食品の詰まった買い物袋をニトロに渡したハラキリは、キッチンで作業しているエプロン姿の芍薬を眺め、訊ねた。
「喧嘩でもしましたか?」
 黙々とパスタの生地を練っている芍薬にいつもと変わった様子はない。しかしニトロの態度が明らかにおかしい。その問いかけに彼は渋い顔をした。
「怒らせちゃった」
「はあ、なるほど」
 ハラキリは勝手知ったる調子で自分の荷物を置き、テーブルに席を占める。その席に第三王位継承者が座っていたと知ったら彼はどんな反応をするだろう。――そんなことをニトロが考えていると、どこか物憂げにハラキリが言った。
「それなら明日のトレーニングは延期しましょうか」
「ナンデダイ?」
 ニトロが問うよりも早く、芍薬が言った。
 その声にはどこかプライドを刺激されたような響きがあった。
 ハラキリは天井を見上げて答える。
「二人が仲違いをしているようなら、危険ですから」
「危険って何が?」
 今度はニトロが早かった。
 その声に含まれるものが芍薬と同じ感情だと悟ったハラキリは、天井を見上げたまま、
「聞くまでもないでしょう? 怪我をするから止めておこうという話です」
「「いいや」」
 と、ニトロと芍薬の声が重なった。
 ハラキリは天井からニトロへ、ニトロから芍薬へ目を移す。そして二人の顔に通底つうていしているものをて、
「……」
 うなずいた。
「ま、喧嘩するほど仲が良いと言いますしね。では予定通りにやりましょう」
 そう言ってハラキリは携帯電話モバイルを取り出し、読みかけの本でもあったのか、テーブルに肘を突いて画面を眺める。その彼のまるで我が家にでもいるようにくつろぐ様子にニトロと芍薬は思わず目を見合わせ、そして思わず同時に微笑した。
 芍薬は生地を練っていく。これは後でソースのよく絡むタリアテッレに仕上げるのだ。マスターの喜ぶ顔を思いながら、練っていく。
 ニトロは頼んでいた巨鶏でかどりのモモ肉――特売の印が素晴らしい――とキノコのパックを買い物袋から取り出してカウンターの上に置き、次に量り売り用の袋に詰められたジャガイモを取り出した時、ふと嫌な感じを覚え、ハラキリを見た。
「……なあ」
 緩慢にモバイルを操作していたハラキリが、やや遅れて反応する。
「何でしょう」
「あのさ、さっきのセリフに“含み”はないよな?」
 その言葉にハラキリは一瞬きょとんとし、しかしすぐにその意を察して苦笑した。
「含みなどありませんよ。純粋に、君と芍薬とのことです」
「そっか。ならいいんだ」
 満足気に買い物袋をごそごそやりだすニトロにハラキリはもう一度小さく苦笑し、手の中の画面に目を戻した。そこにはヴィタへの文面がある。それはさっきまで保留していた計画、怪力執事に『特別トレーニング』への参加を依頼するメールであった。中途で止めておいた文を完成させたハラキリは、それを送り出す。と、
「あれッ?」
 底の方に隠すようにしてあった瓶を取り出し、ニトロが眉をひそめた。
「ハニカム茸なんて頼んでないぞ」
 ニトロが刺すような視線を向けるやハラキリは顔を背けた。なおもニトロが視線を送り続けていると、ハラキリがこちらに向き直り、へらりと笑って言った。
「立ち寄った所で物産展がやってましてね。ちょっと覗いたら物凄い勢いでお勧めされまして」
「それで負けるようなお前じゃないだろ」
「自慢の天然物なのに売れないと売り子さんがとても悲しそうでして」
「それで情に流されるようなお前じゃないだろ」
「質は間違いないそうです。高いけど高いだけあると自信を持っていました」
「そりゃ高いのは知ってるよ、だから頼んでねぇんだ。確かに見た感じすっごい良さげだけどさ」
「なので食べたいなあと」
「初めからそう言え」
「半分出します」
「半分?」
「7:3でいかがでしょう」
「……」
「……持ち帰ります」
「当たり前だ」
「しかしクリームパスタによく合う、絶品だとのお話で」
「……使ってもいいけど、俺は使ったことがないからうまくいくか分からないぞ?」
「それはそれで話の種になるでしょう?」
 ニトロは苦笑し、
「まあそうかな。それじゃあ使う分はこっちも出すよ」
「いえ、やはり拙者の勝手でしたことですから」
「払わせろ」
「了解です」
 あっさりうなずく調子の良さにニトロは笑い、乾燥ハニカム茸の詰まった瓶を手にキッチンに入った。芍薬は既にパスタの生地を休ませていて手が空いている。そこでニトロが瓶を手渡すと、芍薬は早速湯を沸かしにかかった。ぬるま湯で戻すのである。
 火にかけられたヤカンを見て、ニトロは今まで忘れていたことに思い当たった。
「そうだ、何か飲むか?」
 余計な品はともかく、買い出しをしてきてくれた相手に失礼をしていた。しかしハラキリはさして何を気にする風もなく、
「そうですねえ」
 話に出た物産展でも思い出しているのだろうか、宙を眺めて少々考えた後、言った。
「今は、オレンジジュースの気分ですかね」
 ニトロはまたも芍薬と目を見合わせた。
 そして、二人揃って声を上げて笑ってしまった。
 ハラキリが怪訝な顔をしている。
 笑いながらニトロは言った。
「アンラッキーだな、ハラキリ。オレンジはちょうど売り切れたばかりなんだ」

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