「ニトロ君! 連絡先ナンバーを教えて!」
「え?――いや、知ってるんじゃないの?」
「知ってるけど! 教えて!」
 ということは、正式に情報を交換したいということか。
 妙な律儀さを見せる王子にニトロは苦笑し、芍薬に目をやった。その動きを追うようにしてパトネトが芍薬を見る。芍薬の目の奥に一瞬、光が走った。パトネトは掌を見て――その掌中に端末の画面が投射されているのがちらりと見える――パッと顔を輝かせた。
「ありがとう! じゃあ、これ、僕の!」
 パトネトが芍薬に指を差し向ける。芍薬がうなずくと、パトネトは至極満足そうにニッと笑い、それから一目散に玄関に向かった。
「芍薬、許可を」
「承諾」
 ニトロがパトネトを追って玄関にやってくると、彼は早くもあの箱の中で体育座りをしていた。側板にパネルが見える。そこにパトネトが手を触れると幾つものメニューが表示された。たまたま『空調』のアイコンがニトロの目についた。
「お邪魔しました。ニトロ君、芍薬、また今度ね」
 そう言ってパネルを操作しようとするパトネトをニトロが慌てて止める。
「ちょっと待った、パティ」
 語気の強いわけではない。ただ意志の強さを含んだ声音にパトネトの手が止まる。
「何?」
「今度ってことは、またうちに来るつもりなのかな」
「うん。……だめ?」
 ニトロは小さく息をつき、
「解ってると思うけど、君は王子だ」
「……うん。でも、大丈夫だもん」
「そうは言っても、お城の人達も心配するだろう?」
「そんなことないよ。誰とも会わないもん。ティディアお姉ちゃんとミリュウお姉ちゃん、お父さんとお母さん、それとセイラ。それ以外はいらない。フレアとお城のA.I.達だけでいい。だからお城の誰も心配しない」
 パトネトを見つめ、ニトロはどうしたものかと迷った。そこに嘘や誤魔化しは微塵もない。彼は本気でそう考えている。しかもさっきはティディアの関わりばかり気にして思い至らなかったが、ということは、『勝手に一人で』ここに来た彼のその口振りからしても、ただいま王城からは王子様が忽然と消えてしまっています――という事態ではないか。大事おおごとである。常識的には彼を窘めるべきだろう。が、その常識が通じないのが現在の王家だ。特にバカ姫だ。そういえばあのクレイジー・プリンセスはこの手の前例も作りまくっている、となれば『王子』を窘めようにも理屈は立たず、揃っているのはこちらが論駁ろんばくされる材料ばかり。……ああ、チクショウ! こんなところでもあのバカは!
「分かった」
 ニトロは、うなずいた。
 パトネトの頬が赤らむ。
 そこにニトロは言った。
「ただし、お父様とお母様に許可をもらうこと」
 はっきりとした口調で、彼は続ける。
「ティディア、ではないよ。パティが自分一人でお父様とお母様にちゃんとお話しして、それでお二方からお許しが出たのなら、うちに来てもいい。だけどもちろん来る時には決められた人に外出を知らせなくちゃいけないよ。誰とも会わないとしても、もしパティがいないと知ったら皆とても心配するし、お父様もお母様もきっとそうだ。それなのにそれができないというのなら、それくらいのこともできない子を迎えることは俺にはできないから……いいね?」
 言いながらもニトロはきっと“お許し”は出てしまうのだろうと思っていた。しかし、これはケジメである。彼の断固とした意志を見て取ったパトネトは、うなずいた。
「うん。ちゃんとお話ししてくる」
「よし、それじゃあ約束だ」
 ニトロの目には信用がある。その眼差しに、パトネトは頬を明らめる。
「うん、約束する!」
 と、そこでニトロは一つ思い至り、
「ああ、それで、もしお許しが出た場合、両陛下が俺に何かしようとなさるかもしれないけれど。それは無しでいこう」
「“実質的な公式”にしないように?」
「それもあるけどね」
 言いにくいことではあるが、ニトロは言った。
「その時は、ティディアも絡まなくちゃいけなくなる」
 パトネトは、うなずいた。
 彼はそれだけの言葉で全てを察してくれた。
 ニトロはそれに助かる気持ちを得ると同時に、要所要所で大人びたところを見せるパティへの、その鋭敏な心への複雑な思いも感じていた。
「それと――」
 これからこの『パトネト・フォン・アデムメデス・ロディアーナ』にどのように接していくべきかは今後の課題として、ニトロは付け加えた。
「次に来る時は、先に連絡をくれるかな?」
「うん! だってもう連絡先、交換したもん」
「うん。でも、できれば前日までにね。無理な時は無理だけど……ああ、直前でも大丈夫な時もあるだろうから、その時はその時で連絡してくれるのはもちろん構わないよ」
