「よく聞くけど、貴族社会ってやっぱり保守的なのか?」
「わりに」
「でもほら、オペラ界の異端児とか、鬼才過ぎて業界のトラブルメーカーだとか、文壇とも出版社とも喧嘩してる作家とか、そういう改革って言うかさ、アウトローみたいな人達のパトロンになって発表の場を提供し続ける貴族ってのもよく聞くぞ? 他にもどっかの領主が先鋭的な活動家を後押ししているとか、ティディア様だって大暴れしてる」
 最後の言葉にハラキリは思わず笑い、
「ティディア様は色々と例外ですよ。昨晩もニトロ君は大変だった」
「放送事故になりそうだったもんな」
「『アデムメデスごと事故るだろ!』」
「あはは、あん時のニトロには笑ったよ」
「ですから、あの方は基準にしてはいけません」
「うん、まあ、そうだよな……」
 物足りなさそうな彼女の眼差しに気づかないふりをして、ハラキリは言う。
「それで、確かに母星うちでは貴族社会が社会全体の流動性において重要な役割を演じています」
 ミーシャは――うなずく。その促しにハラキリは吐息混じりに続ける。
「しかしそれもまた、彼らの“社交”という慣行、“人を見る目がある”という仲間内の評価項目、“社会への影響力”という自尊心、“貴族として”という自負、時にそこに付け込む才能を装ったろくでなしや錬金術師のような連中に食い物にされることがあってなお、そういったものが彼らによって保守され続けている結果です。ミーシャさんが違和感を抱いたように保守的な階層によって流動性がたすけられているという点は面白いところですが、とはいえ誤解してはいけないのは、誰か引き立てられた人がすなわち『貴族社会の一員になった』というわけではないということです。その人がいくら貴族社会の一員になりたくても、その社会の成員から認められるまでは、たまたま転がり込んだ他山の珍しい石、それとも愛玩される才能、つまり他圏よそ様であることに変わりありません」
「……で、よそ様から本当の仲間内になるためには、さっきの『見えない壁』を越えなきゃいけないってことか」
「最低限。もちろん園芸だけでどうにかなるものではありませんがね」
「なるほどなー」
 肩をほぐすようにぐっと腕を伸ばして、ミーシャは吐息をつく。そして、
「で、そこにニトロはなんで関係が?」
「それを露骨に言わずとも、そういう方向性を連想させるに『ニトロ・ポルカト』は最適な材料じゃないですか」
「あ、ああ、そっかそっか、なるほど。……でもさあ」
「何でしょう」
「ハラキリはマジで物知りだよな。そんな事まで知っててさ」
「聞いたことばかりですけどね」
誰から?」
「Webから」
「あぁ……あ、なるほど……そっか……うん……そうか……」
「で、部長さんがそう言ったわけじゃないんですが、そうなんだろうなあと拙者はニトロ君に話しました」
「うん」
「その時、そこにフルニエ君もいました」
「うん」
「彼が園芸部を『ご招待』したようです」
「あいつ」
 ミーシャは苦笑する。
 ハラキリも内心で苦笑していた。
 まったく、ダレイかクオリアが会話に参加してくれればこんなに語る必要もないのに、彼は口数が少ない上に今は完全に聞き手に回っているし、彼女は本の世界に没入している。一方でミーシャが何でもいいから会話を求めてくるのはそれこそ露骨に理解できるし、それを無闇に拒否しては面倒なことにもなるだろう。この後の茶会に響く事柄は、できる限り避けたい。
「だからフルニエも手伝うって言ったんだな」
 苦笑したままミーシャは言う。ハラキリは、うなずいた。
「園芸部って女子が多い?」
学校SNSエスエス公式アカウントを見る限りは全員」
「それであんな大張り切りだったのか」
「良い所を見せたいんでしょう」
 ダレイがうなずいている。それに気づいたミーシャは未だ窓辺にいる彼に声をかけた。
「こっちに来て座ったら?」
「おお」
 別にどこにいてもいいが、誘いを断る理由もないという様子でダレイはミーシャの向かいに座る。クオリアはがつがつと読み続けている。
「だが、いいところを見せるのは難しいだろう」
 ダレイの言葉にミーシャが眉をひそめる。
「なんでだよ。フルニエも得意だろう?」
「ニトロは花も知っている」
「あ、そうか」
 そこでダレイは黙る。ミーシャはダレイからハラキリに目を移す。ハラキリは、頭を掻いた。
「加えてキャシーさんもいますからね。まさか女子を押しのけてまで第一助手になろうとはできないでしょう」
「押しのけたら顰蹙だもんな」
「ええ」
「でもなんかそれならごり押しでアピールするかな」
