悪態をつきながら、ニトロはキッチンに向かう。するとそこに控えていたマルチクリーナーが車輪を細かく動かし前後に揺れていた。どうやら芍薬も事態を理解したようだが、対処のしようがなくて地団太を踏んでいるらしい。
「ああ、そうだ、こうなったらメルトンに聞かなくてもいいよ。手遅れみたいだから」
 小さく言うと、マルチクリーナーのロボットアームが急に万歳をした。それはどうやらメルトンの操作によるものらしい。もしかしたら芍薬に拷問されかかっていたのかもしれない。マルチクリーナーが踊るように回転し、また急に止まる。――おそらく調子に乗って芍薬にひどい暴言でも吐いたのだろう。その報いは仕方あるまい。
 ニトロは嘆息し、キッチンに踏み込む前にぐるりと全体を見回した。
 それからテーブルに目をやると、父母はこの後の展開に大きな期待を寄せているようだ。その頬は胸の高鳴りを伝えてくる。一方でハラキリは慣れた様子でこちらを窺っている。
 ニトロはキッチンに向き直った。両親の様子からして間違いなくここにあのバカは潜んでいるのだろう。では、どこだろうか? キッチンには収納が多くある。足下にも、頭上にも。最も可能性があるのは床下収納だろうか? うちの床下収納は広い。人一人が隠れるには余裕である。
 キッチンに入ったニトロは、そこでまず床下収納の蓋をぐっと踏みつけた。
 ……下から抗議は、ない。
 今一度ぐるりとキッチン全体を眺める。塩をまぶして数日寝かせた豚肉の塊が容器の中で常温に戻されている。4口あるクッキングヒーターの一つでは鍋に湯が沸かされつつあり、もう一つの鍋にはスープが保温されていた。次のパスタはスープ仕立てなのだ。そのパスタは自分が生地を打ち、父が作った魚介の餡を母が包み込んだもの。……異常はない。
 十数秒が経っても何も起こらない。
 仕方がない、ひとまずそのソースとやらを探してみようとニトロは冷蔵庫を開いた。すぐに閉めた。そして彼は冷蔵庫に体当たりするように背中をぶつけた。
「?」
 一瞬、ニトロは異世界に迷い込んだ気がして周囲を見回した。
 父と母が固唾を呑んでこちらを見守っている。ハラキリがいつものようにこちらを見ている。マルチクリーナーは、動かない。
 ニトロは肩越しに冷蔵庫の扉を見つめた。
 そりゃ実家うちの冷蔵庫は大きい。確かに一般家庭にしちゃ大きいけれども……!
 目を閉じて、一瞬だけ認めたその光景を瞼に再生させる。
 彼は目を開けた。
 勢い、冷蔵庫も開けた。

→大吉-04へ
←大吉-02へ
メニューへ