「うん、分かった」
「それじゃ、それも約束だ」
「うん、約束!」
 ニトロはもう一つ、その箱を使うのも禁止したかった。確かに人目を盗んで彼がやって来るには便利なものだが、感覚的にどうも嫌でならないし、『パトネト』自身にも良いことだとはどうしても思えない。とはいえこの思いは自分の独善に過ぎないかもしれないから、彼の意見も聞いて、必要なら話し合ってみなければなるまい。これもまた今後の課題である。
 インターホンが鳴った。
 ニトロは肩越しに振り返る。
 芍薬がうなずいた。
 ニトロが向き直ると、パトネトの箱が動き始めていた。スロープとなっていた前面が立ち上がっていく。それが側板と接すると、天板が閉じ始める。
「バイバイ、ニトロ君、芍薬も。今日はありがとうございました」
 箱の中の王子様が笑顔で手を振ってくる。
 ニトロも手を振り返し、芍薬もマスターの後ろから別れの笑みを送った。
 天板が音もなく閉じる。
 すると驚いたことに、箱はどう見ても一つの岩から削り出したキューブとなった。継ぎ目も何も見当たらない。つい今しがたまで間違いなく開いていたのに、そんなことは幻だったとばかりに、よもやその内に血の通う人間がいるとは到底思えない圧倒的な無機質。これと比べれば死者を運ぶ棺の方がずっと温かみがあるだろう。
 芍薬が遠隔操作で玄関のドアを開錠する。
 気がつけば次第に夜が濃くなり始めていた。それを背にしてあの配達員アンドロイドが入ってくる。ドアが開いた時にはやはり熱気が肌に触れ、耳には遠鳴りが触れてきた。だが、箱の中はきっと静かで、平和だ。存外、居心地も良いのかもしれない。
 台車のストッパーを外すアンドロイドを見つめていたニトロは、去り際にマニュアル仕立ての堅苦しい辞儀をする相手へ声をかけた。
「フレアだね」
 ドアを開けようとしていたアンドロイドが手を止める。振り返ったその機械人形の顔には、配達員であった時の無表情とはまた違う無表情が浮かんでいた。
「今度来る時は、君も正体を隠してこなくていいよ。――いや、別に隠してたってわけじゃないのかな」
 アンドロイド・フレアは何も言わない。うなずきもしない。ただそこにはニトロの言葉を聞く態度だけがある。彼は微笑み、
「君のマスターをよろしく。道中くれぐれも気をつけて」
 フレアは辞儀をした。
 その動作は先ほどと同じに堅く、しかしそれは飾り気のないが故の堅さで、同じ機械仕掛けの辞儀ではあってもそこには明確な個性の差が表れていた。
 ドアが開かれる。
 耳障りな音の中に台車の車輪が音もなく転がっていく。
 ドアが閉まる。
 また、静かとなった。
「……ハラキリの土産話に対抗できるものが出来たかな?」
 踵を返しながらニトロが言うと、芍薬は笑った。
「遜色ナイダロウネ」
 今晩、ハラキリ・ジジがやってくるのは頼んでいた買い出しのためでもあり、彼が昼に見送ったセスカニアンの姫君の様子を伝えてもらうためでもある。加えて彼の方では明日の話もしたいらしい。何でも『特別トレーニング』を用意したというが、それが何だとしてもドンと来いである。
「さて、と、ハラキリが来る前に準備しとこうか」
 パトネトの突然の来訪には驚かされたものだが、思えばそれも可能な限り引き篭もって生活している身には良い刺激となった。ニトロは機嫌良く廊下を進んだ。
「ネエ、主様」
 と、部屋に戻ったニトロに芍薬が呼びかける。彼はコップを片付けようとテーブルに向かいながら、
「何?」
「あたしハ、『イイ子』ナノカイ?」
 ニトロは足を止め、振り返った。
 廊下と部屋との境目で、少し視線をそらして佇む芍薬は、片手でそっとユカタの袖口を摘んでいる。
 ああ、と、芍薬のマスターは思った。
 さっきの流れだと、あれは冗談としての色調が強くて、であればそれを言われた『オリジナルA.I.』としては良くも悪くもココロに残るものであっただろう。それがある種の重みのある言葉であれば、なおさらに。
「いい子だよ」
 ニトロは言った。視線をそらしたまま嬉しそうに目尻を細めた芍薬へ、彼は笑い、
「でも、言葉のアヤだとしても『子』ってのは何か妙だね」
 芍薬がばっと彼を見る。
「ソウナンダヨ! あたしモソレガ“妙”デサ!」
 その勢いに面食らったニトロを見て、芍薬は失態とばかりに身を小さくした。
「……デモ、『子』ハナイヨネ」
 そして小さくつぶやいた芍薬に、思わずニトロは大きな声で笑ってしまった。

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