「調べたのか?」
 どこか鋭い舌鋒にハラキリは飄々と応える。
「状況から適当に言ってみました」
「……それならむしろ恐ろしいな、お前は」
「それじゃあ?」
 クオリアがダレイを覗き込むと、彼は深く息をついた。
「全てが正解じゃあない。大外れのところもある。だが大体そういうことだ。――『当たり前』に思われるというのはきっと辛い、が、それでクレイグを責めることはできない。かといってミーシャを責めるのもな」
 ダレイの低い声は部屋に浸透し、その響きを消してもなお響き続けた。
 クオリアは温くなったグリーンティーを静かに口にし、窓の外の光を見る。
 ニトロは小さく息を吐き、ハラキリを見た。
 不恰好な行き違い――それはきっと外れていない。いや、それこそ核心だろう。その重みをこそ軽くするように口軽く推理を披露していた親友は、今やまたも我ここにあらずとばかりにぼんやりし始めている。
「その絵だけどさ」
 話題を変えようとして、ニトロはスケッチブックを目で示した。
「うん、何ッ?」
 こちらも話題を変えたかった――この話を切り出したのが自分であるがためになおさら変えたかったらしいクオリアが思わぬ勢いで振り返る。それにニトロが面食らい、面食らったニトロを見てまた面食らったクオリアが肩を震わせた、とその時、美術室の扉がいきなりガラリと開かれた。二人が揃ってそちらに目をやると、そこには数人の生徒を背景にしてフルニエが立っていた。
「おお、なんだよ」
 ニトロとクオリアの反応が急だったから驚いてしまったらしい、しかしすぐさま俺は別に驚いたわけじゃないと態度を取り繕って美術室に入ってきたフルニエは、背後の『ニトロ・ポルカト』目当ての野次馬を攻撃するようにドアをビシャリと閉めた。
「クレイグは?」
「ファミレスに行った。キャシーの友達に誘われたんだと」
 ニトロが応えると、フルニエは薄く色の入った伊達メガネの下で眉間を曇らせ、
「んだよ……。ミーシャは?」
昼連ひるれん
「精が出るな」
「大事な大会の前だからな。いつもの食堂はどうだった?」
お陰様で今日も大盛況だ」
お役に立てて何よりだよ」
 フルニエの皮肉に軽口を返してニトロは笑った。フルニエはふんと鼻を鳴らして皆の座るテーブルの横、ある意味上座となる位置にどっかと席を取ると、購買部で買って来たらしいサンドイッチを急いで食べ始めた。
「飲むか?」
 ニトロがティーポットを示す。
「何だ?」
「ハラキリ・ジジお勧めのグリーンティー。クオリアのリクエスト」
「あー、まあ、いいや。こいつには合わなそうだ」
 と、ハムカツサンドを示す。むしろ合いそうな気もするが、ニトロは強いて勧めることはしなかった。
 食事を終えたクオリアは、会話が途切れたとはいえ、ニトロが口にしたことで再び絵に意識を向け始めたらしい。立ち上がると画架に向かい、短くなった鉛筆を手にして――ふと首を傾げる。どうやら何か気に食わないところがあるようだ。
「セケル。ゼルツパかずらの資料、それと……ギルフィオとメセン、ディポナイサのを」
 クオリアが言うやスケッチブックの右にゼルツパ蔓の立体映像、左に図鑑の植物画が投射された。続いて画架の上に、いずれも同じ蔓植物つるしょくぶつの描かれた古典的・写実的・近代的な絵画が並べられる。最後にクオリアの右腕に猛禽の形をした光が止まり、小さく会釈をすると、それは飛び立つようにして姿を消した。
「んだよ、カルテジアも『オリジナル』か」
 ぼそりとフルニエが呟いた。
 ぐるりとクオリアが首を回した。
 彼女の大きな目が、再び好奇心に輝いていた。
 フルニエがぎょっとして身を引いたところに彼女が問う。
「もしかするとフルニエ君はオリジナルA.I.が嫌いなの?」
 思ったことがそのまま流れ出した、といった勢いで放たれた質問にフルニエが身を固める。クオリアはそれを見て、今度はこちらがぎょっとした。
 ニトロは思う。おそらく、クオリアは最近になって友人が増えたことが内心とても嬉しいのだ。コミュニケーションにおいて何か強い不安を抱えているようでも、特にミーシャとの交流を契機にして、その不安を抱えながらもなお友達と積極的に関わろうという節がある。そこから先ほどのミーシャとクレイグの関係性への質問も生まれたのだろうし、今もふと漏れたフルニエの態度に考えなく知的欲求をぶつけてしまったのだろう。
 そして、このクオリアにとっての失態は、ニトロにとっては非常に好都合だった。
 過日かじつの芍薬との会話を思い出した彼は、話題が潰れる前に口を開いた。
「別にフルニエは純粋人間社会主義者ヒューマニソシアルピューリストってわけじゃないよ」
「おいニトロ、あんなのと一緒にするな。俺は『オリジナル』が信用ならねぇだけだ」
「何故? とっても仲良しになれるのに」
 クオリアが心外なとばかりに言う。フルニエも言う。
「そりゃお前らが奴らの本性を知らねぇからさ」
「それじゃあフルニエ君はどう知ってるって言うの?」
「それは……」
 と、そこでフルニエが珍しく押し黙った。本来なら負けん気を前面に押し出して持論を捲くし立ててくるのに。
