「キャシーか」
「こういう得がなけりゃ、折角クレイグを落とした甲斐がねえ」
 はっきりと、フルニエは言った。
「あんまり得がないと判りゃクレイグが残念だ」
 彼は吐息をつく。
「あいつもニトロに頼みゃしねえだろうからな」
 少しの間を置いて、ニトロはうなずく代わりにミルクティーを飲んだ。
「知ってるか? キャシーは、前はあんなんじゃなかったんだぜ」
 その言葉にニトロは眉を跳ね上げた。
「いや、知らない」
 フルニエは生まれも育ちも王都であり、一方のキャシーは高校に入ると同時に王都へ移り住んできたはずだ。だから調査でもしない限りは彼がキャシーの『前』を語れるはずがない――その疑惑を素直に顔に表すニトロへ、フルニエは過去を眺めてみせる。
「受験の時、たまたま隣の席で、何でか名前を覚えてたんだけどよ、入学前のキャシーはそりゃ地味だった。ありゃ高校デビューてやつだな。一年の時、同じクラスになって驚いた。キャシーも自分の魅力に驚いたんじゃねえかな。入学したばかりの頃は変におどおどしてたが、男子にクラスの“プリンセス”に祭り上げられてから変わり出した。特に目が変わった。あの目は、品定めの目だ。値踏みに熱心で、しかも用心深い目だ」
 いかにも根拠があるようにフルニエは腕を組む。
 ニトロがそれに付け加えるなら、彼女は夢を見る者の目をしている。彼女は実際に『プリンセス』になりたがっている。
 と、フルニエが付け足すように言った。
「だが、その目も俺をフるんだから節穴だがな」
 ニトロは目を丸くした。
「え? マジで?」
「昔のことさ」
 やれやれと肩をすくめる友人にどう言葉をかけるか迷っているうちに、ニトロはふと類似の話題に突き当たり、それを口にした。
「……それで思い出したけど、ミーシャがなんかお前に粉かけられたみたいなこと言ってたぞ? 冗談だろうけどって」
「ああ、やっぱりその程度にしか受け取ってなかったか」
 困り顔のフルニエに、ニトロは真顔となった。
「…………本気、だったのか?」
「恋の痛手を受けた女は落としやすいっていうだろ?」
「うおい」
「あーあ、何で女どもは俺の良さを見抜けねえのかなあ」
 確かにミーシャの言う通り、どこまで本気か分からないフルニエの態度にニトロは流石に閉口する。
 どこまで本気か分からない――と言えばハラキリもそうであるが、フルニエはまたタイプが違っていた。
 そしてそのフルニエは、どうやらハラキリに対して苦手意識を持っているようだった。露骨に相手を避けることはないが、しかしハラキリがいる場面での彼の言動には一種の恐れ、あるいは対抗心のようなものが常に隠されている……ニトロはそう見ていた。
 また、彼はこのアクの強さから学校では孤立しがちな人物である。
 ニトロが彼を知った時の彼の評判は芳しくなかった。今でさえ、大抵のクラスメートは彼のことをただ自信過剰な情報通としか思っていないだろう。彼自身それを自覚している。嫌われ者、鼻つまみ者だと道化じみた調子で自称してさえいる。しかし、それでも人恋しいのか、彼はハラキリのように級友から距離を置いては平気でいられないらしい、それでいつも誰かにちょっかいをかけようとして鬱陶しがられている。
 そんな彼を何の抵抗もなく受け入れる人物がクレイグ・スーミアだった。
 フルニエのアクの強さもクレイグの器によって中和される。
 クレイグがいれば、フルニエはどこでだって孤立しない。
 現在はさらにアクの強い『ニトロ・ポルカト』とハラキリ・ジジが仲間グループにいるため悪態の突き方にもエスカレートの気配があるが、思えばそれも彼なりの甘えであり、一つの信頼の形でもあるのだろう。
「キャシーはまだ全然満足してねえよ」
 話を戻して、フルニエは言った。
「クレイグも、実はしんどいんじゃねぇかな。だから、お前が嫌なのは知ってるけどよ、有名人パワーでたまには協力してやれ」