「それもまた顰蹙でしょうがね、しかしまあ、そこら辺はクレイグ君がいるから大丈夫でしょう」
「ニトロじゃなくて? ニトロがなにかとツッコんで止めるだろ」
「そうですね」
 ハラキリは肯定するが、ミーシャはそれが実際には否定だと理解していた。そうだ、彼の言う通り、この場合はクレイグで正しい。ニトロでも間違いではないが、それがより正しい。
「ハラキリってさ、全っ然あたしらに興味なさそうだけど」
 そこまで言って、ミーシャははっと口をつぐんだ。思わず出た本音にどうしたものかと迷うが、いいや、このまま途切れずに言った方がいいだろう。
「実際、よく見てるよな」
 ハラキリはミーシャの言葉に気を害した風もなく、さらりと応えた。
「そんなことはありませんよ」
「そうかあ?」
 彼女はあからさまに眉をひそめる。ハラキリは苦笑し、
「しかし興味はありますよ。例えば――」
 と、彼はミーシャの陰に目を投げた。
「クオリアさんは何をそこまで熱心に読んでいるのかな、と」
 ミーシャはクオリアのタブレットを一瞥するが、タイトルは判らない。
「『シンニョーグーン ジュウチーカラ』」
 そう言ったのはダレイだった。
「一昨日からずっとだな」
 ミーシャはそれがどんな本か知らない。が、ハラキリは眉を跳ね上げていた。
「そりゃまた随分な」
「え? なに?」
「古代の叙事詩ですよ」
「古代ッ?」
 ミーシャはまたクオリアのタブレットを横から覗く。文章は現代訳されているが、それでも文体はいかにも古めかしい。
「なんでも読むんだなあ、クオリアは」
「この前は何でしたっけ」
「何だっけ?」
「『初恋しちゃってキュンキュンラ〜ブ』」
 そんなタイトルをゴツいダレイが真面目くさった顔で答えるから、ミーシャは思わず吹き出してしまった。彼女の笑い声を聞きながらハラキリも笑顔を作らずにはいられなかったが、反面、彼は嫌な予感に襲われていた。
 クオリアが読んでいるその叙事詩は、非常に珍しくスポーツを主題に置いている。それは競技者の力や技を通して神を賛美するという形を取りながら、古代のボクシングやレスリング、各種陸上競技に剣や弓などの武器術まで、時には俗人的なエピソードも挟みつつ当時の観衆が感じていたであろう迫力、興奮、そして感動を現代に伝えるものとして実に名高い。また当時の美意識を反映した肉体の描写は比肩するものがないほどに秀逸である。
 クオリアの勢いは先ほどよりも減じていた。
 その瞳には早くも余韻が現れているように思われる。
 おそらく、既にクライマックスを読み終え、今は、当時の叙事詩の定型らしく終章に置かれた神々への讃歌に陶酔しているのではないだろうか。
 笑い終えたミーシャはこれを機会にダレイへ会話の矛先を向けていた。タイトルに反して中身はなかなかエグいらしい十代前半向け娯楽小説スナックノベルの『しちゃってシリーズ』が二人の間に話題を提供したようだ。
 それを幸いと、ハラキリは立ち上がった。
「ちょっと用を足してきます」
「え? ああ、うん」
 ミーシャがうなずき、ダレイもうなずく。
 ハラキリはすうっと美術室を出て行った。ドアが開いた時、どこか遠くから雨音が聞こえた。ドアが閉まり、音は止んだ。
 彼の引き締まった背中を見送った後、ミーシャはダレイとの会話に戻った。
 それからしばらくすると、
「は〜〜〜!」
 突然、大きな息をついてクオリアが天を仰いだ。
 驚いたミーシャが「わッ」と声を上げると、それに気づいて彼女は言った。
「あ、ミーシャも来てたんだ」
「うん……来てた」
 改めてミーシャは驚く。やはりクオリアは気がついていなかった。隣でハラキリと、ダレイと、声を潜めることもなく話していたというのに。
「……読み終わったの?」
 ミーシャが問うと、クオリアはタブレットを胸に押し当てたまま力強くうなずいた。
「素晴らしかった! 嗚呼、人と神の生きた世界! 詩想の燃えた血肉の時代! 野蛮で崇高な力への讃歌! 私は古代の息を呼吸した! 嗚呼、何て素晴らしい!」
「そ、そう」
 こけた頬を活き活きと赤らめ、むしろギラギラと瞳を輝かせるクオリアの迫力にミーシャは思わずたじろぐ。しかしそんな友人のことはお構いなしにクオリアはもう一度大きくうなずくと、机の向こうからこちらを見守る筋肉質の男に目を向けた。
「ダレイ」
「おお」
「脱いで!」
「おおッ?」

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