 その様子に、ニトロはさらに重ねようとしていた問いを慌てて飲み込んだ。もう一つ思い出したのである。芍薬は『聞カレタクナイコトナンジャナイカ』とも言っていた。――確かに、その通りだ。どうやらクオリアも同じことを感じ取ったらしい、次の句が見つからず、話頭を転じる言葉も見つからずにまごついている。そこに
「知られたくないなら話さなくていいんじゃないですかね」
 ハラキリが、刺し込んだ。
 恐れも怯みもない彼のその言葉にはフルニエは黙っていなかった。
「別にそんなんじゃねえよ」
 喧嘩腰でフルニエが身を乗り出す。ハラキリはティーポットを取り、ゴミ袋に茶葉を捨て、茶筒を開けて新たな葉を入れる。その態度にフルニエは苛立ちを見せる。
「それなら良かった」
 電気ケトルの湯をティーポットに注ぎながら、ハラキリは言う。
「芍薬やらビビック君やら『オリジナル』の話が出ると君は渋い顔をしますからね、気になっていたんですよ」
 ハラキリはティーポットの蓋を閉めた。
 フルニエは相手の科白せりふに少し驚いたようであった。やがて、その口元が奇妙に緩んだ。
 ハラキリはクオリアに顔を向け、
「お代わりは?」
「……頂くわ。『ビビック』って?」
「クレイグ君のA.I.です。まだ面識は」
「なかった」
「なかなかユニークですのでお楽しみに。フルニエ君も飲みますか?」
 先ほど彼が断ったことなどまるで知らぬようにハラキリは聞く。
「……ああ、もらう」
 ハラキリはうなずくとクオリアが空けたカップを引き寄せ、次いで黙って差し出されたダレイのカップを、それから新しく取り出した使い捨てカップを並べ、その三つにかぐわしく緑立つティーを注いでいった。一度に一杯を注ぐのではなく、少しずつ、順に、同じ濃さになるように。
 不思議な時間だった。
 茶の注がれる音が、妙に大きく聞こえた。
「あまり時間もありませんし、これくらいでいいですかね」
 カップの半ばまで注いだところでハラキリは三人にカップを渡す。そしてまた湯をティーポットに注ぎ、二番煎じを自分とニトロのカップに注いだ。
 ――ニトロは、もしや親友はこちらの意図を見抜いてこの流れを作ったのではないかと疑っていた。芍薬がフルニエの態度を気にしていたことを彼に話したことはないが、先ほど自分がフルニエの胸中を探ろうとしたことから聡くそれを察し、そうして気を利かせてくれたのでは?……ニトロは香気の揺れるカップを受け取った。普段と変わらぬハラキリからはその心情を察することはできない。
 クオリアとダレイが一口茶を含み、フルニエを見る。
 フルニエはきょうされた茶を見つめ、それを一口飲み、頬を緩めると、ふいに切り出した。
「俺の母親が親父を捨てたことは知ってるだろ?」
 ニトロ達は――彼がどこか自慢しているような調子で語ったことがあるので――知っていたが、クオリアは初耳である。目を丸くした彼女は周囲を見渡してニトロ達の態度を確かめると、身を縮めてフルニエを見つめた。彼は彼女の様子に満足気に続ける。
「まあ、前にも言った通り母親は上手くやったよ。今も社交界に出入りできてるようだし? そのうちお貴族様のご夫人にでもなってくれるかもしれねえ。それもこれもオリジナルA.I.様のお陰でな」
「どういうことだ?」
 ニトロの促しにフルニエはくいと伊達メガネを直す。薄く入った青が電灯に照らされる。そして彼は、やはりどこか自慢げに語り出した。
「離婚をしたがったのは、母親の方だ。だが原因は親父のせいになった。そうなったのは母親の命令を受けたオリジナルA.I.が俺達に秘密で有利な証拠を集め続けていたからだ。それも裁判にも使える条件を備えた上でな。親父のせいになったってのも、今になって思えば母親が上手くやったんだよ。間抜けな親父はそれに上手くはまりやがって、馬鹿な女と馬鹿な夜を過ごしやがって、そこからは母親のヒステリーの独壇場さ。大喧嘩の毎日だ。それもまたオリジナルA.I.が有利に働かせたよ。俺の乳母ナニーでもあったのによ、俺達のオリジナルA.I.でもあったのによ、その俺も捨てようって母親の味方になってマジでとことん尽くしやがった。まあなんつっても驚いたのはその『死に際』だぜ。出て行った母親マスターに自分もゴミのように捨てられたってのによ、情けない親父の八つ当たりでデリートされるってのに、笑ってやがったんだ。奴は、満足そうに、間抜けにも泣いちまった俺を見ているくせに、その口元からは気味の悪い薄ら笑いを消しやがらねえんだ。なあ、ニトロ、お前は芍薬って『オリジナルA.I.』を心底信頼してるみたいだけどな、気をつけろ。奴らはとことんエゴイストだ。奴らも自分が良けりゃ何でもいいのさ。糞の世話もした赤ん坊だった相手が泣いていても後悔もせずに笑い続けられる残酷な奴らなんだ。だから、いつか裏切られて、絶対に痛い目を見る。いや、その芍薬が憎くて言ってるんじゃねえぞ? カルテジアのもな、ハラキリもクレイグのだってそうさ。ただ心配して言ってるんだぜ、俺は、お前も、お前達も、まあ、知らねぇ仲じゃないからさ」


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