 それを聞いてもなおニトロは納得を得なかった。釈然としないもの、わだかまりに近いものが脳裏に居座る。
 反面、胸にはそういう意図ならフルニエの独断専行も許そうという気持ちがあった。
 頭で考えれば拒絶が勝るが、心で思うならば寛容が勝る。
 ニトロはため息をついた。
 正直に言えば、フルニエのクレイグへの友情を加味してもやはり己の立場を利用する行為には賛成できない。といって既に行われてしまったことを覆すほど意固地にもなれない。芍薬は、ハラキリは、このことを聞いたらまたお人好しだと言うだろうか? 自心に不満を残しながらも『意固地になれない』を言い訳にしてフルニエを許すのは――許したいと思うのは。
 しかしニトロは少し意地悪もしたくなった。
 彼は、我の強い友人を挑発的に見つめた。
「つっても、結局お前が『得』したいだけなんだろ?」
 その非難混じりの言葉にフルニエはにやりと――奇妙にもどこか嬉しげに――笑った。
「そりゃあ後学のためには素晴らしい素材だからな」
 ニトロも笑い、もうぬるいミルクティーを飲み、それから、彼は訊ねる。
「けど、それでクレイグはいいと思うか?」
「お前はキャシーを責めるか?」
「どうかな」
 ニトロの脳裏に一人の女がよぎる。彼は言った。
「責めなくても、俺は支持したくない」
「俺は全然有りだ。なにせキャシーはあれで勝負してんだ」
「うん。勝負か」
「だけどクレイグがそんなのに引っ掛かるとは思わなかった。しかも気づく様子もねえ」
 なるほど、と、ニトロは思った。フルニエにとってはクレイグへの失望の方が問題なのだろう。ニトロは、不思議と頬に笑みが浮かぶのを止められなかった。
「なんだ?」
 ニトロの笑みを見咎めたフルニエに、彼は笑みをより深めて答える。
「それが、恋なんだろ」
 一瞬、フルニエはきょとんとして、直後、大きな声で笑った。暇そうな店員と数人の客がこちらに注目する。ニトロは顔をわずかに伏せる。
「言うじゃねえか。あれか、詩人か?」
「事実を言ったまでだよ」
「まあ、だがそうだな、恋じゃしかたねえか」
 そこで会話が途切れた。
 ニトロは店内に流れ込んでくるモールの雑踏を聞いた。賑やかで、普通の、ざわめき。異常はない。このティーハウスは有名なチェーンだが、場所が悪いためか空席が目立っている。
 ざわめきにくすぐられながら彼は今しがた交わした友達との会話を反芻した。
 会話中から芽生えていた印象が、今も彼の胸に疼いている。
 その印象には熱があった。
 その熱は、どこか切ない。
 それが思わず口からこぼれた。
「何にしても」
 ニトロは穏やかにフルニエを見た。
「自分の進路がそこまではっきり決まってるのは、羨ましいよ」
「何言ってんだ」
 鋭く、フルニエが言い返す。
「進路は一人で決められる、独りで」
 体を斜に崩して頬杖を突き、彼は意味ありげな目つきを丸眼鏡の底からニトロへ投げかける。
お前も羨ましいよなあ」
 ニトロは苦笑した。
「羨まれても、だから俺は付き合っちゃいないんだって」
 ニトロは無駄と思いつつも否定を返したが、
「まだそんなこと言ってんのか」
 やはり一笑にふされてしまった。ニトロはまた苦笑する。
 このほとんどお決まりのやり取りを早々切り上げるように紅茶を飲み干して、フルニエは首を回して出入り口を見た。どうやら『羨ましい』と言われたことに実は照れを感じているらしい。彼はそちらを見たまま極めてぶっきらぼうに声を発した。
「しかし遅えな。あれだな、女の買い物は遅いってのは真理だな」
「カレシと一緒だからなおさら楽しいんだろ」
「いいなあー、俺も恋がしてーぇ」
 両手を挙げて伸びをするようにしてフルニエはぼやく。
 そのセリフから自分がやっぱり『カノジョ持ち』だと除け者にされていることをまざまざと感じて、ニトロは笑うしかなかった。

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